12月にとうとう入った。英国は、師走とは言わないのかも知れない。しかし、クリスマス前になると皆なにかそわそわしだしている。やはり、ここでもなんだか気ぜわしい(のかな?ひょっとして僕だけか?)
月末には帰国だ。この段階に来てやれたこと、やはりできていないこと、これから帰国後にすることなどが、夜中に頭の中を駆け巡る。
11月30日 日。 冷たい小雨、風強し。
3日にするセミナーのプレゼンや、日本から持ち込んできた仕事のあといくつかの残り、毎日飛び込んでくるメールなどでの依頼や、照会事項などもあり、土曜日のスヌーカーやフットボール観戦でエンジョイしたこともあり(ジェレミーに多謝。)翌日の日曜日、30日には、大学へ出て仕事をした。さすがに、廊下には明かりがなく(自動的に点灯、消灯するが)、部屋に物音がしない。入り口は鍵がないとLLIのブロックに入れないので、安全ではあるが、やはりあまり落ち着いた気分になるものではない。いくつかの頼まれたコメントや添削の仕事、プレゼン関係の調べもので結構時間は過ぎる。ジョー・ミスキンさんからは、シェフィールド・ウエンズデイの勝利を祝うメールも届いていた。ジェレミーにはお礼の文を書いて送っておく。博論の予備審査のコメントも送る。後は、やや孤独な書き仕事。
夕刻になって、もういい加減やめようと7時には切り上げた。フラット近くのスーパーも日曜夜はさすがに閉店が早く閉まっていた。この日は有り合わせで夕食づくりをして、作業をその後も行う。なんだか日本での生活に似てきたなという感じだ。
12月1日 (月) 零下の夜の温度が上がらない。英国特有の地面の下から上がってくるような冷気を感じる。大学に行く前に、11時にキースとヘッデイングリーのコスタカフェで待ち合わせをしていたので、パソコン作業をやめて出発準備。
キースは、この4日からアフリカのガンビアに数年前になくなったお兄さんの(そのとき葬儀には行ったようだが)お墓参りとその兄さんの係累の人たちと会ってお礼を言うのだという。19日には帰国するという。お墓参りというとなんだか日本人みたいだ。
土曜のフットボールマッチのことが話題になった。キースとの話の後で、調べてみると以下のことが分かった。
<連合王国(UK)では、イングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランドそれぞれにフットボール組織があり、国代表では英国は4チーム代表となる。イングランドでは、1888年にプロ・フットボールリーグが出発。当時は、イングランド北西部で6チーム、中部イングランドで6チームの構成だった。フットボールは伝統的にワーキングクラスの中で人気があり、ラグビーとくにラグビー・ユニオンは、ミッドルクラス以上の中で好まれるというこの国特有の階級社会を反映していた。しかし、ラグビーにも、ワーキング・クラスが参加できるように方式が独自なものができてくる(ハダスフィールドが発祥の地らしい)などの変化、テレビやヨーロッパのサッカー人気、ワールドカップの人気などから、急速に商業主義的フットボールクラブ経営が企業的関心となり、ワーキングクラスの募金や支援で維持できるクラブは、少なくなってきた。とりわけ、イングランドでは、1992年にプレミア・リーグが創設されたことが大きい。プレミア・リーグなどを参考に、日本のJリーグは出発したと言ってよい。プレミアリーグは上位20位までのクラブで構成され、毎年3クラブが入れ替えになる。従って、この上位20位は、かなりな程度資金の集金力がないと維持できないことになる。このプレミア・リーグを頂点として、二部や三部リーグなど(いくつかまでリーグがあるのだろう?)、現在94のプロチームがある。アマチュアを含めると、約4万2000のクラブ数となる。このリーグ戦のほかにFAカップがある。これはプロ、アマのチームがすべて参加する勝ち抜き戦である。ロンドン郊外のウェンブリーで5月に決勝戦が行われる。>
さて、キースの話では、英国(この場合は、イングランドのこと)にはおよそ92のプロチームがあって(これは上記のことからすると本当の数か分からないが・・)、本来は地元ファンの支持(声援も財政も)で発展し、維持されるのだが、商業スポーツの流れで、プレミアリーグの主要なチームの殆どが、外国資本に支配されてきてしまっている。高額な選手の年俸の支払いや引き抜きなどに、多額の資本が入り、小さな都市のチームは財政的に厳しく、すぐれた選手は移動を重ねて定着せず、2部や3部のリーグにならざるを得ない。(どこか、札幌のプロサッカーチームと似たような話だ)
リーズユナイテッドは、弱体化を重ねて先日はアマチュアチームに(グラウンドコンデイションが悪かったせいもあるが)も負けたという。銀行に借金をして、優秀な選手を獲得したのにその成績が良くなく、ファンの入りも良くなく、財政収入見通しの狂いで多額の借金があるという。リーズは小さくない都市だが、シェフィールドは地元に2つのチームを有して、これまた厳しいところだという。
キースの長男のジャックは、大学を終えて大手銀行に就職したエリート候補だ。ジャックによれば、ロンドンのフットボール球場の多くが、最上階にガラス張りの特等席を持ち、そのシーズンチケットの多くは、企業が買い取っているという。その場合そのシーズンチケットは、飲食込みなので、高級レストランの食事と飲み物が提供され、企業の顧客の招待に使われているという。そうした場合、企業と顧客は、高級な食事とワインと話などで、終止し、広いガラス面から見える試合を見ている人は少なく、後半戦に入る頃には帰ってしまう例が多いという。ジャックも8分間ぐらいしかその日の試合は見られず、顧客と一緒に帰らざるを得なかったという。(これまた、日本の企業の商慣習と似ているように思える。もっとも、僕はそういうこととはこれまでも、これからも一切無縁の存在だが)
普通のファンはそのような高額なシーズンチケット(年間数万ポンド)は入手できず、フットボールに関心のない人々のそのような席の確保に怒っているそうだ。しかし、球団経営側は、貴重な年間を通じた収入源なので、むしろ拡張の機運だという。そういえば、シェフィールドでの土曜の試合でも、上階はそのような席だったと思い出した。
インドのムンバイの話もした。キースたち家族は、今回のテロ現場となった場所はいずれもかつて家族旅行でなじみのある場所だという。(タージマハールホテルなどの高いホテルはつかわなかったが、その前のホテルに滞在し)、カフェや鉄道駅もよく利用して今回の事件の現場はよく知っているという。米国、英国人がターゲットなのか、ユダヤ教徒がターゲットなのか、ムスリムを抑圧するインド社会がターゲットなのか、パキスタン人だの、アルカイダだの、噂が乱れ飛び、事件の背景は、まだ不明のことが多いし、(一人生きて拘束されたグループの一員が色々と話し始めているようだが)、今後もどこまで分かるか不明だという。テロによって、日本人の1人の死者も含めて150人ほどの方のむごい悲惨な犠牲が多く出たことは、無論許せないし、あってはならないことだ。しかし、またインドでは、こういう事件がいつ起きても不思議ではない状況も承知しているという。これから、ブッシュ政権が退場し、それまでの軍事的強圧が弱まることを、欧米の企業は心配しているらしいが、それも噂や政治的な材料にされているだけだ。1月から予定しているインドーネパール旅行は、キースは予定通り、行くつもりだが、連れ合いのスーザンは不安になって、行き先を変えようと言っているので、もう少し話しあって見るという。このあたりの状況認識は、日本人とは違う歴史・地理感覚を多くの英国人は持っているように思える。
南ヨークシャーのジョー・ミスキンのWEAの活動や、イアングリアの話した社会的企業のことも話題になり、突っ込んだ話をしたが、それは専門の話だ。ここでは止めておこう。
また、キースが退職後使っているグーグルメールのことやリナックス系のフリーウエアのOSのことも話題になった。次男のジムがこれには詳しくて、自分たちの世代ではもうついていけないが、利用する分には便利だという話もあった。どこでも、デジタルデバイドの問題は共通だ。僕も、ネットやPCの詳しいマニアックな話は苦手だし、あまり興味がない。
この日は、大学に出て、遅くまで仕事。バスで帰ると、立っていた僕に、親切に席をさして座れと若者が言う。話かけてきて、遅くまでお勤めご苦労様という。(無論違う表現だが)日本人と知ると色々と尋ねてくる。人懐こい若者だった。シャイで自らは話してこない英国人の中にも、こういう人がいるのだ。
12月2日(火)
夜中、3時に起きて、プレゼン用意。朝まで仕事。なんだかなという気分。朝、その気分を変えてバスタブに体を伸ばす。
大学に出る途中、フラット前は、今日は薄い雪景色。
札幌は、積雪があるようだが、リーズではこのように路面に残ったのはこの冬初めてだ。
LLIのある殺風景な建物の手前の音楽学科の赤レンガ建物が、今日は美しく陽光に輝いている。そういえば、今回は音楽と無縁な生活だなとふと残念な思いにもなる。帰国する前に、一度はどこかに聞きにいこう。
プレゼンファイルは、昼には完成。明日は、さてどうなるか。ジャスに印刷をお願いする。
今夕は、ミリアムと会う約束だが、なんだか鼻がぐずぐずする。昨夜の半徹夜のせいか。もう若くないのに我ながら、馬鹿だね。
と考えていると、ミリアムがノックしてくる。今日は、ちょっと風邪気味かなと思うので、夕食はキャンセルを告げる。少し話をして、お大事にと言われて別れる。そうだ、今日は暖かくして早く寝よう。
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