色々な理由で、ブログを引っ越します。
このブログも近く閉じてしまいます。
あらたなブログタイトルは「北の地で光を求めて 2」です。urlを切り替えてください。
http://blog.livedoor.jp/kitaakari2/
検索ください。
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函館での東北・北海道6月集会を終えると、通常モードの日々だ。
6月13日(月)
朝は事務案件と、いくつかの小さな文章書き。午後は、留学院生の博論指導。
その後、AWさん来室、相談。夕刻は、「こどけん」の6月例会。報告事項審議の後、いくつかの懸案処理と日程調整。9時過ぎに散会。
6月14日(火)
午前は事務処理案件と講義資料印刷。
午後、学部・院共通講義。終了後は、留学生対象の授業の僕の担当最終日で、この日はバスを仕立てて、「北海道開拓の村」の見学訪問。片道50分ほどの移動である。
「開拓の村」は、北海道開拓時代の歴史的建造物の博物館展示である。愛知犬山にある、「明治村」の小型版かも知れないが、明治村がM鉄道の民間の観光施設に近い趣であるが、ここは道の外郭団体の運営になり、地味である。ボランテイアの3人の英語でのガイドには多謝である。これらは、大学院に在籍していたこともある学芸員のNKさんが、事前にご配慮いただいたことにもよる。嬉しいことである。約20名の参加者は、雨の中、足下不便ではあったが、大いに楽しんで見学してくれた。大学に戻り散会。
6月15日(水)
午前は、大学院ゼミ。この日は、英文文献のレポートを留学生のF君が担当してくれた。英語が達者で、英語での要約の方が、日本語よりも的確である。よく頑張ってくれた。
午後は、教育・研究評議会と部局長等会議の2つ連続会議。重要案件もあったが、ここでは記さない。
夕刻歯医者に寄る。
6月16日(木)
午前は、9時から部局内委員会会議、その後大学院の修論指導授業(調査実験)。
午後は事務決裁。その後、学部ゼミ。この日は長引いて6時半過ぎに終了。
朝一の会議の案件処理が、今後重要となる。
6月17日(金)
午前は、受診義務があり、指定されている健康診断を駅近くのクリニックセンターで受診する。昨年の数値よりも悪化しているものもあるが、ほぼ同じ状態である。余裕のない生活が、数値に反映している。
午後は、相談案件があり、話し合いを行う。
夕刻に珍しく早く帰宅するが、疲労困憊なのか、スポーツジムに行く気力もない。この日は早めに就寝する。
6月18日(土)
午前に家人を織物教室のスタジオに送り、帰宅後、遅れに遅れた冬タイヤ(スタッドレス)から夏タイヤへのタイヤ交換を行う。この作業で汗を出す位に、運動不足だ。
夕刻は、H大学の学生交響楽団の定期演奏会に、自宅近くのN公園の演奏ホール(キタラ)に行く。シベリウス、ドボルザークなどの曲であまり知られていないものを選んでのややマイナーな構成演目である。学生たちは、技量の目一杯のところで、演奏にのぞんでいる。やや硬さと緊張があるが、ところどころ光るところもあり、演奏をしていて爽やかである。常任指揮者のK氏は、1932年生まれである。これほどに長くの期間、後輩諸君の指導にあたられてきたことに、まずは敬意を表すべきである。
終了後、家人と近くのレストランに行き、食事をする。少しはリラックスした夕べであった。
投稿情報: 19:13 カテゴリー: 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌, 音楽、楽曲 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
日々が駆け抜けていく。
この間、なし崩し的に東日本大震災関連の復興・復旧計画が中央の利権がらみで、地元の意向やニーズの頭越しに画策されている。復興税の度重なる報道、財源としての消費税増税キャンペーン(ほとんどすべてのマスメデイアの礼賛)、農業や漁業水産特区構想、などなどである。
政府の復興構想会議もその骨格には、中央による政策の適用という視点が強い。飯尾氏、御厨氏といった人々の構想とはこういうものであったのかと、今更ながらその御用学的性格を感じざるを得ない。19日の報道では、最終報告が出されるという。
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/kentou.html
加えて、避難を余儀なくされている方々の仮設住宅については、宮城県などは、大手住宅メーカーとしか契約を結ばず、それらの企業は、震災特需の様相を示しているという。ところが、そうした住宅は広い敷地に画一的な住戸の建設という発想に縛られて、東北海岸縁の平地の少ない、しかも浜ごとに小集落に分かれてきた事情を無視し、建設テンポが遅れているという。しかも、地域事情をよく知る地元の中小事業者は、仮設住宅契約から除外され無視されているなどというのは、理不尽もよいところだ。
あるいは、個別の住宅再建や事業再開のための公的災害補償問題については、その認定が厳しく、他方では、民間保険会社の対応は消極的という。(例えば、大手及び外資系生命保険会社の保険金支払い渋りを支えるかのように津波による自治体の住民書類流失を補う年金リストその他の公表控えがあると聞く)
原発の放射線・放射能遮断のための復旧作業は難航を極めている。ここにきても、情報の秘匿隠蔽、情報隠し、の体質は変わっていない。作業にあたる下請け作業員の方たちの危険な被爆実態が無視し得ないところまできている。福島の人々は、心理的には、息をするのもひそかに、深呼吸もできない状態だ。まるで、真綿で首をしめられているかのような、悲惨な状態を強いられている。
神経戦強いられる福島 2011.5.24毎日新聞をダウンロード
福島大学の12人の准教授の方々が、勇気をふるって福島県知事に要望の声をあげている。
20110606hukusimadai12youboushoをダウンロード
このような実態を察知するかのように、原発については、ドイツに次いで、イタリアでも投票において、原発ノーの声が圧倒的な様子を示した。
しかるに、日本の自民・民主を軸とした政治家には、イタリアの結果について「集団ヒステリー」であるかのようなコメントを言う向きもある。そこには、真摯な反省は見られない。それに悪乗りするように、財界、あるいは、原発を支えてきた電力業界、マスメデイア、学会の主流にも、ふたたび、本音が表明されはじめている。いわく、原発抜きにはエネルギーを確保できない、いわく、今回のような想定外「天災」を除けば原発は安全だ、などの声である。
大江健三郎の指摘(朝日新聞文化欄記事)ではないが、この国には責任をとるという文化がないのであろうか?
なお、別件ではあるが、新聞には小さくしか報道されなかったが、最高裁はみたび、君が代斉唱・起立の職務命令を合憲とした。(裁判長1人が反対の少数意見であったが)
日経新聞記事は下記。
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E3E6E2E1E18DE3E6E2E4E0E2E3E39191E3E2E2E2
北海道新聞社説は下記。君が代起立最高裁判決 道新社説2011.6.18をダウンロード
また沖縄の基地問題が再び、アメリカ主導で辺野古V字型基地への普天間基地拡散で動こうとしている。
これでは、あまりではないか。踏んだり蹴ったりも良いところである。民主主義社会を標榜するのであれば、もっともっと現場と、現地の声が尊重されていく社会でなければならないはずである。
小さくても良い。声をあげよう。
例によって備忘録。
6月6日(月)
午前は事務決裁その他、午後は全学の委員会。
夕刻には、プロバスケットボールクラブの北海道の再生に関しての関係者の方々の来室。熱意を持っての、今後に向けた、意向や方向を伺う。
6月7日(火)
午前は、名誉教授授与式とその後の懇親会。今年は、66名の方に授与された。僕は懇親会は、途中で次の授業があるので失礼した。
午後は、学部と院の共同講義、その後は留学生向けの英語の講義。
左は名誉教授授与式後の懇親会。
6月8日(水)
午前は大学院ゼミ、
午後は少し、研究仕事の時間をつくる。
夕刻は金曜の教授会に向けた事務打ち合わせ、終了後、帰途に歯医者に寄る。
6月9日(木)
朝9時から部局の中期計画会議。
その後、午前は、修論指導ゼミ。
午後は、留学生の研究指導、その後決裁案件。
さらに学部ゼミ。
終了後、翌日の教授会議案その他を再度確認しておく。
6月10日(金)
午後は、教授会。多くの審議事項、案件があったがなんとか終了。
夕刻、来室された同僚の方々と懇親に出る。
6月11日(土)
この日から、社会教育学会東北北海道集会。会場は、北海道教育大学函館校である。
初日は、地域再生に果たす社会教育の役割についての、北海道と東北の事例を踏まえた、問題提起であった。(木村純氏・北大。高橋満氏・東北大)
幾点かの質疑があり、僕も質問したりした。ここではそれらのことは書かない。
特別報告には、東日本大震災をどのように受け止め、社会教育は何が可能かの論議がなされた。(東北大・石井山氏、福島大・千葉氏、宮城学院大・佐藤氏他の報告と発言を受けて)
夕刻には、懇親会。その後は二次会であった。僕は、この間の疲労もあって、二次会は失礼した。
ホテルの部屋からは、箱館山やドックが遠望できた。
第二日は、自由研究発表。主として院生の報告が多かったが、それ以外にもいくつかの興味ある報告が続いた。午後の後半は、司会もした。
この日は、終了後幾人かの方々と急いで、五稜郭駅へ。何とか特急を1本早くして札幌に戻れた。
帰りの車窓。太平洋岸を進む。
これでようやく5週連続の週末出張に、1段落がついた。次週末は、移動なしで済む。
投稿情報: 12:46 カテゴリー: ニュース・社会, 四季の暮らし-彩り、点景, 大学改革、大学人の声, 学会・研究会, 旅行 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
6月4日(土)
毎年、社会教育学会では、東京での6月集会に前後して、各地で6月集会を開催する。九州、中四国、関西、東海・北陸、東北・北海道の集会である。
今年の(東京)6月集会の会場は、明治大学。色々な学会や研究会でお茶の水のキャンパスを利用するが確かに、アクセスは便利である。(ちなみに、今年の入試での志望者数は明治が早稲田を抜いたとニュースになっていた)
ホテルにいったん荷物を預けて会場に向かった。
初日の企画は、プロジェクト研究が2つ。「アイヌ民族・先住民族をめぐる教育の課題」と「社会教育としてのESD」である。僕は、後者に参加した。
テーマは、「社会教育としてのESDからの問いかけ-教育実践研究への寄与と”生涯学習社会”の展望」である。この企画は、環境教育学会と社会教育学会とのジョイントプログラムでもある。
報告は、「環境教育学におけるESD研究の動向と課題」(児玉敏也氏・藤沢南小学校)、
「ESDと人の自己認識をめぐる社会教育の課題」(牧野篤氏:東京大学)の二本である。
コメンテーターは降旗信一氏(東京農工大)、大高研道氏(聖学院大)、荻野亮吾氏(東大)の3人、司会は笹川孝一氏(法政大)である。
まずは、ESDとは何かをめぐっての多様な文脈での理解を相互に承認することが議論の前提であった。たとえば、環境教育学会と社会教育学会とのとらえかたの差異は、同時に、実践領域や実践内容の文脈差を理解することにもあった。環境教育学会は実践重視、社会教育学会は理論的アプローチ優先との指摘もあったが、はたしてそうなのかどうかも検証される必要があろう。
ただし、かつての「公害と教育」の視点に見られた現実への批判的まなざしが、サステイナビリテイ・デイベロップメント(SD)という言葉に置き換えられることによって生じた脱文脈化の問題の指摘は重要である。たとえば、3.11の福島原発事故をとらえる場合の一つの争点ともなるものであった。「環境教育」を行う学校現場では、原発は触れないか、あるいは「安全神話」にからめとられてきたからである。社会教育においても、かつて公害を批判した視点は、希薄化してきたとの声もあった。
何をもって、維持可能な未来社会を展望するのかが問題なのである。それは、OECDの知識基盤社会を批判し、それに対抗するのは学習基盤社会と言ってみるだけで解決するような問題ではない。ESDは、その意味で関わる人の姿勢や、知の関心のありかたとしての<教養>観の根底に関わる問題といえる。
私たちは、情報のありようや生き方のありようをいかなる価値と行為をもってコミットしていくのか。討議では、twitterや情報のSNSのことも話題になったが、ネットの電脳空間での情報拡大と拡散が、はたして顔対顔のコミュニケーションを凌駕するtoolとして決定的なのかどうか、それが社会を変えるような力をもつのかどうか。僕には、そのようなメデイアの言説の流行には懐疑的なところがある。その意味でも、どうやら後期近代の実践的コミュニテイに対する私たちの関わりようがとわれていることは確かである。
ただしこの日は、まだ納得のいくといった段階には至らず、なにかまだ、互いに了解可能な言葉を探しあぐねているようなもどかしさが、最後まで続いたように僕には思えた。
その後、会場校企画として「大学における社会教育職員養成の展望-社養協からの提案」がもたれた。
「職員養成問題の現状と課題-社養協アンケート調査を踏まえて」(田中雅文、日本女子大)、「年間を通した実習の受け入れ-明治大学等との連携」(井口啓太郎・国立市公民館)、「まちづくりの担い手を育てる社会教育主事講習-お茶の水女子大学挑戦」(三輪建二・お茶の水女子大学)であった。
現実の社会教育職員のはたらきの時空間(職場)のリストラと空洞化のすさまじい勢いに対して、大学や学会がいかなるオルタナテイブを持ち得るのか。職員の養成方策と専門職議論がいかなるリアリテイと希望を生み出すのか。
そのような、ややペシミステイックな感慨にとらわれがちな現実の厳しさがあるのも確かである。しかし、悲観からは展望は出ない。また、何かマジックを求めても、それは現実的ではない。
その意味では、いきおい、職員養成課程を置く大学の報告と社会教育主事講習の革新事例を語ることで展望を見いだしていくことになるのはやむを得ないのかも知れない。
とはいえど、残念ながら そのような関わりから排除されている大学、あるいは「職員養成」に関わりきれずにいる研究者は何を手がかりに考えていけばよいのであろうか?
それは、現場での職員や学習者と関わることでしか見えないのだが、それは現場を支える一端でしかない。
もしも、学会としてこの問題を本当に生きた関わりにするのであれば、今ひとつ枠組みをひろげないと見えてこないであろうし、またインターカレッジな活動をしない限り、職員養成問題は学会員の関心として広がらないのではないか。そんな疑問もふと浮かんでしまった。これは、その限りでは、報告された貴重な内容に失礼な感想であると恥じ入るのだが・・・。
終了後、息子と会おうと朝電話したが、彼の都合がつかずキャンセル。それで、今はこの学会では理事でもないので、この日はとくに用務もなく、夕食後おとなしくホテルに戻った。
第二日
午前はやはり二つのプロジェクト研究があった。
「労働の場のエンパワメント-労働の場からの排除と社会教育の課題」と
「社会教育における評価-NPO・NGOにおける参加型評価の理論と実践」である。
僕は前者に参加した。
「自分らしく生きることと労働-障がい者就労支援のジレンマ」(津田英二・神戸大学)、
「労働の場におけるジェンダー構造と女性労働者の学習」(廣森直子・青森県立保健大学)、
「若者の労働への参入・排除とアイデンテイテイ・コミュニテイ」(乾彰夫・首都大学東京)、である。
労働のモダンシステムにおけるジェンダー問題、障がい者問題と、それを超えての後期近代におけるジェンダー問題、障がい者問題の違いとは何か、あるいはエンプロイアビリテイのみを脅迫してくるワークフェア国家の社会政策に対して、そこからこぼれおちていく個々のひとびとのリアルな生に迫るには、労働の場だけを問うていてよいのか、コミュニテイとの連関が抜け落ちていないか、地元ネットワークと称されるアンダークラスの若者の結びつきをいかにとらえかえすのか、など社会教育の真価が問われているとの問題提起があった。
いずれも、考えさせられる指摘である。フロアからは、リスボン協定の実施状況における欧州のエンプロイアビリテイの失敗の状況が補足発言され、学歴による雇用打開信仰の神話の指摘もあった。
このように、多くの論点があり、僕も質問したが、ここでは省略する。
終了後、昼の時間には、国際交流委員会。次回の日韓両学会での課題やICAEの会議、その他が論議された。
午後は、緊急フォーラム「大震災と社会教育」に参加、東北大学のIさん、福島大学のCHさん、岩手のT公民館のKさんの報告があり、いずれも我々が受け止めるべき根本的な課題を提起して頂いた。
切実な報告内容に、すぐにはなんと言ってよいのか、声を失ってしまった。
報告を聞いて気持ちが重くなって窓を見やった。リバテイタワーからは、お茶の水神田近辺のビル街が眺望される。巨大都市東京の一部である。言うまでもなく、この地に供給する電力の一部が遠く離れての新潟や福島の原発によってまかなわれてきたのだ。重い報告を聞くと、そのような目線でビル街を眺めることになる。
終了後、夕刻前に、韓国プルム学校調査の打ち合わせを行い、飛行機の都合もあり途中で辞して帰途についた。
投稿情報: 02:11 カテゴリー: 友人の記憶、友愛、つながり, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌, 学会・研究会 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
君が代起立強制条例(「大阪府の施設における国旗の掲載及び教職員による国家の斉唱に関する条例」)が大阪府橋下知事・大阪維新の会によって提出され、議会で単独過半数で可決された。(6月3日)
5月30日には、君が代起立の職務命令が「慣例的儀礼」であり、憲法19条に違反しないとの最高裁判決(第二小法廷、須藤正彦裁判長)が出された。
続いて6月6日にも、最高裁第1小廷(白木勇裁判長)は、君が代起立にかんする職務命令を「合憲」との判断を示した。(一人は反対の少数意見)
これらに関する報道や評価には、賛否が当然伴うが、冷静に考えれば、これら一連の動きは、基本的人権、民主主義の土台に対する不気味な挑戦(憲法19条、23条、26条に関する,思想良心の自由、教育の自由に対しての侵犯事象)と言わざるをえないし、危惧を感じざるを得ないというのが僕の判断だ。詳細にわたる僕の判断論旨の展開は、別の場でおこなうこととして、ここでは以上にとどめておきたい。
関連する報道や、見解は下記を参照されたい。
君が代斉唱不起立 最高裁判決記事 2011.5.31 毎日新聞をダウンロード 最高裁判決に関する毎日新聞記事
最高裁判決 2011.6.6 読売記事をダウンロード 6.6判決に関する読売新聞記事
公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案が3日をダウンロード 朝日新聞記事
君が代起立条例学校をゆがめる人権軽視2011年6月6日 琉球新報社説をダウンロード
上記は、琉球新報社説
Isinjyourei_zenbunnをダウンロード 条例全文
日弁連会長声明 大阪君が代条例をダウンロード 日弁連会長 宇都宮健児氏声明
Ben_seimei大阪弁護士会会長をダウンロード 大阪弁護士会会長 中本和洋氏声明
条例化反対アピール(本文)をダウンロード 市民団体(「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪 )反対アピール
http://www7a.biglobe.ne.jp/~hotline-osk/kiritu-zyourei-seimei.html 上記賛同者
備忘録
5月30日(月)
午前は学部講義、この日は学生のグループごとのプレゼン。よく調べてくれている。
午後は、決裁案件。夕刻からは、文系の部局長会議。2件についての共同討議。
それを終えてから、科研費の英国調査結果に関しての研究会。僕とM君の2つの報告と、それを受けての討議。これからの方向性を確認する。
5月31日(火)
家人の用件との兼ね合いで、火曜日は毎週、朝早く起きて、家事その他多くのことをするが、やはり大学に出向く時間はあまり早いわけではない。大学では、9時半頃から、事務案件をこなす。相談事が2件あり、この日も弁当を作ってきたが、そのランチをとる時間がない。午後は、続けて2つの講義。終了後、遅い昼食をとる。
夕刻過ぎに、疲労もあって大学を出る。5月は、スポーツジムには結局1回しか行けなかった。
6月1日(水)
ついに6月に突入だ。午前は、大学院ゼミ。
午後は、4部局共通の課題の研究業務の会議。K先生が司会進行役。方向性の確認とともに、クリアすべき課題も確認した。その後、決裁処理。
夕刻は、歯医者に寄る。
6月2日(木)
開学記念日だが、特別な行事はない。この日から、大学祭が始まって、大学のハイストリートは、全学教育課程(教養)の学生たちやサークル、県人会、留学生の各国の出店が所狭しと並んでいる。
午後、院生のJさんの研究指導。終わってからは、事務決裁処理。あわただしい。
その後今週末の学会時の科研費調査の打ち合わせで、Sさんが来室。基本的な確認を行う。
夕刻大学を出て、夏用の着衣をつくるためになじみのテイラーに寄る。その後、「子ども 教育文化道民の会」の事務局・世話人会議があり、市内中心部にある会場に急ぐ。多くの案件討議があり、9時過ぎに散会。
6月3日(金)
会議の一つが流れたが大学に行く。大学祭で、部局1年生のクラスが出している店に昼食時に出向くが、焼き鳥やソーセージの焼き具合が時間がかかるようで、カンパだけを少額置いてくる。部局に戻る途中、中央食堂に寄り、普通のランチをとる。帰り際に、R部局のKさんに声をかけられ、色々な話をする。
午後は、多様な事務案件処理。
翌日からは社会教育学会6月集会(明治大学)。このところ、会議の連続で、体を動かしていない。この日は帰宅後、スポーツジムに出かけて体のこわばりをほぐす運動を行った。
投稿情報: 04:08 カテゴリー: ニュース・社会, 友人の記憶、友愛、つながり, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌, 大学改革、大学人の声 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
5月は、五月晴れのような日々であってほしかった。だが、この地はいささか寒く、曇りあり、雨あり、時々晴れというような日々であった。心模様もそのような日常的起伏に左右される日々だった。
備忘録
5月23日(月)
午前は学部講義、午後の院生指導は指導院生の都合悪くキャンセル。その分、事務案件の決裁処理。夕刻部局の会議。
5月24日(火)
大学に行く前に歯医者に寄る。午前は事務打ち合わせ。
この日は朝早く起きたせいか、自分で弁当をつくった。自分をほめてやろう!?
午後、学部講義と留学生向けの授業。その後もあわただしい。
5月25日(水)
午前は、院ゼミ、午後次週の全学的会議の用件で、主催されるK先生がわざわざ来室される。恐縮の限りである。夕刻は、大学院の共通講義。二人の教員の担当で、僕の担当はこの日まで。7月には4回、院生のプレゼンが予定される。
5月26日(木)
朝、1限時を使っての会議。重要案件の審議があった。その後、大学院の調査実験(修論指導)、
部局前の花壇では、つつじが満開だ。
午後は学部ゼミ、この月の半ばから少人数でもあることから、4階の僕の研究室で演習を行うことになって、この時間は部局長室から移動してやや解放された気分になる。終了後の事務案件を片付けて、夕刻には、急いで歯医者に行く。
5月27日(金)
この日から、日本教育法学会大会で新潟に行く。交通の便を考えてか、主催大学側(新潟大学)が便宜をはかってくれた。前夜のシンポは、駅南キャンパス(サテライト施設)、28,29日の研究大会は、旭町の医学部キャンパスを使うことになった。前回の新潟大会は、海岸砂浜沿いの五十嵐キャンパスで、ずいぶんと遠かった記憶がある。
理事会に続く、前夜のシンポは、「「日の丸・君が代」訴訟の現段階と課題」と題して、有益な報告が続いた。
加藤文也(弁護士)氏の「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(予防訴訟)の意義と到達点-東京高裁平成23年1月28日判決の内容と問題点を中心に-」、戸田綾美(弁護士)氏の「処分取消訴訟の到達点」、中川律(宮﨑大学)氏の「良心の自由論と教育の自由論の課題-国旗・国歌起立斉唱訴訟控訴審判決を素材に-」、安達和志(神奈川大学)氏の「「不当な支配」禁止と裁量統制」、市川須美子(獨協大学)氏の「東京日の丸・君が代裁判と訴訟の形式」と、角度を変えての5人の濃密な報告がなされた。司会コーデイネートは、開催校の成嶋隆、世取山洋介、両氏であった。
知られるように2003年の都教委による君が代への起立を求める通達(10.23通達)は、石原都政の意向を受けてのそれまでにない新たな教員統制への踏み込みを示すものであった。当然ながら心ある教師たちは。それを自らの良心と子どもの教育、教育の自由への野蛮な介入と考えて、その不当性を訴える集団訴訟が起こされた。しかし、この間には、憲法19条解釈をめぐって、君が代伴奏を命ずる職務命令は、違憲ではないとする2007年2月27日のピアノ裁判最高裁判決があった。この解釈には多くの批判、反論が寄せられたが、裁判への影響は大きいものがあった。そして、今年に入って、相次いで出された東京高裁の3つの判決があった。すなわち、①2011年1月28日「義務不存在確認訴訟控訴審判決」(都築裁判長)、②2011年3月10日「戒告処分等取消請求訴訟控訴審判決」(大橋寛明裁判長)、③2011年3月25日「停職処分取消訴訟等請求訴訟控訴審判決」(加藤新太郎裁判長)である。この日のシンポは、これらをどう読み取り、論点を明確にするかが論じられた。詳細は書かないが、示唆を受けた点は多かった。また、自分のこの間の考えも、この論争上からはずれていないことも確認できて有益であった。
終了後、幾人かと懇親会に出かけた。N弁護士、Kさん、Fさん、AWさんたちとであった。
教育法学会の定期総会は、28日から始まった。
左は、自由研究発表の様子である。3つの部屋に分かれたが、僕は主として比較研究を行っている部会に出た。「イギリスの学校理事会と民主主義」「韓国における教育規制緩和立法の現状と問題点」「高校生の貧困問題」「現代中国の教育格差と教育・学習の権利」が、報告タイトルであった。それぞれに興味深く、質問もしたが、ここでは詳細は書かない。
左は、研究総会で挨拶する市川須美子会長。
そして、研究総会では、三輪定宣氏の「義務教育費国庫負担法の歴史、現状と課題」、白藤博行氏の「「地域主権改革」と教育行政」が報告された。三輪氏の報告は、氏の研究の総集編ともいうべきエッセンスが込められ、展望において示唆的な精緻な報告であった。白藤氏の報告は、この間の地方分権・地域主権改革の(教育)法的問題構造を析出する内容であり、一部に異論があるとはいえ、僕にとっては有益な報告であった。
終了後の学会の懇親会、その後、二次会には、白藤氏を囲んで、かつての研究仲間で慰労会を行った。地の魚、酒のおいしいお店だった。白藤さんを囲んで、憲法学のTさん、Nさん、教育畑のTBさん、それに僕だ。故室井力先生、故長谷川正安先生、故鈴木英一先生、故小川利夫先生が取り持つ縁なのかも知れない。多くの議論がなされて有益であった。後半には、憲法学のAさん、公法分野のMさんが加わってにぎやかな会となった。
二日目は、午前は「教育財政と教育費」の分科会に出た。早田幸政氏(阪大)の「高等教育財政の現状と課題」、樋口幽美氏(ゆとりある教育を求める国の教育条件を調べる会)の「義務標準法の役割と2001年改正以降の教員配置」の二報告であった。前者には、興味深い面もあり質問もした。後者は、専門外であるが、示唆的な面も多くあった。
午後は、公開シンポジウム「教育格差と教育・学習の権利」3人の登壇者があった。渡部昭男(神戸大)、佐貫浩(法政大)、成嶋隆(新潟大)の各氏である。ただし、帰りの飛行機の関係で、僕は佐貫報告を聞いて、その後会場を後にした。
台風が西日本に来ているとのことで、雨模様になってきた。
北に向かう、飛行機は台風の影響もなく順調なフライトであった。雲海を渡り、1時間も飛べば、北海道の大地である。
気温は、まだ低い。この時期の移動はいつも温度差に悩まされる。今回もそうであった。
週末の旅を続けて3週目だ。あと2週も同様だ。無理せずにmy wayだ。
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週末出張が続くようになった。
備忘録
5月16日(月)
学内にもいささか遅れての枝垂れ桜の開花。
午前は学部講義、午後事務案件多く処理。夕刻に歯医者に急ぎ、治療。その後、大学に戻る。連絡をいくつかして、その後「こどけん」の重要案件審議を、駅近くのエルプラザで行う。終了は9時近く。
5月17日(火)
午前と、午後は、全学の会議。欠席できないので、講義を一つ休講にする。会議では、重要案件があり、メモをとる。午後はその多くを、事務処理案件に費やす。
夕刻は、大通りの事務所で「子どもと教育文化 道民の会」の事務局世話人会議。1月の学習会記録が、ブックレットになる。その最終校正の段取りや普及計画を立てる。その後は、参加者で、久しぶりに、近くのお店で懇親会。大いに飲み語り合う。
5月18日(水)
午前は、院ゼミ、夕刻は、院の共通講義。いずれも準備が必要で、前夜、帰宅後作業をした。
この頃、朝比較的早くに大学に来て、少し読み物ができる。午後は、講義資料作成などで時間が過ぎる。来客や、決裁など様々な用件があるが、それも織り込み済みだ。
部局近くの桜
5月19日(木)
朝、駅のコインロッカーに荷物を預け、大学へ。午前は院の調査実験(修論指導)。午後は、学部ゼミ。
終了後、急ぎ、駅から空港へ。羽田着後、9時過ぎに、ホテルに着く。いささか疲れて、遅い夕食を済ませると気力が失せる。論文の目通しは、中途だ。翌日の会議の案件にも目を通す。
札幌と東京では温度差がこの時期、ずいぶんとあって、体温調節に苦労する。
5月20日(金)
9大学の同じような課程をもつ学部長会議。今年は、T大学が当番校。最初に、文科省の担当の方から東日本大震災関連の案件での報告。その後、朝から夕刻まで、協議事項についてみっちりと質疑を行う。午後の時間からは、教大協(教育大学協会)の幹事大学が、オブザーバー参加。教員養成事項についても審議。それら、全体の詳細はここでは書かない。
夕刻過ぎからは、懇親会。医学部の13階のレストランからは、スカイツリーも良い眺望が得られる。幾人かは、既知の方もおられるが、初めての方々が多い。有用な話もいくらか伺った。適切な時間になり、散会。T大のK先生からは、震災関連の論考を拝受する。
ホテルに戻り、雑誌論文に目を通す。
5月21日(土)
ホテルからの東京品川近辺の眺望。よくもまあ密集しての建物群。
朝の適度な時間に羽田を発ち、新千歳に移動。昼からは、「こどけん」の総会と、関連するシンポジウムの開催。12時頃までに、会場に着く必要があり、いささか気がせくことも確かだが、移動時間は何ともならず、身をまかせる。
大学でもたれたシンポジウムは、なかなかに充実したものであった。関西と東京から来ていただいたSさんとN先生の報告、地元の当事者のKさんの報告、いずれも内容的にかみあい、響き合い、感銘を呼ぶものであった。コーデイネートは、この日は、AWさんにもっぱらお願いして、僕は補佐役に徹した。充実した討議を経て、17時過ぎに終了。
夕刻からは、参加者で懇親会。この場からの参加者もいて、大いに盛り上がった。僕は、疲れもあり、1次会で失礼した。
5月22日(日)
この間の疲労で半日は気力、体力が続かない。午後、気分を換える意味も含めて、散髪に出かける。N公園は、遅れての梅や桜の開花。園芸市もこの日が最後。
髪を短くすると、なにやら風が冷たく、寒い。
体調がいまいちで、この日にしようかと思っていたタイヤ交換や近場の温泉行きは、断念した。なんだかひたすら眠い。
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先週末は、金曜日は教授会。事前の幾度もの打ち合わせ、段取り設定はあったが、やはり多少の番狂わせはある。とはいえ、重要な案件は了承され、なんとか無事初航海はできたようだ。夕刻、同僚たちと懇親。
5月14-15日の土日は、第55回オホーツク社会教育研究会に参加。オホーツク社会教育研究会は、1982年9月に創立され、30年近い歴史をもつ有力な地域の社会教育職員と住民の学びの場である。僕もゲストで話をしたり(34回、43回)、その他の機会に、幾度か一参加者として学んできた会である。
今回は、開催場所を訓子府にして、ゲスト講師は、帯広市図書館長の吉田真弓さんであった。
訓子府は、札幌からはアクセスに多少の時間を要する。今回は、北見までJRで移動(特急で4時間半)し、そこからレンタカーを借りて、車で会場の訓子府公民館まで30-40分の距離だ。ふるさと銀河線が廃線となって、いささか公共交通機関での移動は難儀だ。片道5時間余りは、東京その他の本州の都市へ移動するのと変わらないか長いくらいだ。
北見駅風景。これは、帰路の時の写真。
帯広市図書館長の吉田さんのお話しは、「私が大事にしてきたもの-司書として、自治体職員として、どのように歩んできたか」と題するもので、その38年に及ぶ実践のナラテイブ(物語)は、多くの示唆と共感と刺激に満ちたものであった。出会いから学んだとされる人物の中でも、かつての小野寺館長や今回参加者の一人であった菊池(町長)さんの話も興味深いものであった。また市民の中にその存在魅力を広く普及し、行政の中で地歩を築く多様な艱難辛苦と粘り強い説得力、また地域の魅力を発見し、それを図書館という施設に組み込み生かしていく様々な工夫、そして何よりも吉田さんという職員の生き方は、強力な発信力をもつものであった。置戸のMさんが追っかけをするわけが分かったような気がした。
報告の後の濃密な質疑も興味深いものであった。オホーツク管内の職員たちあるいは住民の関心のおきどころにこそ、社会教育をとらえる勘どころというか、社会教育職員がもつべき問題意識の核心があるように思えたからである。このような学びと実践を通じての「教養」のひろがりが、様々な分野から吸収できる生きた学びと批判力、実践的創造力を可能にさせるのだろう。
夕刻からは懇親会。大いに話し合った。
翌日は、昨日来の討議を踏まえての「市民と職員が共に育つ社会教育施設」論をそれぞれの実践をもとに深い討議を行った。その後、総会を経て、昼過ぎに解散した。なお、北海道全体での社会教育のゆるやかなネットワーク的活動の実質化については、いくらかのアイデアを交換し、今後引き続き協議を行うことで方向を確認した。
2日目の散会時の記念写真。
解散後、レンタカーを時間までに北見で返し、JRで札幌まで戻る。いささか、疲労が蓄積する移動だ。
列車が豊平川を越えると,札幌に戻った気分になる。
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週明け後、やはりフル稼働気味だ。
大学人は、講義や演習、会議、学生・院生指導、校務仕事などの決められた時間割はある。
しかし、時には空いた時間には、本読みや、思索、フィールドワーク、研究会・学会、市民活動などの自由人稼業的な側面が,創造性の基盤でもある。無論、こうしたフレキシビリテイを前提とした裁量労働のもつ無際限労働の危険性については、かつて調べてこのブログでも指摘したこともある。法人化以降、極めて深刻な長時間労働が蔓延していることは、文科省調査でもはっきりと出ている。
とはいえ、時間管理型労働とは異なる、ちょっとした空き時間の安らぎと自由。そうしたハンドルの「遊び」のような幅が魅力の稼業なのだ。それが、少なくなる生活に突入し始めたようだ。それでも、かろうじて、夕刻以降や週末には、まだ限られた幅ながらその種の「市民」的活動空間での空気を吸う「自由」が残されることを良しとしよう。
受動性や愚痴のなかには創造の力はない。
条件を組み替えて、楽しんでいく余裕が必要なのだ。
現実を超えていく力には多分、体力、気力、(ある人は、根気、のんき、元気といったようだが)などは無論のこと
もちろん知力(知恵と構想力)がいる!
そして、厳しい現実を、相対化する笑い、もしくはユーモア(humor)が必要なのだろう。
とくに、このヒューモアというのは、なかなかに奧が深い。 味を出すには智恵がいるのだ。
おそらくは人間的度量の力なのだろうが、ぼくはまだまだ、智恵も修行も足りず、未熟者だ。
それでもそのことを思うだけでもプラス思考で良しとしよう。
備忘録
5月9日(月)
午前、総長室にて辞令を受ける。部局に戻り、別の同種の仕事。急ぎ、講義に向かう。午後、多様な事務仕事や打ち合わせが続く。
帰宅後、継続している原稿仕事。深夜、書斎のソファで仮眠をするものの、寝不足状態。
5月10日(火)
朝の犬の散歩。朝食づくり。継続仕事を区切りの良い時間で切り上げ、大学へ。
雑務仕事の後、午後講義。さらに多くの事務案件。
夕刻、急いで秋の合同教研集会の世話人・事務局会議の場所に向かう。多くの課題を確認し,集会イメージを固めていく。後半は、子どもたちや教師の置かれているリアルな状況がエピソード的あるいは実践的なかたちで語られる。示唆的な内容も多かった。9時過ぎに散会後、パーキング場所に行く間にも濡れるような雨足。
帰宅後遅い夕食。仕事の残りを始めるがさすがに,体力不足。眠い。少し作業を進めてから、この日は眠ることにする。
5月11日(水)
3.11東日本大震災から2ヶ月だ。
朝シャワーの後、大学へ。院ゼミ前の1時間でいくらかの案件処理。午前は,大学院演習。昼は、このところ食堂や外のお店に行く余裕もなく、弁当を買っての部屋での食事だ。
プリンターの設定をするのに時間がかかったが、動き出す。午後は、事務打ち合わせがいくらか続いていく。確実に進めていく上での重要な段取りである。
夕刻近くに、同僚と院生諸君があらわれて、花を贈ってくださる。暖かい心に多謝だ。
夕刻は、大学院共通講義。終了後、部屋に戻り、幾つかの案件処理。
今日から3日間、家人は、私事で大阪と名古屋行きだ。今朝は早い時間での出立だった。
そこで、 途中で買い物をして帰宅。遅い自分の夕食づくり前に、犬のシローの夕食を用意する。
夕方は戻れないので,3日間は夕方の散歩だけを、ペットシッターにお願いしている。
書き物仕事は、四の五の言わずに、時間をみてやっていくしかない。
仕事は、朝早くか深夜か。それしかない。
early birdか、ミネルヴァの梟(フクロウ)となるか、
それは、思考のテイストをいささか変えるのか、変えないのか、
などと、くだらないことを思うようになったので、今日はもう寝よう。残りは,朝の仕事にしよう。
投稿情報: 02:53 カテゴリー: 友人の記憶、友愛、つながり, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌, 大学改革、大学人の声 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
5月に入って、仕事の風景が変化してきた。
2月の教授会での選挙結果から、5月1日から2年間、期せずして、部局の管理的業務に就くことになった。まったくの予期せぬ結果で、戸惑ったが、支援を寄せる方もあり、受け入れることにした。従来の研究、教育の活動は同じだが、いささかの制限も加わることになる。
下記は、HPでのメッセージだ。
http://www.edu.hokudai.ac.jp/outline/index.html
2日は、その仕事始めだったが、6日には主宰する会議で、この間準備してきた内容だが、部局の自分なりの構想を示し、同僚諸氏から意見や助言をいただいた。今後、このような機会が増えていくのだろう。
夕刻には、駅近くのエルプラザで、福島原発事故の問題での、文科省の基準値変更に関する、「こどけん」の撤回要請に関しての会議。最終的な文章のつめや要請先について、幾人かと協議して決定する。
なお関連しての全国的な運動での現状と署名は下記を参照されたい。
http://www.youtube.com/watch?v=5Av7gUtzq9M&feature=player_embedded
○ 福島原発事故「20ミリシーベルト」撤回委署名第2弾
子ども「20ミリシーベルト」基準の即時撤回および被ばく量の最小化のための措置
を求める緊急要請
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署名はこちらのサイトから
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/19
要請のPDFバージョンはこちら
http://dl.dropbox.com/u/23151586/petition_20mSv_part2.pdf
エルプラザでは、東日本大震災市民支援ネットワーク・札幌(むすびば)の活動が継続されている。
5月7日(土)
午前、連休前に予約していた歯医者に行く。加齢の初期段階か、身体のいたるところに勤続疲労の欠陥が目立つようになってきている。ポンコツの身体を治しながら使っていくしかないのだろう。医者を代えて、今回の歯科医は治療方針が明確で分かりやすい。
帰りに、近くのN公園を歩く。ようやく、札幌でもこの日に開花宣言だ。ただし、小雨交じりで、寒い。
人通りもまばらだが、寒さに耐えながら桜は花開いてきた。
この日の午後は、スポーツジムに行き汗を流す。多分、日中に行く余裕は,週末もなくなりつつあるので、受付で、夜間のコースに変える手続きをする。それとて、今後どうなるか。しかし、自覚的に体を動かすことが肝心だ。
帰りに、図書館に寄り、家人の借りた本を返す。夕食レシピは、書店で求めた「男子ごはんの本」に従い、2品(刺身ときゅうりの中華和え、粉ふきいものブルーチーズソース)をつくる。それにいくつかを加えて(スープ、北海道産の小麦のパン、デザート)完成。白ワインで乾杯。
5月7日(日)
この頃、犬のシローの目覚めと散歩催促の鳴き声が早く、朝が早い。仕事もその分、早く始まる。午前は,資料の整理で終わる。午後は,大学に出向き、月曜以降の講義資料作成と印刷などで、時間がつぶれる。予定していた仕事の半分も行かない。しかし、この日に講義資料を作っておかないと、明日以降の予定では時間がない。
帰宅後、残された仕事をすすめるがはかどらない。とはいえ、やるしかないのだ。
投稿情報: 02:21 カテゴリー: 健康, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌, 大学改革、大学人の声, 散歩、四季の道, 食 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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