2008年度も終わりが近づいた。
3月19日遅くに、英国出張から戻ると、3月20-21日には、北海道教育学会・日本教育学会のシンポや自由研究発表があった。内容的には、興味深く刺激的なものであった。僕も、ジェットラグの残る体で、「今北海道の学力を考える」というシンポジウムの司会コーデイネータ役をこなした。その後、22日には、子どもの権利条例市民会議の例会、この3月末で名古屋に戻る同僚のTさんの送別会(21日)などが続いた。23日には体も心もヨレヨレ状態だったが、休むわけにはいかず、大学に出て会議や引っ越し作業を行った。
24日には、久しぶりに「子ども 教育・文化道民の会」の世話人会議があり、これまた刺激的な話が多かった。子どもの貧困問題が、家計に、教育現場に、生活相談や法律相談に実に具体的に顕在化してきている。
また、この間は、僕が研究代表の科研報告書の編集と作成も並行して続いた。何とか刊行できそうな目処がたってまずまずだ。問題は、精神的にも、肉体的にも、ぼくも限界を感じる疲労たまってきていることだ。
しかも、この間、研究室の戻りの引っ越し作業で落ち着かない。直近では、3月25日の学位授与式前までに、会議室の引っ越し段ボール箱を研究室に入れるということで、運び込んだが、僕の今のスケジュールでは、時間的な余裕がなく、整理がままならない。耐震改修工事が終わった研究室には、まだ開封できていない段ボール箱が山となっている。しばらくは少しずつこの山をくずしていくしかないのだろう。(入りきらないので、一部は、家に運ぶしかないのだが)
25日は、学位授与式だった。全学の授与式の風景は見ていないので知らないが、(この大学には、大きな講堂がないので、入学式はコンベンションホール、卒業式・学位授与式は、第一、第二体育館でやっているらしい。)部局の学位記の授与は、部局長が一人ずつに手渡して祝言を言うことになっている。学部学生の学士の学位授与に続いて、修士、博士のそれぞれの学位記がA学院長から手渡されていた。僕は、今年は関係した博士学位の主査役(2人)、副査役(1人)をした3人に、お祝いを込めて会場には参加した。この日は、夕刻には研究室での研究会とささやかな祝宴を皆で行った。
26日は、さすがに体の疲れもピークだが、科研費の報告書の印刷段取りをつけた。
27日は、長野県阿智村で行われる現代生涯学習研究セミナーに、報告責務もあって出かけた。開始時間の関係上、前泊しないと間に合わない。名古屋経由で行くことにした。中部空港に着くと、札幌とは違う陽光と春の風情だ。知多の海ものどかにたゆたっていた。
名古屋に出て、夕刻は、少し時間ができて娘のMと連れ合いのT君とで食事をした。南フランス料理なるものを食した。無論払いは僕であるが、なかなかに美味であった。彼らも仕事は厳しいが元気で何よりであった。名古屋駅の風景は、何十年と変わらないビルもあれば、この間いくつも建てられてきた高層ビル群が林立し、両者が並立している。ホテルでは、無線ランが使えたのでいくつかのメールの返信も行った。
28日朝は、名鉄バスセンターから、阿智村昼神温泉の会場に向かった。第21回を数えることになった現代生涯学習研究セミナーである。中央道の道すがら、恵那、中津川あたりの山すそにはソメイヨシノやしだれ桜が開花していて、春の山の情景だ。外国人の女性がガイドブックを片手に馬籠のバス停で降り立っていった。藤村の文学散歩であろうか?
阿智村は、岡庭一雄村長が3期をつとめている小さくても輝く村づくりの典型の一つを為す自治体である。このセミナーは、故小川利夫先生の夢とロマンから始まっている。
このセミナーの代表の一人である水谷正さんが開会挨拶だ。初日は30名弱、第二日は50数名、参加者登録は58名であった。僕は、初日に基調の報告を行った。「現代的地域再生と社会教育・生涯学習の課題-新自由主義的改革の終焉の時代に-」と題したものであった。準備の余裕がなく、この1年間に考え、体験し、議論してきたことを出す以外に、僕には今のところ誠実な方法がないと開き直ってのことでもあった。英国と韓国と日本の議論と事例を比較し、考えたものであった。参加者にどのように伝わり通じたのか?いくつか質問を頂いたのは何よりであった。
夕刻以降は交流と議論の時間が続いた。年齢も、地域も、職種も異なる色々な人と色々な話ができた。これもセミナーの良さだ。議論も尽きて、深夜、寝る前に温泉に身を沈めて、静かな時間を過ごしたのが唯一のほっとした時間だった。29日も、4本の報告が続いた、松川町の松下拡さん、松本市の高橋伸光さんの報告はさすがに迫力があった。今年の夏には、第49回社会教育研究全国集会が、この地でもたれる。新委員長になった上田幸夫さんが挨拶を行った。彼らしい飾らない誠実な
挨拶であった。
すべてのプログラムが終わり、帰路についた。僕は往復の高速バス切符を購入していたので、それで帰ったが、疲れもありほとんど寝ての車中であった。
空港に向かうべく電車を待っていて、コンコースを眺めていると、名古屋駅は、日曜夜の帰宅客で込んでいた。恐らくは僕もこういう日常世界に
戻っていくのだ。
明日からは、学部と院のゼミ合宿だ。大雪青少年の家に向かう。僕は、行き帰りの運転もあるが夜は静かに過ごしたいと切実に思うのだが・・・さてどうなるか。
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