毎年そうだが、講義などの授業が一応一区切り付くと、どっと体に疲れがやってくる。レポート読みと採点などは残しているが、一応夏期前の授業は終わった。少しだけ時間をとっての仕事ができるようになる。
心の休養か。今日はややテンションが低い。
散歩に出て、レンズに映ずるのは安らぎを求める自分の心かも知れない。
コンサートホールには高校生たちのブラスバンドクラブの発表会か。終了後のリラックスした雰囲気が漂っている。
道ばたでは野草がひっそりと花を咲かせている。
こういう日はやや回想モードになる。
手書きの日記に、筆をとって戯れに、駄歌を書いてみた。
こころざし
今も生きえて
あらまほし
アラカン男
我が胸に問ふ
いつどきか
父なき子ども
いたずらに
荒ぶれりやか
羅針盤なく
道半ば
峠に立ちて
過ぎ去りし
あの日々にこそ
我がすがたあり
いにしえも
いまもおなじく
その日々は
現世に惑ふ
日々たるらんや
楽しきは
思ひ出の中に
封印し
越えて来たれり
幾霜月か
雲流る
果てにや何を
望みてか
われ夏の日を
送りしあらん
行き来するのは、この30年ほどの時間だ。
追記:
64年目の8月6日。核廃絶に関するプラハでのオバマ大統領の演説が、共感をもって世界で受け止められている。米国の軍事的プレゼンスを支える米国内の保守勢力や軍部そのものの壁は厚く、大統領の示す方向に様々な妨害があるであろうが、いったん始まった流れは、止まらない。広島での麻生首相の今年の唯一の功績は、原爆被爆認定について、裁判所の決定に従い、すべての訴訟患者を認めたことだ。しかし、遅きに失した決定である。40数人の方が、この間にこの決定を知ることなくこの世を去られた。広島での首相の挨拶は、相変わらず原稿の棒読みであり、胸を打たないものだった。何故ならば、彼の立ち位置は、一方での核拡散防止の言明をしたとしても、他方では、アメリカの核の傘の下での安保を維持し続けることを望むという二重基準に立っているからだ。これでは、世界から相手にされない。唯一の被爆国の首相としての、思想性も矜持もない発言だ。広島市の秋葉市長のように、原子爆弾被爆地の市長として二度と悲劇を起こさせないための、核廃絶をうたい、オバマ発言に呼応する内容はさすがであった。
日本の政治は、憲法9条を前面に出して、何故発言できないのだろう。日本に必要な外交力とは何か。それは、核廃絶と地上から暴力と戦争をなくしていく、揺るがぬ平和への意思でなくてはならない。
今年も、NHKの8月(に限ってというべきか)の放映ドラマ、ドキュメンタリーは、すぐれた作品が多い。何故ならば、国民がそういう水準の内容を求めているからだ。<ノー・モア被爆者!>誰も、この点については、文句は言えない。この一致点を、広げていきたいものだ。
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