今週もあっという間に過ぎた。例によっての備忘録。
11月19日(木)
午前は、修論指導ゼミのはずだったが、報告者の家族が新型インフルで事前欠席の連絡。一日前の連絡で、周知できず、院生の皆は、集まりはしたものの流会。午後、学部ゼミ。農場作物の林檎を求めていたので、ゼミの合間に食す。夕刻の出講先の大学院ゼミも、今日は出席者が全員風邪でダウン。一気に冷え込んできたので、季節性インフル、新型インフル、風邪とパターンは異なるが、いずれも流行の兆しがあるようだ。夕刻研究室で作業を続ける。
11月20日(金)
昼休みは、組合のビラまき。今期は何度も当局に抗議するビラまきをおこなってきた。午後、来年刊行予定のテキストについて出張されてきた出版社担当の方と打ち合わせを共同編者と行う。何とか目処がつく。
夕刻は、予定がいくつもぶつかったが、市民活動のフォーラムに参加する。その会からは、アドバイザ-役を頼まれたが、僕は偉そうにアドバイズなどできる訳ではない。
僕は事前に、友人たちの案内に以下のメッセージを送っておいた。
明日次の催しを行います。
主催:フリースクール等で子どもを育てる親の会」、後援:北海道フリースクール等ネットワーク、
テーマ:「学校だけじゃなく・・・子どもの最善の利益を考える」という企画です。
不登校の子どもをかかえる親の方が3人具体的な事例を話され会場でそれを含めて討議、交流します。この種の親の会の横断的な全道レベルの集会としては初めてです。僕は非力ながら、助言的に、この日参加します。でも、なにかえらそうに助言できるような力はありません。
できることは、聴く力をとぎすまして、共感すること、なにをどうしたらよいかをこれまでの研究上・実践上の知見から一生懸命考えるくらいのことです。
この企画には、各政党議員や道や札幌市も関係しています。
弱い立場の人々に自助努力や自己負担を強いるやりかたを変えていくためにも、現実をしっかりとみつめ、認識を共有していくことが大事です。
不登校の子どものつらさ、親の気持ちの切実さ、をそのままに受け止めること、
そしてフリースクール等が居場所や自分を出せる場を提供していることの意味を考えていくこと。
学校はすべてではないこと、しかし、学校が楽しければそれも大事なこと。そして、いまある学校を変えることも視野に入れて、複眼的に考えること。
「ひとつの正しさ」にこだわらず、多様な視点から、違う立場に立っての交流と連帯が大事です。
誰もが痛みを強いられる、この社会の中で、
変だぞ、おかしいぞ、なんとかしようよ、なんともできないのが苦しいよといったこえをお互いに探しあい、話し合いましょう。
IMG091120.pdfをダウンロード 事前の案内ちらし。
IMG0911201.pdfをダウンロード 地元の新聞記事。
フォーラムは、50人近い参加者を得て、報告者の内容に耳を傾け、共感の涙を流す方も少なからず見受けられた。僕は感想を友人たちに以下のように記して送った。
「・・・・昨夕の3人の方の報告は、こらえていてもこらえきれないほど参加者の共感の涙や感動を誘うものでした。三人のお話しには、お子さんの不登校体験に一緒になって寄り添ってずいぶんと苦しい思いをされながら、一つ一つくぐり抜けて来られた重い体験が詰まっていました。そうした中で、フリースクールなどで出会った、救われるような新たな発見の気持ち、社会の規範や学校の縛りなどを気にせず、自分らしく生きることの重要性、学びは一つの決まった形ではないこと、等々、そこで体と心全体で感得されてきたことを率直にお話しされました。
そういうお話しは、僕のようなものにも心の琴線を揺さぶるものがありました。不登校は罪悪でもなければ、子どもや親が悪いわけではない。原因は社会にあるのですが、しかし、そこで社会が悪いというだけではなく、具体的に一人一人の事例に則して、理解を深め、自分の言葉でつながりあっていくこと、それが重要と思います。そういう体験の深い理解を通じて、社会へのアクションがされるべきと思います。・・・」
フォーラム終了後の懇親会でも、この日の出発点の重要性がこもごも語られた。恐らくは、昨日のフォーラムの成果と余韻は確実に次につながっていくと僕は思う。
参加した友人のSさんも、翌朝次のメッセージを送ってこられた。
*******
「・・・・前略・・・・
1)自由学舎クラムボン(帯広)
2)フリースクール札幌自由が丘学園
3)訪問型フリースクール漂流教室
各1名ということで、合計3名の保護者の方からの報告がありました。
それぞれの発言には当事者でしか解からないことも含めて、胸に突き刺さることばが沢山ありました。発表することは、それ自体が時に苦しく、聞いている参加者にも同様の体験をされているため、あちこちで共感の嗚咽が漏れていました。
フリースクール等に辿り着いて「自分の居場所」を見つけた『子どもたち』は、何とか救われる糸口を見つけ出すことが出来たのだと思いますが、そこに至るまでの苦しみは想像に難くありません。保護者から語られることには、子どもが発するSOSのことばや行為が多く出てきます。⇒「自分は生きている価値が無い」・ 「自殺未遂」、また、
学校との関係では、「今日もお休みします」と伝えることがとても辛かったり、教師の暴言「弱さ、わがまま、逃げ」などもあったりします。
「今のままの自分で良い」や「今のままで認めること」は、子どもたちの『自尊感情』を高めることにつながります。不登校の理由が「いじめ」であったりすれば、なおさら学校に通うことが辛く、子どもたちにとって、フリースクール等が『大切な居場所』になっているとすれば…その子どもにとって、「子どもの権利」が侵害されない場所が本当に重要なのです。・・・後略・・」
11月21日(土)
いささかこの間のタイトなスケジュールのせいか、疲れが抜けない。
この日は、雪が降り、少しだけ地表を白くした日だった。たまった仕事については、少しずつ少しずつ歩を進めること、それ以外に道はない。
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