3月18日(木)
前日の雑務多く、ほとんど眠る時間無く、新千歳空港へ急いだ。JR移動中、機内での時間は睡眠を補うべく、音楽を耳にしながら眼をつむって過ごした。曽根麻矢子のチェンバロ、平原綾香のpath of independenceというやや癒し系の音楽だ・・
3月年度末に、木、金と年休を2日間とった。その後の週末は自費研修。前者は、一つの区切りをつけることが目的。後者は、殆どずっと休まずに参加を自分に課してきた現代生涯学習研究セミナーへの参加。
降り立った空港は、中部国際空港。幾度も降り立ってきたが、今回の着陸直前のフライト航路からは、渥美半島から知多半島に入っていく中で、眼下に佐久島、日間賀島、篠島がくっきりと輪郭を見せている。春ののどかな海面に陽光が反射し、漁船の移動がのどやかさを写している。上空からは、知多半島の先端から海岸べりが美しい。かつての僕のフィッシングや手近な旅のフィールドだった。色々な場面がフラッシュバックする。
空港に着き、この日の日程を会うべき人々と確認する。
一旦荷物をホテルに預けて、今回の目的たる自宅マンションに向かう。
真ん中の道路のずっと奥だ。周りの開発でこの23年間の変化は大きい。
子育ての真っ最中を過ごした住み家だ。1階下のKHさんの焼香をと幾度も電話するが、パートナーのNさんは、4月からの自らの転出を含め多忙のようだ。連絡がつかない。今回はあきらめて、別にお悔やみの手紙をお出ししようと思った。
僕は、かつての住み家の現状を確認した上で、他区にある約束の司法書士事務所に向かった。地下鉄で、かつての細君と落ち合う。私的なことなので、細かいことは書かない。長年ローンを払い続け、97年以来、住むこともなく住み家を無償で提供してきたのだが、ローンの残債がなくなりつつある時点で譲り渡すのだから僕もお人好しだ。しかし、もう良いのだ。区切りをつける時が来たのだ。そして、財産を持たない人生も僕の性分なのかも知れない。
司法書士事務所で法的な手続きを確認し、互いの帰路の分岐点の地下鉄近くのカフェで、今後の処理などをかつてのパートナーと話し、共通の話題たる成人した子どもたちの近況を確認し別れる。人生の分かれ目をまた一つくぐったと思った。
夕刻、偶然この日開催されていた社会教育推進全国協議会愛知支部の事務局会議があることをSさんから聞き、顔を出すことにした。会議の場所は、地下鉄の吹上の近くだった。懐かしい面々がそろっていた。楽しい時間を過ごした。
この日の会議では、刺激的な情報も多く議論は闊達だった。散会後、二次会を喫茶店で行う。四方山話も良いものだ。
3月19日(金)
午前に銀行に出向き、必要な手続きを教示してもらう。一区切りだ。銀行を辞して、かつての僕のコミュニテイを歩く。この気分は、まるでsentimental journeyだ。色々なことが胸に去来する。ふと胸が熱くなり、涙腺を刺激する。
もう、今後このあたりを歩くこともなくなるのだろう。
午後はホテルに戻り、仕事をする。
メールをチェックすると、職場のH大学の組合の労働委員会の救済申し立ては、朝日、毎日、読売、NHKで報道されたようだ。やられぱなしで良いはずがない。僕らも黙ってはいない。当局に一矢報いる、たたかいの始まりだ。
仕事の途中だが、少し夜に入って、空腹になった。そこで、中心部のいくらか知っている店に行く。
向かったのは「設楽」。東三河の山菜や地の魚貝が中心の小さなお店だ。
酒は、「空」をはじめ、地の良酒。この日は、スタンダードな蓬莱泉の燗酒。
旬の知多のアサリの酒蒸し、富山のホタルイカの酢みそ和えの前菜に続き、地の煮物の盛り合わせ、それに今が旬の白魚のお造り。
至福な時間の合間に浮かぶのは、かつての時間のフラッシュバック。心もセンチメンタルか。
近くの中華菜店の長く細く営業している店(僕の学生時代にもあった)で、麺を食して帰る。
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