立秋以降、この地は確実に本州より一足早く、秋に向かっている。
時折、車で大学に向かうとき、夏休み子ども科学電話相談という番組を聴くことがある。ラジオでの小学生の夏休みの宿題や観察実験、日頃の疑問などについて、複数の専門家が丁寧に答える番組である。子どもの疑問が本質的であったりして、はっとさせられたり、ほほえましい質問もあって楽しい。ただし、子どもの質問の口の聞き方が、毎年崩れてきているというか、非社会的になっているようにも思える副産物の発見もある。こういう番組を聞くと、本州はまだ夏休みの最後の追い込みの時間が流れている-僕もそういう時代の空気を思い出す-なと思う。しかし、当地は小中高は、8月18日頃からもう二学期の開始。8月の最後の2週間は、本州の子どもと北海道の子どもでは、多分、人生の記憶において随分と風景がちがうのだろうなとふと思ってしまう。
さて、お盆過ぎには、大学に校務や学生・院生対応で出向くことが多かったが、その他の時間は山積した仕事の山を一つずつ崩す作業の日々であった。一日何もしないで、自然とたわむれるという時間は今年もなかった。本来の類的生物的存在にたちかえるような時間をつくれなかった。悲しむべきは、貧しい文化創造性を打ち破る内的な力と計画性であろうか。
先週末は、日本教育学会に参加してきた。同時期に、N氏の新潟の別荘での日韓交流の企画や、「教育研究全国集会2010-教育の集いin和歌山」などがあったが、いずれも時間が重なって参加できなかった。
教育学会では、20日に理事会があり、21日、22日は研究大会であった。今年は、広島大学が開催校であった。随分前に、別の学会で、東広島市へ移転直後の広島大学に行った記憶がある。山を崩してできた、広大な敷地に、大学の建物がむき出しで建ち並び、周りには何もないような印象だった。今回久しぶりに再訪すると、周りに民家やビルも増え、緑もいささか濃くなってきたが、やや殺風景な印象は変わらない。
「若者の教育とキャリア形成に関する調査」の3年目調査「働き 学び 生きる 22歳の若者たち」の報告。刺激的な内容であり、検討の多角的な視点が必要と思われた。
今回は、旅行業者に頼むのが遅れたせいもあるが、ホテルを取るのに苦労した。東広島駅(新幹線駅なのだが、周りには何もない。まるで、その設置経緯の政治的おそまつさでひんしゅくを買った岐阜H駅のようだ。)近くのホテルになった。移動にあたって、西条駅や広島大学との公共交通機関の連絡が不便であり、またホテル周りの食事場所も少なくて初日に苦労した。2日目以降は、大学へは、タクシーでの移動になった。今回は、大学とホテルを往復するだけの、いささか単調な滞在であった。
研究大会そのものは、20日の理事会では、学会事務局担当理事から昨年の活動報告や今年の計画が審議され、決算、予算等の詳細な報告があった。H地区理事の僕とT氏は該当の部分を報告したりもした。
21日、22日の自由研究発表や特定課題研究などでは、指導院生の報告を聞いたり、若者の支援と青年期の移行に関するいくつかの報告、さらに高等教育関連の報告を聞き、刺激になり、学ぶことも多かった。ただし、ここでは、詳しくは述べない。
最終日は、飛行機の関係で午前のプログラム参加のみで、失礼した。空港では、待ち時間がかなりあり、小イワシの刺身やじゃこ天、殻付き焼きカキなどを賞味した。
羽田乗り継ぎ、新千歳空港経由で、帰宅はやはりそれなりに遅くになった。広島は36度Cもあったせいで、体の体感温度の高さや消耗度は相当なものであった。そのせいか、札幌の夜のひんやりとした空気にほっとした。夏の過ごしやすさは、この地の特権であろうか。
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