今週も慌しく過ぎている。
10月25日(月)
10月末日から11月最初の週は、英国成人継続教育調査に行く。午後に、そのうち合わせを参加メンバーで行った。初めての顔合わせもあり、日程、質問事項、訪問先その他を確認する。 夕刻は、11月13-14日に予定されている合同教育研究集会の世話人・実行委員会会議。日程の細部と基調報告内容について討議。子どもと教育の現実把握について、刺激的で興味深い内容もあった。http://www.goken-hokkaido.jp/
26日(火)
天気予報の予想通り雪になった。10月に雪は、ここではそう珍しくはない。しかし、夕方の新聞には小笠原諸島の島から来た修学旅行の高校生は、半袖で島を出てきたのでびっくりしたりはしゃいだりで喜んだとあった。
さて、朝9時に、パレステイナからの研究者のRさんをホテルに迎えに行く。昨日東京でオリエンテーションを受けて、昨夕札幌に着いたのだった。1年ほど前からやり取りをして、受け入れに至ったものだ。12月初めまでの短期滞在の学術共同研究員ということになる。最初の生活になれるためのアシスタントをしてくれる院生のHさんも一緒だった。重い荷物を僕の車に積んで、大学が借りあげている民間マンションの宿舎の部屋の立会いに行く。鍵の受け渡し、細かなルールの説明があり、終了。その後は、大学に行き、研究室、図書館、パソコンのネット環境化、等々について各事務部門と折衝。ひと通り終わって、僕の研究室で、Rさんと色々と話す。今のところ、コミュニケーションは、英語でするしかない。あとは、Hさんにバトンタッチして、留学生センターや国際支援課などに足を運んでもらうことにした。
夕刻は、講義がある。この日はゲスト講師の話が主で、僕はコーデイネータ役だった。終了後、足元がぐちゃぐちゃの道を歩く。靴はずぶ濡れだ。風も強く、所々で重い雪のせいか、イチョウの枝が折れている。
27日(水)
雪が相変わらず残っている。
午前は大学院ゼミであった。午後は、年休をとって、道庁別館にある労働委員会に出かけた。大学教職員組合が申立人となって、大学法人を被申立人にしての救済申立である。昨年の三回目の団体交渉で、討議途中に一斉に席を立って交渉を打ち切ったこと、その後は言をはぐらかし、交渉を続けると言いながら、賃金の不利益改訂を断行し、その後は一切組合と会おうとしなかった当局に対しての申立である。国立大学法人化以降は、教職員は国家公務員ではなくなった。しかし、短期間で出向してくる文科省役人は、この変化を意図的に無視するのか、あえて理解しようとしないのか、賃金法定主義の感覚を外そうとはしない。まして、非正規職員の処遇の低さや非人権的待遇に対する人間的感受性はゼロに近い。労働法世界での労使交渉による賃金や労働条件を決定していくというルールを無視しての不誠実交渉であり、組合を対等なパートナーと認めず、無視していくという不当労働行為の救済申立ての第一回審問日である。この日は、申立人側(組合)の2人の証人に対する審問であった。お昼時間での打ち合わせ(弁護団、証人、補佐人)を経て、審問終了まで5時間の長丁場であった。2人の証人の審問への態度、応答はしっかりとしたものであって、大学がいかに理不尽に対応してきたのかが浮き彫りになるものであった。相手方の代理人(弁護士)の論点ずらしと貧相な発想(揚げ足取りや苛立たせようとする方法)にあきれたが、申立人への代理人(弁護士)の主審問はなかなかに問題を浮かび上がらせるのに効果的なものであった。すでに寒冷地手当問題で、大学当局は裁判で言えば敗訴に近い結果としての確認書を取り交わしているのに、またもやの愚を繰り返しているのだ。昨年の最初の団交での当局事務方トップが、大学と組合との確認書について、あることは聞いてはいるが読んだことはないと平然と言った場面がフラッシュバックした。最初のボタンの掛け違えがここまできているのだ。
この日は、審問に向けて外部団体や大学組合メンバーが応援に34人も参加してくださった。我々の証人、補佐人、弁護団を入れて40数人の参加であった。参加人数においても、正当な理由のない賃下げ(大学はこの不利益改訂で7億8千万円もの費用を得た)への憤りの熱意においても、公正な理由においても、まちがったことを許してはならないと思われるのであった。
夕刻は、再び大学に戻って、いくつもの校務仕事、原稿書きの作業を続けた。この日は、いささか遅くになってから帰宅。体の芯まで疲労がたまっていることは、しかたのないことか。
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