3.11から13日になった。日々の報道の重点は、少し変化し始めている。
一つは、地震と津波によって破壊された被災地の被害のデイテールが分かってきて、被災にあわれた人々への支援のきめ細かい対応を求める段階に入ってきているようだ。TVも新聞も、被災直後の衝撃的な映像ではなく、個別の当事者の声を拾い届けること、なるべく早く、学校、体育館、公民館、役場などの避難所暮らしから脱却して、仮設住宅あるいは公営住宅などの入居の具体的段取り、コミュニテイを崩さないかたちでの暫定的移住とその受け入れなどの検討策が主流となってきている。
しかし、この中で在宅避難された人々や孤絶した地域の困窮も伝わってきている。風呂の水でおかゆをつくった、プールの水を飲まざるを得ないようなことがあってよいのかと、窮状が伝えられている。広範囲の被害の中で、取り残された人々の救援は一刻も争う事態となっており、支援の重要な課題となっている。
他方、支援の輪も重層的になってきている。企業や自治体の支援物資に混じって個人の支援受付も始まってきた。各地の救援隊の現地入り、ボランテイア団体も、自衛隊、警察、自治体職員とクロスしたうごきになりつつある。コミュニテイ単位の自主防災組織も組織されつつある。
しかし、時間の経緯とともに家族や知人友人を喪った悲しみは重く一人1人に沈潜し、癒しようもないつらさであろうことが伝わってくる。「悲しみのケア」などと一口に言うが、事柄は単純ではない。
僕の家にも飼い犬がいるので他人事ではないが、二次的な問題とされていた取り残された「ペットの命を奪うな」という動きもボランテイア団体から起こされている。
家族の誰かを喪い、家財を失い、仕事も失い、コミュニテイが分断され、学校もなくなった、あるいは高校や大学、専門学校などに受かったものの進学を断念しなければならないといった方々に、どのような支援が求められているのであろうか。泣けるだけ泣いて、悲しみを分かち合うことも必要だろうし、そっとしてほしい時間や空間も必要だ。その上で、当事者の自律的な復興意欲を後押しし、就労・就学機会を生み出していく、地域のつながりを再生していくには何が必要か。僕は、自分の関係する市民組織で、そういうことを考えあい、智恵と力を出し合うよう、よびかけるささやかな動きを始めつつある。
ところで、大震災のもう一つの深刻な問題は、原発事故の問題である。被災地域以外の人々にとっては、もはやこの方が大きな関心事になっている。その意味では、これは、すでに日本の問題ではなくグローバルな問題となっている。global concernという事態である。
既存のメデイア(新聞、テレビ)は、残念ながら、こと原発に関しては、後追い報道が大半であり、政府(官房長官、経産省原子力保安院)や東電の説明は、原発「安全神話」がだめになると、信頼できない「安心神話」を振りまいているのが実情である。
このなかで、肝心な事態の本質に迫り、緊急事態の時にとるべき最終手段への決断が引き延ばされている。
「当分の間」「ただちには」「人体に危険なレベルにはまだ・・」などと言っている原発推進派の学者、放射線防護学者、医療、栄養学の識者の言明の翌日には、さらに事態が深刻さを増して、危険範囲は拡大している。「原子力サークル」、「原子力村」と呼ばれる利害一致集団による、国民あるいは世界の人々の安全と地球的利益の損壊が進展している。
<私益をもって公に害をなす>(田中正造)という意味での原子力「公害」は、ここにきて明白な事実となっている。御用学者たちの言説に従うことで、住民・国民の命が危機にさらされてきている事実は、笑えない喜劇である。
関係機関は、なぜデータを出し惜しみせず、その一切を公表しないのであろうか。
素人意見を承知で言うが、福島第一原発の廃炉をきめたならば、なぜただちに放射線や放射能汚染の源泉を閉じ込める措置をしないのであろうか。なぜ、コンクリート詰めにしないのであろうか。なにか代わる措置があるのであろうか。
電源回復して、平常時のような水の循環を保つポンプを稼働させて、炉心の熱源を冷やすというシナリオは、ここにきて可能なのかどうか。特殊消防車などからの海水の注水作業はあくまでも一時しのぎであり、その効果もはっきりしているわけではない。素人にもはっきりしているのは、熱で海水が蒸発すれば、できるのは塩である。塩漬けのパイプは詰まり、機器、容器は腐食すること必至である。
東電や保安院から聞こえてくるのは、制御可能かどうか分からないが、最大限の努力をしているといった、殆ど意味をなさない説明ばかりである。見通しが定かではないのに、いたずらに原発・原子炉の様々な延命策(?)を講じているのはなぜだろうか。事態処理にあたる関係者の生命の危険をおかしながら、その本質的な効果も説明できない(しない)のは何故だろうか。
http://www.asahi.com/national/update/0324/TKY201103240475.html
作業員の置かれた状況を伝える報道(上記ウエブサイト)
原発推進派で固めた解説には嘘が多い。第三者の立場での科学者・技術者の英知を寄せた最終決断の時期にさしかかっている。石棺をつくるのが最善策ではないとして、何が代替策としてあるのであろうか?
万が一、最後にメルトダウンするようなことが起きたときの責任は誰がとるのであろうか?
僕のような素人の不安を解消することができなければ、日本は信頼を失うし、地球の維持可能な発展に対する罪悪をおかすことになる。
いたずらな不安や風評をあおるつもりは一切ない。しかし、事態は猶予ならざる段階にある。
(以下のウエブサイトでの中学生のふじなみこころさんというタレントの発言はしっかりしていて感心した。こういう正論をもつ若者がいることにほっとする。)
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html
考えてみれば、地震・津波被災と、原発放射線被害、さらには農業生産物の生産放棄と三重苦を迫られている福島や隣接地域の人々は一体全体何を悪いことをしたというのだろう。「安全神話」の原発を受け入れさせられ、今ここにきたら非情な仕打ちをこれでもかとばかり受けている。なぜ、このような理不尽なことを強いられなければならないのか。そのような怒りは、僕にも共感できるし、その気持ち大だ。
原発被害が拡大すれば、巨大な消費地であり、政治・経済の中心地たる東京も例外ではなくなる。さらに福島の第一、第二が連鎖して爆発したような最悪の場合は、日本中が被曝し被災地となる。
まして、地震大国の日本で直下型地震、あるいは巨大地震の津波が起きれば、浜岡、福井、東海村、泊などの原発はひとたまりもない。青森の六カ所村などのプルトニウム貯蔵施設も同じである。
想像したくないが、その想像も決してあり得ないことではない。外国人のように、逃げ出せないとすれば、どうしたらよいのであろうか。
ともかくも最大限、慎重かつ最良の最終決断が迫られているように思えてしかたがない。
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