週明け後、やはりフル稼働気味だ。
大学人は、講義や演習、会議、学生・院生指導、校務仕事などの決められた時間割はある。
しかし、時には空いた時間には、本読みや、思索、フィールドワーク、研究会・学会、市民活動などの自由人稼業的な側面が,創造性の基盤でもある。無論、こうしたフレキシビリテイを前提とした裁量労働のもつ無際限労働の危険性については、かつて調べてこのブログでも指摘したこともある。法人化以降、極めて深刻な長時間労働が蔓延していることは、文科省調査でもはっきりと出ている。
とはいえ、時間管理型労働とは異なる、ちょっとした空き時間の安らぎと自由。そうしたハンドルの「遊び」のような幅が魅力の稼業なのだ。それが、少なくなる生活に突入し始めたようだ。それでも、かろうじて、夕刻以降や週末には、まだ限られた幅ながらその種の「市民」的活動空間での空気を吸う「自由」が残されることを良しとしよう。
受動性や愚痴のなかには創造の力はない。
条件を組み替えて、楽しんでいく余裕が必要なのだ。
現実を超えていく力には多分、体力、気力、(ある人は、根気、のんき、元気といったようだが)などは無論のこと
もちろん知力(知恵と構想力)がいる!
そして、厳しい現実を、相対化する笑い、もしくはユーモア(humor)が必要なのだろう。
とくに、このヒューモアというのは、なかなかに奧が深い。 味を出すには智恵がいるのだ。
おそらくは人間的度量の力なのだろうが、ぼくはまだまだ、智恵も修行も足りず、未熟者だ。
それでもそのことを思うだけでもプラス思考で良しとしよう。
備忘録
5月9日(月)
午前、総長室にて辞令を受ける。部局に戻り、別の同種の仕事。急ぎ、講義に向かう。午後、多様な事務仕事や打ち合わせが続く。
帰宅後、継続している原稿仕事。深夜、書斎のソファで仮眠をするものの、寝不足状態。
5月10日(火)
朝の犬の散歩。朝食づくり。継続仕事を区切りの良い時間で切り上げ、大学へ。
雑務仕事の後、午後講義。さらに多くの事務案件。
夕刻、急いで秋の合同教研集会の世話人・事務局会議の場所に向かう。多くの課題を確認し,集会イメージを固めていく。後半は、子どもたちや教師の置かれているリアルな状況がエピソード的あるいは実践的なかたちで語られる。示唆的な内容も多かった。9時過ぎに散会後、パーキング場所に行く間にも濡れるような雨足。
帰宅後遅い夕食。仕事の残りを始めるがさすがに,体力不足。眠い。少し作業を進めてから、この日は眠ることにする。
5月11日(水)
3.11東日本大震災から2ヶ月だ。
朝シャワーの後、大学へ。院ゼミ前の1時間でいくらかの案件処理。午前は,大学院演習。昼は、このところ食堂や外のお店に行く余裕もなく、弁当を買っての部屋での食事だ。
プリンターの設定をするのに時間がかかったが、動き出す。午後は、事務打ち合わせがいくらか続いていく。確実に進めていく上での重要な段取りである。
夕刻近くに、同僚と院生諸君があらわれて、花を贈ってくださる。暖かい心に多謝だ。
夕刻は、大学院共通講義。終了後、部屋に戻り、幾つかの案件処理。
今日から3日間、家人は、私事で大阪と名古屋行きだ。今朝は早い時間での出立だった。
そこで、 途中で買い物をして帰宅。遅い自分の夕食づくり前に、犬のシローの夕食を用意する。
夕方は戻れないので,3日間は夕方の散歩だけを、ペットシッターにお願いしている。
書き物仕事は、四の五の言わずに、時間をみてやっていくしかない。
仕事は、朝早くか深夜か。それしかない。
early birdか、ミネルヴァの梟(フクロウ)となるか、
それは、思考のテイストをいささか変えるのか、変えないのか、
などと、くだらないことを思うようになったので、今日はもう寝よう。残りは,朝の仕事にしよう。
コメント
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