時々、シローの散歩につきあう。色が白くないのにシローという。家人は紫良とつけたらしいが、誰もそんなことは分からない。発音するとどうしてもシロー(白~)だ。小さな子が少し恐そうに近づいて「色が白くないのにどうしてシローという名前なの?」と聞く。漢字を言ってもしようがないので、「どうしてだろうね」と訳の分からないことを応えることになる。前にも書いたが、洋犬と何か柴犬系との雑種なのかも知れない。
散歩のコースはいくつかある。ここに越して2年。近くのN島公園かT平川か、N高校一周コースが最近のパターン。この北の地域に越してきて、そしてシローの散歩とつきあうようになってからも3回引っ越しをしたので、その都度違う場所を歩いてきた。M区M沢の頃は、まだ自然の面影の残る林や住宅の中の色々なコース、T区N岡のときは、小さな小川の両脇コースか、林業研究所近くのコースであった。犬を連れていないときでも、M内公園の数周コース、N岡公園の大きな水源地周りのコースなどは、僕のお気に入りコースだった。
KK川をまず渡る。川辺には山桑、いちい、ポプラ、蝦夷桜、柳、白樺、などの木が植生されている。近くの護国神社には、この地には元々ない松もちらほら見える。
山桑の実。先々週にずいぶんと地面に落ちた。KK川には、冬はずいぶんと鴨がいたが春に一斉にいなくなった。中には、居着いた鴨もあって、その幾組かのつがいが近くの別の池に移動した。そのうちに、卵を産み、それが最近孵化したらしい。数日前には、小鴨たちが母鴨のあとを付いて歩く姿が季節の風物詩としてローカルニュースを飾っていた。
シローは吠えたり、危害を加えたり、野外にあるものをくわえたり食べたりすることはないが、♀犬(?)の匂いには興味津々で、いささかお行儀はよろしくない。
N島公園は、それなりに広く、コンサートホールK(懐具合もあって、めったに利用できないが・・)や、人形劇劇場、スポーツ施設、H館というやや古典的洋館のレストラン(一度利用したが、高額ではあるが雰囲気あり、美味でもあった)もある。冬期間は、歩くスキーの練習に数回僕もスキーをはいて歩いた。フリマ(昨日がそうだったらしい)や植木市なども時々行っているようだ。
KK川には、カラスを避けて鳩たちが群れで羽を休めている。花壇には、ペチュニア、ベゴニア、三色スミレなどが咲いている。花々は六月には一面に開いていたが、いまは一休み。秋にはまた別の花々が咲き誇る。とはいえ、今の季節もそれなりに楽しめる。
今日の散歩も終わりに近づいた。
世界の若手の音楽家たちの交流と力量形成の場でもあるPMF(Pacific Music Festival)の季節でもある。N島公園のコンサートホールは、M区の芸術の森公園と並んでその主演奏会場でもある。
帰り道のマンション横の花壇は、ポピー、矢車草、紫露草のオンパレード。
今日は、少し暑くなりそうだが、本州と比べれば涼しいもの。風も今日はさわやかだ。
「花々に励まされて、われ今日も闘う」
かつて宗像誠也先生の追悼関連本で、この一句を読んだような記憶がある。僕は直接には、宗像誠也先生の謦咳にふれたことはない。だが、僕の大学学部時代の恩師鈴木英一先生も、大学院時代の恩師小川利夫先生も、この水彩画の色紙に触れて宗像先生のエピソードを語られたことがあった。宗像先生と一緒に通われた小料理屋の「なすび」のことも。それらの先生方も、いまや他界されこの世にはおられない。先達たちが、花々に寄せた思いは、単純に花鳥風月を愛でて、現実世界から精神世界を逃げ込ませることとは対極の位置にある。これは、日本人の心性ということでもない。かつて、独房に長くつながれた南アのネルソン・マンデーラも一本の植物の生命に励まされたという文を読んだ記憶がある。花々に励まされて人間らしく生きる。僕もそうありたい。
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