日差しと影が濃くなり、ゆらめく光に夏を感じる朝になった。朝晩の涼しさは、この地の特色だが、ようやく20度を超えそうだ。昨日の最高温度は28度が予報だった。
昼は、つれあいと近くの小さな健康食の家庭料理店へ。3席のカウンターと、3つのテーブル席、厨房には二人の料理人。これくらいのサイズと気軽さがよい。お店というもので、あまり親しくなるのは好きではないが、さりとて、身を固くして居心地の悪さを味わうのもいやなものだ。適度な距離感とさりげない会話ができるくらいがちょうど良い。引っ越しが多い僕が身につけたスタイルなのか、自分では良く分からない。
午後少しして、僕は社会教育研究全国集会の実行委員会参加で出かける。つれあいは、市内中心部から出発するピースウオークに行くと言う。(帰宅後に聞くと、機動隊が5メートルおきに規制して、5千人のピースウオークは大変だったようだ。)
なお、第48回社会教育研究全国集会実行委員会が開設しているurlは下記の通り。http://www.geocities.jp/shazenkyo2008/
全国集会実行委員会の会場は、直線距離では、家からほんのわずか。歩くと30分くらいだろうか。無論、自転車でも可能だ。しかし、夕刻から集会成功のための交流・懇親の集いが別の場所でもたれ移動することになる。また、アルコールを口に含むことになるので、安全策で、地下鉄を乗り継いで遠回りして出かける。
会場には、予定以上の人が集まり、夏の集会に向けた気持ちが高まってきていることが伺える。あと40日余に向けた議題が示され、多くの資料に基づく報告が、各担当からテキパキとなされた。心地よいリズムだ。この地の広さからか、南の地域から4-5時間かけて来られた6-7人の方々、北の地域からはやはり車数台に乗り合わせて5-6時間かけて、6-7人が来られた。帰りの時間を考えれば、泊まり組も当然におられる。東京からも、集会担当のSさんが参加している。近辺の方々をいれて、60-70名の参加だろうか。ま、内容の詳細は省こう。
場所を変えての、夕刻からのパーテイ会場、wood house には、実行委員長のH大前総長のN先生が先に来られている。全員に一度は話してもらう算段の司会のYさんの進行に合わせて次々と30数名の方々の短いスピーチ。N先生のエールをはじめ、子育てネットの女性陣、若い院生諸君の語りなどが続き、最後の締めのH大のK先生の支援の表明は、事務局長のM氏を鼓舞するものだろう。K町のK町長もこの集会に向けた思いを洒脱に語った。M氏の大学時代の同級のH新聞記者の飛び入り参加と精神的支援の語りも、良かった。いろいろな事情で遅れはしたが駆けつけ参加した東京からの集会担当のTN大のA氏も、大学院時代M氏と同期で、応援のエールだ。日頃は暗い顔の多いM氏も昨夜は、上気してハイテンション。スポットライトを浴びる位置をM氏に譲った副実行委員長のSさんは、嬉しくも寂しくもといった心境だろう。青年教育施設職員のAさんの提案で、場所をもうひとつ変えて、「ちりとてちん」という居酒屋へ。月に一度は、落語寄席があるようだ。それぞれに、話が続く。酒会学習。ま、互いに元気になるのは、いいではないかと思う。11時過ぎに、散会して、タクシーで帰宅。
僕は、ここが居場所なのか、あるいは違うのか。楽しいはずなのに、居心地が必ずしも良くないのはなぜかと、心の中でずっと続いている自問が、この日も軽い酔いの中で、リフレインしていた。この地に移ってきて9年が過ぎた。それ以前の場所、場所で築いたネットワークの広がりと深さに比べれば、ここでのつながりは徐々に広がってきたものの、まだまだ根が浅い。真の心の交流は、世渡り下手の僕には、そんなに容易なことではない。生き方の文化、作法というか、思考方法というか、そういうものがどこか違う人々と、つきあってはきた。さりとて、本来の研究や実践領域ととは異なる、二足のわらじをはいて9年だ。それなりに、もう一つのわらじでの活動もやってきてはいる。だが、このままで年を重ねて良いのか、それが君のやりたかったことなのかというもう一人の自分が尋ねる。多分、時間はそんなにはないのだ。
今日は、これから東京だ。午後遅くに、教育・法律関係の編集会議、明日午後は、若いM君とR大で、社会教育と法の研究会。帰宅は明日夜半になるだろう。火曜日は、朝一の講義だ。さて、新たな一週間の始まりだ。
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