あわてふためき顛末記
週明けの日々はいつものように目が回るが、今回は特殊事情も加わった。前に書いた「日韓生涯学習シンポジウム」が近づいてきたのである。今週前半は、予稿集=発表要旨報告集づくりを最短時間でつくらざるをえない事態に追い込まれた。原因はシンプル。原稿がなかなか届かないのである。翻訳を目一杯速く、正確に、意が伝わるようにと努力されている留学院生や、日本の韓国研究者の方々には、足を向けて寝られないほど頭が下がるのだが、彼らも作業ができない時間がいくらか生じた。要するに、翻訳作業時間を入れて、締め切り日を逆算していたのだが、報告者は皆忙しい人たち。また少しでも良い内容にしたいというのも共通。従って、幾人かはギリギリにならざるを得ない。(僕は今回は比較的早くに提出したが、他のいくつかの仕事では、恥ずかしながら遅筆の筆頭にもなっている。人のことは言えない。反省しきりである。)最終的には、何とか全員の分がそろったのが昨日火曜日の朝。本来は先週の初めのはずであった。
そういうわけで、大学の授業や、委員会、夏の集会の準備事務局などの合間を縫って、印刷屋さんとの依頼と金額交渉、原稿の冊子化に合わせた編集作業を突貫工事で行う必要が生じた。今は、電子ファイル化しての入稿が標準なのだが、今回は、外国語とくにハングル文字などの場合の特殊文字の場合は、文字化けを防ぐためのpdfファイル化が不可欠であり、それに文字だけの最小限のデザインにならざるを得ないが表紙や目次作成がある。これを2-3日間で行うことになった。細かいことは省くが、この数日間のやや涙ぐましい(?)格闘を経て、今朝校正(今回は時間の関係で初校のみ)したものを、印刷屋に入れてホッとしたところである。一昔前と比べて、メールの送受信による送稿、受稿、pdfファイルなどの発達は時間を短縮させるのに貢献大だ。だが落とし穴もある。今回は、僕の大学研究室のpcが、突然一日ダウンした。研究室のpcのネット環境が壊れると痛い。幸いにも家人がその日家にいたので、急遽家のpcに原稿送信を集中していただき、それを印刷屋に転送し、その上で印刷屋さんに出向き交渉した。ハングル文は、(韓国には韓国の一太郎とよばれるソフトが普及しているのだが、それがマイクロソフトのofficeワードソフトとの対応がうまくいかず)読み込めなかったり、あるいは文字化けする場合が多いというので、家のpcでpdfファイル化する作業をせざるを得なかったのである。印刷屋さんはそれらを専門的機械(ここから先はよく分からない)で読み取り、編集可能な体裁に変えて、下版を作成、校正を経て、全体のチェック後、印刷、製本と一連の工程に流し込み、4日間で納品可能とするのである。
17日からは、韓国の方々がやってくる。日韓両国の色々な場で、幾度も出会った方々である。心から歓迎しよう。
2007年2月の日韓生涯学習シンポ(北大)の時の写真。今回来られるメンバーの中には、これに参加されていた方も含む。
話題を変えよう。「学び・発言・かかわる・発信する-僕が参加してきたこと」という今日のテーマについてである。
国際的あるいは全国的規模の組織や団体は、住まう場所を変えても、自分との関係は変わらず継続される(学会などもそうだ。)しかし、ローカルな組織や団体は、住まう場所を変えると、見える風景、植生、気候に違いがあるように、微妙に性格が違うのである。息をすれば入ってくる空気が違うように、口に含めば水の味が異なるように、人々の色合いや個性、言葉、生活様式、文化は、当たり前のことだが異なってくる。個人的なことを言えば、僕は引っ越しが多かったので、(多分これからも続くのだが)、そういうことに割と敏感な方なのかも知れない。(僕は、小学校2回、中学校2回の転校。勤務校の大学は3つめ。引っ越し回数はこれまでの生涯で17回)
さて、僕が関わっているローカルなサークルというか、小さな運動・研究団体というものは、いくつかある。今日は、最初に、下記のものを紹介しておこう。(その1)
「北の図書館5人の会」
最初の関わり組織の紹介は、「北の図書館5人の会」という。ネーミングもそうだが、この地の図書館問題にかかわっての継続的な発信をしている会である。5人の呼びかけ人の中心はISさんである。文字通りこの会の運営、財政、発信、編集を責任をもって地道に誠実に担ってこられている。僕の尊敬している方である。発行している雑誌は、『北の図書館』である。最新号は11号になる。HPもある。ご覧になっていただきたい。僕も二度ほど短い文章を書いた。
http://homepage2.nifty.com/kitanotosyokan/
図書館は、世の中が、きなくさくなったり、なにやらお金亡者が幅をきかせたり、夢を抱きにくくなったりしたときに、ふと立ち寄れるソフトな公共空間である。地味だが、人間らしく生きるためには、枯らしてはならない泉である。
公共図書館、学校図書館、専門図書館、大学図書館、国立国会図書館と、日本でも図書館の種類は多い。その目的や役割、機能によって異なるミッションを背負っている。ただし、日本は図書館貧困国である。先日のG8諸国の中では、色々なデータで最低値を示している国である。図書館は、日本の教育・文化的文脈の中では、まるでドラマの脇役のように目立たないように見えるが、実はこういうところに、力をいれてこそ、教育立国である。フィンランド詣でをする人々の一部に、そういう面を慎重に避けて学力論を語る政策関係者がいるが、それは知的不誠実というものである。
僕は、大学図書館のことについても、小さな発言をしたことがある。http://www.lib.hokudai.ac.jp/koho/yuin/yuin122_1-12.pdf
国立情報研究所主催の大学図書館短期研修の昨年のテキスト。僕も一部加わった。 http://www.nii.ac.jp/hrd/ja/librarian/h19/index.html
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