Eile nicht, Weile nicht (いそぐことなかれ、留まることなかれ)。
新渡戸稲造の言葉のようだ。同じ文意の文字が、H大のエンレイソウ(ファカルテイハウス)第一会議室の壁に書として掲げられている。( Haste not! stay not だったような気がするが?)日々の活動は、そのようでありたいものだ。残念ながら、忙しさに追われ、いつしか余裕なき、茫茫たる姿になろうとするのをかろうじて水際で踏みとどまるような日々だ。
泥臭い、厭うことが多いような実務をこなして、一つの事業が動いていく。その場合、陰の目立たない時間の労力と、様々なアレンジメントや世話がある。そして、そのことはただちには、論文なり作品なりにはならない。しかし、自分の中に確実に残っていく相互の人間的な信頼や、ものを考える基準の蓄積といったものも多い。こうしたことを、若き日の青年教育実践との関わり以来、多様な場で、ずっとしてきているように思う。それは、目立たないが、しかしそういうことをしなければ、ある事業や運動は成り立たないし、その後の広がりもない。関わる人間の責任というものだろう。
また関連するが、調査や共同の運動の場合、書かないということも重要な選択である場合もある。職場や地域での困難な状況をかかえている人たちと一緒の運動や学習をしている場合、その人たちの利益と運動の前進が優先だ。研究者が下手に公表することで、その人たちが不利な状況に追い込まれ、運動や活動や学習の基盤が奪われる場合がある。そうした場合、書かないということも必要な判断であるし、運動の互いの信頼の原則だ。名古屋にいたころ、そういう場面がよくあった。東京にいる研究者たちは、僕たちに向かってなぜ書かないのかと批判したり(秘密主義だとか言われたりもした)、日本全体にとって、今書く方がプラスになるというような言い方をしたり、唐突に短時日やってきて、調査にもとづく報告(論文)と称して、背景をふまえず、不正確で必ずしも運動の利益にならない論文を書いたりした。それは、その人間の「業績」にはなっても、運動には百害あるのみだった。
また、ある人は、後世残るのは作品だけであり、活動や運動の背後にある様々な尽力の陰の部分は-誰かがやらなければ、活動は進まないし、それが不可欠であることをその人は了解しつつ、そのことはその人はしない-肉体と共に消え行くだけのものだという。まあ、その通りかもしれない。そうした人の中には、要領が良いというか、まあ頭が良いからだろうが、おいしい場面だけに現れ、おいしい部分だけを誰よりも早くまとめていく人たちがいる。従って、作品数は多くなる。事情を知らない人は、敬意をもってそういう人に接する。僕は、興ざめした気分で、何なのだろうと思う。
スポットライトがあたることを好むのは勝手だが、そういう人とつきあうと、お人好しの面々は便利屋として使い捨てられていくだけだ。僕自身は、これまで幾度もそういう苦い経験をしてきた。だからといって、「理論家」の役割が不必要な訳ではない。問題分析を状況論に止めず、明確に事態を理論的、学術的に総括すること、あるいは構造的に解析すること、日常的な視点では見えない糸をたぐり出すこと、こういうことの功績は、軽視してはならない。問題は、そういうことを行う人が、しばしば運動における見えない困苦を共にしていない人でもあることだ。多分、そういうことを気にしない、あるいは見えない人なのだろう。
他者を見て、我をふりかえる。
自分を批判的にとらえ、我にとらわれず、一歩ずつ進むしかあるまい。
いそぐなかれ、さりとてとどまることなかれだ。
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