冬時間に入って朝の暗さが少し軽減されるのは良いことだ。
昨夕は、キースが宿舎に迎えに来てくれて、彼の家での招待。パートナーのスーザンとは、昨年以来だ。考えてみれば、キースとは、1988年に出会ってからだから、20年に及ぶつき合いだ。最初の時には、アリス(末の女の子)は生まれていなかったし、長男のジャックや次男のジムはまだ小さかった。僕は、最初の1年の滞在以降、リーズには20回近く来ているのだが、そのつど出会ったり、ヨークシャーデールを歩いたりした。そうだ、いろいろな国際会議でも一緒だった。オックスフォードのラスキンカレッジで2回、オーストリアのシュタイヤやウイーンで、あるいはフィンランドのタンペレでも一緒だった。キースも、日本には2回来ている。最初は、1995年に、コリン・ソーン(後に、リーズ大学の契約スタッフになり、その後ヨークシャーWEAの責任者も経験)とともに、D財団のお金で、調査と講演に名古屋へ来た。トヨタの田原工場の訪問調査や愛知労働問題研究所でのドイツのIGメタルから来ていた研究者や日本福祉大学の大木一訓先生、友人の浅生さんなどとの交流があった。A大学やN大学での講演もしてもらった。イクスカーションには、京都(僕は行けなかったが)や犬山城、木曽川のライン下りに出かけたりしたことを思い出した。その後、二度目には、2004年秋に、札幌のH大でのシンポジウムに、リチャード・テイラー(現在ケンブリッジ大学継続学部長)やミリアム・ズーカスと一緒に来てもらい、シンポとともに交流、イクスカーションには小樽(鰊御殿や、運河、多喜二の展示のある市立文学館にも案内した)や支笏湖の温泉にも連れ立った。楽しい思い出だ。
昨夕は、スーザン手作りのパンプキンスープ、シェファードパイ、それにアップルとベリーのパイ、ワインは白で、暖炉でのくつろいだ会話を楽しんだ。
昨年、ジャックは結婚し、ジムは芸術分野で仕事、アリスは先週からポルトガルでの乗馬クラブでの手伝いを兼ねた仕事に出かけている。今の家は、キースとスーザンの二人暮らし。スーザンは、小学校の教師だったが、辞めて今は臨時講師で学校で教えている。キースは、アフリカ生まれ、若いときは、南米を放浪した経験もある。チェ・ゲバラのオートバイ旅行と似た気分だったらしい。国際派なのだが、気さくで本当に人間的な信頼できる人物だ。秘書のジャスも本当に人間らしい人だと語ってくれる。
ジムが作った見事な本(家族の数年前の世界一周旅行の写真本)を見せてもらった。キースはこれが家族で行く最後の旅行と言って、インド-カンボジア-タイ-オーストラリア-ペルーを数ヶ月かけて出かけたことを聞いていたが、それが一冊の本になっている。ジムは、写真家と言ってよい仕事についているのだが、この写真本は、家族の素敵な財産だ。キースは、南仏にコテッジを持っていて、この夏もスーザンと2ヶ月過ごした。忙しい人間だったが、この7月に早期退職したのだ。人生を楽しむ余裕は、日本人に弱いところだ。12月にはスーザンとザンビアに行く(マラウイには彼の弟がいる)が、帰国した日に、僕の細君が来るので是非この家に来てほしいという。キースとは、今週木曜日にコスタカフェでもう一度、研究のことを話そうということになった。心地よい気分のまま、宿舎に送ってもらった。
今日は、宿舎から大学まで歩いた。約40分かかったが、少し汗ばむくらいで、気持ちよい。
左は、宿舎の部屋。
大学に来る途中のハイドパークとかつての労働者街遠景。
見出しに書いたが、実は、研究室のpcの日本語入力について困っていた。今日は、思い切って、LLIの秘書のジャスに頼んで、技術職員のリチャードに来てもらった。pcの入力言語変換をやってもらったのだ。しかし、今ひとつのところで、未完成。彼は時間になって帰った。その後、pcをいじっていて、日本語辞書の漢字ほか必要な辞書が未入力なことを発見。(pc音痴(これは差別語?)の僕でも発見できた!)それを入れたら、万歳。入力可能となった。
これまで、持ってきたpcに書いたワード文を、メモリーに保存してそれをpcのドキュメントにいったん転換保存して、それを添付ファイルにして送るという面倒なことをしていたので(昨日のブログはそうして書いた)助かる。
今日は、少し仕事は進んだ。一歩ずつだ。
それに、今日は多分1万8千歩を超えそうな歩きだ。
明日も、HI-YA と言って元気に来れるように。
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