先週末の日誌を記して置こう。
10月31日 (金)
昨夜のジェレミーとデビッドとの会食のせいか体が重い。大学に往復ウオーキング。その他を含め、2万6千歩、さすがに帰路は疲れたが、体が少し動くようになった。この日は、午前に洗濯をした後、大学に行き、日中は、様々な残務仕事。ミリアムに会い、月曜日の約束。ヘザー・ホジキンスンさんが来て、12月のプレゼンの日程確認。
ハロウインの仮装で、子どもや若者たちが騒いでいる。リーズ大学よりも、リーズメッツの学生たちの方がこれに熱中しているようだ。夕刻買い物をして帰る。
左から、宿舎の全景。僕の部屋は、2階(こちらではグランドフロアがあるので、1階になる。)の写真の裏側。グランドフロアは、タイレストランになっている。
11月1日 (土) 8度、2度。曇天時々patched shower。
朝、バスタブでゆっくり湯につかる。掃除、洗濯をすませ、ヘッデイングリーで買い物。足りない物、それにオックファムでカードと地図、本などを買う。今日は、City centreに行く要求がない。今回は、つつましく、仕事を中心に、あとはのんびり体を休めると考えればよいのだ。北京師範大学の黄宇さんが、北京に戻って忙しくなり、日本での生活を今になってなつかしく思うと書いてきていた。
夜半、近くの家での花火(bon fire)の音がうるさい。ガイフォークス(guyfawks day,11月5日)の祭りが近づいているからか?
11月2日 (日) 曇天時々雨。8度。
明け方、今までの英国や日本各地を歩いた記憶がよみがえる。夢か醒めてのことか判然としない。朝、バスタブに湯を張る用意をしていると細君からのメールに気づく。N氏(帯広OT短大)が10月30日に食道癌で亡くなったと岐阜のTさんから電話があったようだ。突然で驚く、数日前に上田耕一郎氏が亡くなったとのニュースを細君から聞いていたが、それは年齢からそういうこともあるとは思う。(いよいよ一世代前の人たちが物故してきた。時代の転換期だ)しかしN君の悲報には、びっくりした。大学院では同学年だったが、僕よりも一つ上で59歳だ。帯広には3回行ったか。札幌でも、5-6回か一緒に飲んだ。無論毎年の学会などでもそうしてきた。学部、大学院と名古屋時代、馬鹿なことを一緒にした。人一倍、健康に気を遣っていたのに、何故だろう。何かうら悲しい。彼は、名古屋ではなく、北海道で骨を埋めたのだ。細君に弔電を打つことをお願いしておく。このところ、ほぼ同年代か少し上の知り合い・友人の悲報が続く。MI氏(大学の少し上の知人、N市職労書記長、自治労連本部三役の激務だった)、最初の勤務大学時代の同僚近藤郁夫さん、STさん、それにN君だ。この宿舎の窓から見える木々の枝葉の揺れるさまは、もの悲しい心理を誘う。人の命に限りがあるが、それまでに何をするかだ。名古屋のTA君に電話したが、いなかった。しばらく後で電話があり、S先生の古稀祝賀会の帰りで遅くなったという。英国からの電話だというと驚いていた。彼は、N君の逝去のことを知らなかった。S先生も70を超えられたか。中国の詩人、杜甫が用いた、人生70年古来稀なりは、いささか変化してきたが、やはりそれ以前に生を終える人も少なくないことを考えると、大病をされながらよくぞやってこられた。英国にいてお祝い申し上げたい。午後、夕刻近くに買い物。来週の半分くらいは、買い物の必要のないくらいだ。
宿舎の裏庭には、リス、幾種類かの小鳥、それに鳩がきて何かをついばんでいる。
11月3日 (月)
今日も、歩いて大学に来る。日本での仕事の残りをさすがに終えなくてはと焦る。
英国および日本からのかなり多くの返答すべきメールに応える。さらに、午後は、調べ物をして、それに眼を通す作業を行う。夕刻には、ミリアムと、調査地、出版物、2月の北海道でのシンポ、僕のプレゼン、会うべき人へのアポイントメントなどで助力を得る。多忙な中を時間を割いてくれて多謝だ。その後しばらく仕事を互いにしてから、一緒に夕食に出かける。3つの選択肢があって、タイ料理、イタリア料理、それにワインと気さくな料理の店。三番目にして、出かける。
THE RELIANCE(安心、信頼の意か)
というお店。僕は、前菜にウナギを小さく刻みオリーブ油ソースとハーブサラダでミックスしてあるもの、
メインデイッシュは、英国テーストの腸詰ソーセージとマッシュポテト、それにデザートはやめて、フィルターコーヒー、食前にはギネスビール、ミリアムは、前菜に幾種類かのラデイッシュサラダ、メインはムール貝(写真がそれ、僕も分けてもらったが新鮮でおいしい)、そしてプチカフェラテだった。大学関係の人たちも多く、飾らず気さくな店だ。話題は、この国の大学、とくに教育関係の近年の動向について、色々な知人、友人たちのこと、それに僕の週末の散策のために新しい美術館の場所、近郊にある19世紀の工場を保存し、博物館として整備し最近オープンした場所を教えてもらった。また、日英の大学教員の退職時、およびその後の処遇や暮らし方などに話題が広がった。ミリアムは、24歳から大学教員として働き、英国では40年間働くと、それより少ない年数よりも、年金にかなりの違いが出るので64歳まで働かなければならないのがつらいという。明日も朝からずっと仕事が続くので、あまり時間がとれずに申し訳ないと言う。とんでもない。よくしてもらっていると思う。少ししてから宿舎に送ってもらった。途中、必要な情報としておいしいタイ料理店、珍しい四川料理店、中国スーパーストアなどを教えてもらう。この数年で、リーズも、ずいぶんと店が変わってきている。運転している彼女の車は、ホンダシビック、よく動き信頼ある車だという。
11月4日(火)10度、
朝、小雨だが歩く。今日は、温度は比較的ゆるめ。雨はあるが、風がない。札幌では昨日、初雪だったそうだ。
12月のプレゼンの準備や、メール応答、さらにいくつかの仕事を淡々と行う。社会政策のNick Ellison教授と来週会って、インタビューを行うことになった。
この間読み進めている書物の一部。ロバ-ト・スチーブンスのUNIVERSITY to UNI は、日本から持ってきたもの。後は、若者関連の本。
これらは、夕方、家に帰ってからの作業の後の寝る前の読書。日本のあわただしい暮らしから少し身を引いて、考えを深めることが、僕のもうひとつの楽しみ。
今年は、第一次大戦終戦90周年で、街の角にある顕彰碑には、時々花束が添えられる。リメンバランスデイはいつだったか?
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