12月15日 月
シェフィールド大学のPeter Matanleさんに、1週間遅れで、シェフィールドで会うことになった。12月8日にリーズで会う予定だったのだが、クリスマス前の多忙で彼は、その日ロンドンへの所用ができて、来れなかったのだ。彼は、12月3日の僕のセミナー報告に関心を寄せて、仕事で出席できないが是非会いたいとのメールをいただいていた。(ハダスフィールド大学のアンドリュー・マイコックさんも同様だった)やり取りを幾度かしていると、この世界は狭く、彼の親しい友人が、現在の僕の職場の同僚のP.Seatonさんであることや、彼はかつて新潟大学に勤めたことがあり、その職場での僕の知っている知人の幾人かをあげるとよく知っているということで、研究関心が近いと地球は確実に狭くなっていると思われた。ピーターは、英国の東アジア研究の拠点のひとつである、シェフィールド大学東アジア研究部門・日本研究セクションに所属している。リーズ大学とは、ホワイトローズ・コンソーシアム(White Roseなる名称は、かのバラ戦争時代の当地の名称で、Red Roseは敵になる。いかにも英国らしい。リーズ、ヨーク、シェフィールドの3大学共同研究機構)でつながっている。彼のプロフィールは下記を参照されたい。
http://www.shef.ac.uk/seas/staff/japanese/matanle.html
リーズ駅裏は高級マンション建築ラッシュだが、この不景気で買い手があるのだろうか。
ピーターとシェフィールド駅で待ち合わせをすることになっていて、少し早く着いたのでカフェで注文をしようと列に並んでいると、ピーターが現れた。彼の指導下で、博士課程の日本人院生のIKさんともお会いすることになった。このたび博諭審査がパスして、学位取得が確実になったとのこと。これまた狭い世界で、彼女の日本での研究中に知り合った友人が僕の職場で研究室が隣のKTさんであった。専門は、企業における女性のキャリア形成とのことで、教育にも関心が深いということを話された。
シェフィールドハーラム大学の近くのカフェバーで軽食とコーヒーを取りながら話すということで移動した。
ピーターとの話は、これまでの当地での僕のインタビューとは立場が逆転して、僕がインタビューされることになった。話は、しかし、英語ですることになった。
彼は、新潟大学時代に新潟市と佐渡のフィールド調査をしたことがあり、高校卒業後の若者の進路、とくに労働市場に入っていく層と、専門学校、短期大学、大学等への高等教育への進学層の具体的な動きの動態と地域経済、地域再生の関連を知りたい、経済不況や人口移動の停滞状況の中で、地域における高等教育機関あるいは大学が果たす役割について教育改革との関連でつかみたいということだった。僕のつかんでいる日本のこの間の実態や研究者の議論、学会の動向、あるいは必要な資料や文献、調査に必要な情報源、会うべき対象などについての知見を、分かる範囲で、詳しく彼に紹介した。(まそのことは、ここで書かなくて良いだろう)都立大のIAさんたちの調査(日本教育学会の大規模調査)やIAさんが僕と同様に、ほぼ同じ期間をサバテイカル研究休暇で過ごしたグラスゴー大学のアンデイ・ファーラングさんと近いところの問題関心かと話を聞いて思ったところもあった。ジェレミーやデビッドの研究ともクロスするところがあるとも思った。ジェレミーのことはピーターも知っていた。僕も、シェフィールド大学のRAEの調査結果が最近公表されて、皆がすごく鋭敏になっていること、北カンブリア地域の大学の動きに地域再生の支援と活性化に果たしている役割があることなど、あるいは英国サイドからの日本把握の関心軸を知ることができて会って良かったと思った。
ピーターは来年3月に、日本に来て、東京、新潟の調査と札幌に来るというので、強く握手を互いにして、3月に予定している日本青年館の若者の就労シンポ(僕は韓国の研究者と、放送大学の宮本みち子教授とのパネル討議のコーデイネーターをすることになっている)や、札幌でのP.シートンさんと一緒の再会を約束した。IKさんも3月には日本にいるというので、またの再会を約束した。良い出会いであった。話を聞かれる立場だったので、つい写真を撮るのを忘れてしまった。ま、こういうこともあるだろう。
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