1年の季節の中で、心理的にも実質的にももっとも短く、速く過ぎ去るのが2月だ。また、この北の地に来てから毎年のいらだちと鬱的気分もこの時期にピークに達する。
直近の週の後半は、科研費報告書のツメ、Nさんの博論審査公開発表会と最終審査、研究室の大学院研究会、それに近々再び改修工事が終わった部局建物への戻りの引っ越しがあり、その荷物詰め作業も始まり、肉体的にも精神的にも芯から疲れた。通っている歯医者の治療も一進一退の模様。
土曜の昨日は、朝はいったん起きたものの、疲労が抜けずもう一度ベッドに戻って、昼まで仮眠をとった。最近では珍しい僕の行動だ。
春になると別れや新たな出会いの機会が増える。日本の学校と企業、社会の季節慣行では、春の3月4月がその区切りになる。椿、梅、桃、水仙、桜というように季節の変化にあわせて花々が開花し、春一番が吹き、春雷があり、ひねもすのたりの春眠がやってくる。そして、別れや出会いが日々の暮らしに彩りを添える。こういう暮らしに長年慣れていたのだが、まったくその季節感とは違うこの地に移動したのは48歳の時だった。それから10年が過ぎた。
この地、北海道は、僕のそれまでの生理的心理的社会的季節感と微妙にずれてしまうところが、独特で良いところでもあり、僕のように他から来たものにはつらい所でもある。多分、この時期の心理的生理的鬱は季節の変化への体内時計のズレ、それと毎年の仕事の年度末ラッシュの量的心理的負荷の強さから生じるものと分かっていながら、気分が重いのはこうしたことが頭で分かっても体ではついていかないことの典型のようなものだ。
とはいえ、危機管理にも智恵はある。心を動かすことだ。話題の「おくりびと」は映画館に足を運んだが、アカデミー賞受賞が効いたのか満席で入れなかった。代わりに、歌も良いだろうとおもってみて、平原綾香の「ノクターン」という曲が入ったPath of IndependenceというCD、パブロ・カザルスのJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲などを仕事の作業の合間に聴いたりした。最近では、アンジェラ・アキさんというシンガーソングライターの方が人気のようだ。手紙という作品は、この季節の別れに託しながら思春期の若者の胸を打つ内容をもつ。この曲は、人生の秋を過ぎつつある僕にも響くものがあり、胸が熱くなる。
http://www.youtube.com/watch?v=Mph1oYYJz4c
歌詞は下記のウエブサイトを参照されたい。http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND69456/index.html
土曜の夕方は、いつもとは違ったコースで犬のシローの散歩につきあった。雪は残るが、木々に芽吹きの兆しはある。今少し、春を待とう。
春を待つ小鳥の種類も増えてきた。
夕暮れが遅くなってきた。近くの山際に沈む太陽が空を薄く染めている。
近くのM高校の生徒の「雪だるま作品」?がくずれかかっている。
木の芽ぶきがほんのり分かるようになってきた。この雪はもう一、二回多く降るときもあるかも知れないが、それもあと少し。春らしくなる、5月の季節まであと2ヶ月だ。
久しぶりにM高の様子を見ました。また、夕暮れの空や木の芽吹きも、見ていて和みます。
東京以南では梅や桃が咲いているこの時期、北海道は閉ざされた感じがしますね。オトナになって、東京に頻繁に行くようになって、その違いに気づきました。
「超」多忙な中でもこうして外に目を向けて、ブログを見ている私まで、ホッとさせていただいて…。
アンジェラアキさんの15歳の詩、すごく
いいですね。
15歳を歌った曲って、尾崎豊にもあるんです、たしか…。
投稿情報: mameko | 2009年3 月 7日 (土) 01:11