昨日、今日と社会教育学会東北・北海道6月集会があった。
会場は、北翔大学北方圏学術情報センターポルトという、札幌の都心地区の西側、円山地区に近い場所だ。昨日は「市民参画・協働と社会教育-その2-」と題したシンポジウムがあった。終了後の夕刻は懇親会で、ゲイラン ロロンエイトというシンガポール(中華)料理店で行われた。二次会は近くの居酒屋であった。
昨日午後のシンポは、3人の報告がなされた。それぞれに傾聴すべき教訓や事実を含んでいたし、面白かった。僕にとっては、議論の一つの焦点は、「市民参画・協働」のホンモノとニセモノを見分ける基軸をどこに置くかにあったように思われた。しかも、「市民参画・協働」を社会教育という視点と実践を潜らせて考えるという立脚点からだ。
シンポに刺激されながら、僕の脳裏に浮かんできたのは、次のような事柄であった。それは、直接には報告者の内容に関係している訳ではない。
この間、新自由主義的地方行政改革が選択と集中の財政削減を伴い、実行されてきたことはよく知られている。とりわけ、小泉政権時代の三位一体型地方行財政改革は、地方交付税削減によって国の財政的責任を縮減させ、自治体の財政責任を強調するものであった。この結果、自治体施策の舵が大きく転換され、直接的な自治体の公的責任を回避する傾向が顕著になってきた。そこで登場してきたのが、従来の行政は「悪」であり、市民が担い手となって、進めることこそが肝心であるといった、聞こえの良いささやきをもつ論である。それが、「市民参画・協働」型行政とされるものであった。
しかしだ。よく考えてみよう。自らのこれまでの行政責任はいかなるものであったか、自治体の公共性確保はいかになされるべきかの総括論議を抜きにして、行政側が従来の行政は悪であった、間違いであったというのはいかがなものだろう。
「市民参画・協働」型行政として、取り入れられてきたのが、まずは、市場型経営として、指定管理者制度の導入、非正規労働導入の拡大による経費削減・効率的行政の推進である。さらに、次には、第三セクター的なNPOやボランテイアを活用して、市民参画・協働を旗印にして、多くの事業がなされてきた。さらには、地域住民組織などを活用して、地域的なまちづくり活動の様々なシカケが用意されてきた。そして、この三種類の統治様式をうまくつかいこなすのが、優秀な行政経営ということになる。これらの結果のメリットは、旧い官治型行政の不人気と撤退であり、多くのアイデアの出現である。しかし、他方では非正規労働現場や指定管理者制度の下での官製ワーキングプアの増大、住民へのきめの細かな行政サービスの低下、厳しい不利益な立場にある人々への公的責任の放棄もしくは排除、批判の自由をもった市民の参加と自治の排除が顕在化してきたことである。
すこしきつい言い方をすれば、しかけ上手な首長や、有能な官吏がデザインした「見えないシナリオ」があり、「市民」がそのしかけの上で踊らされたり、利用されたり、特定の市民的団体やに権限の一部を委譲されたりする事態が、全国的に進展してきたといえなくもない。その意味では、もはや、「市民参画・協働」は、行政の常套的な施策推進の手段ツールとして扱われ、その用語やイメージの積極性は失われ、手垢にまみれた言葉に転じていると言っても過言ではない。現代の有能な官吏とは、住民を主体にして、国や自治体がデザインした施策を、それとは気づかさせずに、最も効果的に経費を削減させ、住民が能動的・自主的・主体的に実際活動するように、多様なシカケを考案する人のことを指すようだ。
市民的公共性がもしもこのような仕組みの中で主張されるのであれば、住民はまずは、その幻想から自らを解き放つためにも、現実のリアルな生活実感からその真偽を見抜く、智恵と力が求められる。幾度も痛い目に遭ってきた住民のしたたかな目線から、そうは簡単にだまされたり、踊らされないための学びが必要となる。それは、個人の実感から出発しながらも単純な個人的な学習ではなく、共同化の契機を必要とする。さらには公共性とは何か、住民自らが担う課題は何かを問うていくことに通じていく学びである。
そのことがあって初めて、真の意味での住民の主体的な参加による活動が組織され得るのではないだろうか。住民個々人が、互いの信頼関係のもとでの人間的な人権意識をもって、要求する力=自分の「声」と「言葉」をもつこと。そのことこそが、公費(税)の適切な還元と執行=行政の公共的責任を胸を張って要求できる根拠ではないだろうか。それは、何も行政と住民との二項対立の議論ではない。むしろ、行政の執行を担う人々(公務労働の総体と個々人の仕事)とのなれあいの依存関係でもなく、またいたずらな対立でもなく、真の意味での批判と敬意をもっての協力・協働が成り立つための道筋であろうと思う。
このような正論を言えば、しかしすぐには共感をもたれるわけではなかった。主流に乗る人々からは、何か、守旧的なことを言っている、物わかりの悪い、頭の固い、原理主義者のような扱いを受けるような空気があったのだ。いわば、KYの分からない化石人扱いだったのだ。
しかしだ、このような思いは、僕だけではなかったようだ。政治学、社会政策研究でも同様な述懐があるようだ。「ここ五年ぐらいの間は、北の大地で新自由主義が席巻する世間の流れとはおよそずれたことばかり主張していて、南極に置いていかれて遠吠えする『南極物語』のタロ・ジロみたいだとか言われていました(笑)」「そうしたら救援の船がやってきたというか、だいぶ世の中の議論の調子が変わってきました」(『脱「貧困」への政治』岩波ブックレット、2009での宮本太郎氏の発言)
この1-2年の経済危機と、貧困化の可視的状況、しかもそれが天災などではなく、明らかに人災に属する事柄であることが分かってくると、「痛みを分かち合う」「聖域なき構造改革」などの政治の本質がよく見えてくるようになったのだ。「痛み」は一方的に、民衆たる我々に押しつけられてきたのである。そのことが人々に実感されてくると、たしかに、時代は「救援の船」を出してきているようだ。主流の議論を展開してきた人々の威光と「説得力」はにわかに失われ、ここに来て、沈黙をし始めるか、したたかに開き直るか、自己懺悔をする人々が出てきた。
しかし、分野によっては、その流れにはタイムラグがある。これまたきつい言い方をすれば、僕の関係する分野(社会教育に限らず、高等教育や教育法など)の一部には、政策にすり寄り、あるいは政策を先取りすることで、「物わかりの良さ」を誇り、そうすることによって研究費を獲得する向きや、「今さら流れは変えられない」のだから、それを前提に、組み替えを行うことが大事と言った議論がこの間目立っていた。こういう「物わかりの良さ」は、実は道を誤るものであり、困ったものだと僕は思うのだが、辛口すぎるのだろうか?
閑話休題
今日は、義父が来札した。夕刻前に、大通りの「よさこいソーラン」のパフォーマンスをしている会場に足を運んだ。僕は、「よさこいソーラン」そのものには、いささか違和感がないではないが、楽しんでいる人々がいて、盛り上がっているのだから、無粋に冷水を浴びせるつもりはない。経済効果も大変なものだ。グループによって、それぞれの個性や、技量差が出ていて、やっている人々の情熱は大変なものだ。すこし、踊りの群舞を眺めてから、僕らは、すすき野にある、地酒の直営店に出かけ、地の山海の料理を楽しんだ。
p.s.今年の最優秀チーム=よさこいソーラン大賞は、平岸天神チームだと、帰宅後ニュースが報じていた。H大学の「縁」は、途中、赤フン姿になるなどのサプライズもあったのか、S市長賞をとっていたようだ。
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