深夜のTV速報を見るのは、民主党のはしゃぎばかりを見せられると思った。テレビ特有の目線で「小沢ガールズ」躍進などとがなりたてられるのは、多分、空しくなると思って避けた。総選挙の結果についてである。
今朝の朝刊(8月31日)を読むと、眼に飛び込む大見出しは「民主308,政権交代」(朝日新聞)である。
当選者数は、民主308(+193)、自民119(-181)、公明21(-10)、共産9(+-0)、社民7(+-0)、みんな5(+1)、国民3(-1)、日本1(±0)、大地(±0)、無諸属6(±0)、計480である。
これほどまでに民主が伸びるというのは、驚きである。この数字に近い数字は、朝日新聞なども予測してはいたが、あらためて小泉型自民党・公明党政治への失望・憤りが国民に強かったことを感得する。共産党、社民党が変わらず勢力を維持したことも大きい。恐らくは、自公政治よりは、せめて民主党が何かしてくれるのではという世論の淡い期待が高まり、昨年の米国のオバマ政権誕生も追い風となって、一気に潮目が動いたということだろう。
しかし、民主党政権が何を変え、変えていかないのか。注意深く、監視をしていく必要があろう。共産党の「建設的野党」ではないが、良いものについてはそれを後押しし、ひどいものには声を上げていくことが重要だろう。かつて、「是々非々」という用語は、旧民社党が常套文句のように言っていたことを記憶する。それと同じようなことを言うのは、何か変な感じもしないではない。が、少しでも時代を一歩でも変えて行きたいものだ。
傲岸不遜、時代を読めない大物自民代議士や公明代議士が討ち死にしているのは、小気味よい。多分に世論の公平なまなざしであろう。しかし、当選した民主党の候補者のすべてが、それでは傲岸不遜でなく、品格高潔、見識が深いかと言えば、そうでもあるまい。バブルと言われないには、彼らの努力も大事であろう。第二自民党であっては、結局何も変わらないことになるのだから。新聞の言うように、脱米入亜になるのか、どうか。注視していこう。
恐らくは指名されるであろう、鳩山首相に、オバマ大統領のCHANGEに相当する風を吹かせる力があるのか。
民主党のマニフェストなるものに従えば、経済政策、外交政策、福祉医療政策、労働政策、教育文化政策にいかなる変化が起き得るのか。
そうした個々の問題を冷静に見つめて、必要な声を発していく責務が僕たちにはあるように思う。
さて、閑話休題。
8月27日から一昨日29日までは、日本教育学会(東大・駒場)への参加であった。東京はまだ残暑厳しく、蒸し暑い。僕には、新旧の理事会参加もあった。会長は、3期6年務めた佐藤学氏(東大)から藤田英典氏(国際基督教大学)への交替。学会はまた、今期から一般社団法人に切り替わった。会員は瞬間風速で。今年3040名に達したことがあったが、大会終了時に2990名代と聞いた。恐らくは、常時3000名を越すのは確実で、日本学術会議登録で110を越える教育学関連の個別学会の傘になる総合学会である。
報告者数も分科会も多い。約900名の参加であったようだ。僕は、今回は、やや気楽で、興味ある報告を聞いて歩くのみであった。示唆されたり、啓発される内容も少なくない。特別研究の若者の教育と進路調査研究のシンポは、データの意味する事柄の分析はまだ難しい段階であるが、興味深いデータが蓄積されつつあるように感じた。
しかし、自分自身にとっては、やはり、心して個人研究ないしは共同研究を報告した方が良いのだ。次年度への自戒である。
28日夜は、息子とも久しぶりに会って食事を共にした。長時間低賃金障害者福祉施設職場で働く彼は、この夜、無償残業労働(施設のフェステイバル飾り付けや景品くじ作成などの仕事と自主活動の重なる微妙なゾーンの仕事だったようだが)が続き、近くのJR駅で会えたのは夜の9時40分過ぎだった。しばし多くの話をし、韓国風焼肉レストランで栄養をつけてもらい、明日朝の朝食用にと食材を渡し、終電に乗ってホテルに戻った次第。疲れはしたが、息子のがんばりを聞けるのはそれなりに嬉しいものである。このあたりは、僕も人並みの親ばかである。
ホテルでは、熊本大学のNさんと28日、29日の2日とも朝食会場でご一緒した。中国の農村教育について、多くをお教えいただいた。
29日は、午前に自由研究、午後には、子どもの貧困に関する公開シンポジウムがあった。自由研究では、はしごをしたが、その内の一つは、大学院時代に多少の接点のあった哲学研究のI氏の報告であった。近年の関心からか、ドイツの男子援助活動について報告されていて、なつかしくもあり拝聴した。もう一つは、社会教育・生涯学習分野の分科会での若い人たちの一部の報告を聞いた。聞いていると、数日前まで、長野県阿智村での社会教育研究全国集会に流れていた歴史的精神とはおよそ異なるものの考え方、とらえかたでの研究報告であった。別に研究方法は多様であって良いし、その取り扱い方も自由だが、扱っている対象はまさしく今動いている政策ないし実践世界である。その場合、現場の切り取り方が極めて片面的で平板なことに驚き、いささか暗然たる思いにもなるような報告もいくつかあった。現実世界の緊張関係や苦闘、懊悩などとの現場性とのあまりにも落差のある報告で、実践と研究との深いギャップがあることも自覚されていないことにも驚いた。これがもしも、若い人たちに共通するスタンスであるとすれば、何というかショックである。現実の実践や人々の思いに深く触れ、学ぶことなしに、論評され切り取られる研究がここには披露されている。・・・実践世界の豊穣さとアカデミック世界の平板性のかくも痛ましき分離を、数日間の間に両方みるのはいささかショックな思いであった。
我が世代にも責任がありやなしや。・・・心して教育と研究の仕事をしようと、考えもした次第である。
午後の公開シンポでは、家族福祉研究、教育社会学、教育法研究と、多角的な視点が交錯し、司会の手際も良かったのか、論点と研究方向整理の視点が見えたのは良かった。
シンポ終了後、来年にコルチャック生誕130年国際企画を控えた、コルチャック子どもの権利比較研究(ドイツ語圏、英語圏、ロシア・スラブ語圏)のラウンドテーブルに出た。名寄市立大学のT先生の持続する志が見事に広がってきているような充実したラウンドテーブルであった。飛行機の関係で途中退出であったが、興味深くお教えいただいたことも多かった。
今回の旅で求めた書籍は右。このテーマでの初めての白書という。左は、法政大学のHさんから頂いた本。彼女の英国滞在の成果の一部が出ているようだ。(論文名は「おとなへの”わたり”の個人化-英国における若年支援政策をめぐって-」)昨年度、リーズ滞在時の楽しい交友経験がよみがえる。これも心して読んでみよう。(Hさんには現代生涯学習セミナーでの僕の報告文をお送りしよう)
自公政権退場、ということでの総選挙。国民の審判の結果は、だいたい予想可能でした。とにもかくにも、(誰が言ったか忘れましたが)「資本家の犬」である自民党が、権力の座から滑り落ちたこと、それ自体は、歓迎です。ただ、民主の大勝は、やや違和感があります。というのも、貧困問題が昨年末から、いまさらのように国民やメディアの注目を集めましたが、これを支援をし、国会でも積極的に取り上げたのは共産党でした。自民がダメで民主、だけど、民主もダメなら、では、その他の政党(共産党に限らずですが)で、というのが、筋の通った考え方だろうと思いますが、やっぱり自民だね、と考えてしまう傾向が日本の有権者にはあるように思います。貧困問題を積極的に取り上げた共産党は、(色々好き嫌いはあるにせよ)もう少し議席を獲得してもよかったし、そうした判断が、筋の通った国民の判断なのではないかと思えてなりません。自民か民主か、というメディアのキャンペーンもどうかと思いましたが、問題状況に対して、どれだけ真摯に向き合ったのかを、もう少し冷静に判断すべきでした。私にはそう思えてなりません。
投稿情報: リベラリスト | 2009年9 月 5日 (土) 10:26
新政権が何を行おうとしているのか。まだ不透明です。まさに歴史的な転換が起きているのですが、羅針盤なき船出にならないよう、注文もしていく必要がありそうです。選挙後ドイツに行ってきた友人が、彼の地で日本国内の波紋以上に変化が議論されていると言っていました。世界的視野でとらえる必要がありそうです。
投稿情報: 北の光 | 2009年9 月15日 (火) 14:47