10月8日(木) 快晴の良い天気。
前方には農業体験施設、民俗資料施設、休養施設を併せた建物が見える。
僕は、4グループの内で、学校調査グループで行動。メンバーは、東京NK大大学院出身の環境教育専門のFさん、H大院生のI君、通訳のSMさん、それに僕だ。僕はこのグループリーダーということになる。
この日は、午前に、プルム農業高等技術学校。昼食をはさんで、午後からは、同校専攻部、洪東中学校の3施設訪問調査である。
インタビューの内容について詳しくは、ここでは、書かない。以下は概略である。プルム農業高等技術学校では、まず、持参した土産をホン先生と呉先生に、お渡しし、ホン先生にお礼を申し述べる。午前は、主に、農業・園芸専門の呉弘変(オ・ホンソブ)先生が、プルム学校の実際のカリキュラムや生徒の日常生活、授業料や生活費、入学者の出身地、性別、親の階層、生徒たちの進路、学校の特色、教職員の出身や実践の特徴などを、質問に応える形で、概略説明くださった。ひとつのデイレンマは、韓国社会の学歴重視社会の価値観とこのプルム学校のめざす理念との、葛藤と苦悶である。そのことは、公立学校にはより強く現れているのだが、プルム学校でも例外ではない。
なお、説明が足りない点は、ホンソンミョン先生が補足してくださった。少し時間があったので、校舎内と周囲を案内してくださる。この日は、生徒たちは、試験日で、校舎内は静かである。
プルム農業高等技術学校は、いわゆる代案学校である。全校生徒が84人(男34,女50)で、少人数教育、寄宿制と自治・自律、教養としての宗教学習、多様な教科学習、農業実習、奉仕活動が組み込まれ、高校の学歴認定が受けられる。(2002年から、国からの補助金も出るようになっている。同時に、国基準の共通教科カリキュラムも部分的に導入されてきた。このことの是非の議論もないわけではない。)放課後には、クラブ活動の盛んな学校である。今年の卒業生25人中、高等教育機関(大学など)進学は23人、2人は浪人であるから全員が進学といえる。内訳では、プルム学校専攻科には2人、農業関連は3人であるので、農業への直接の進路は、多いわけではない。だが、進学後、多様な形での帰農者も少なくない。
この日、帰り際に、沖縄の大学をでてから韓国語を学び、それが縁で、韓国人の方と結婚し、ここに来て、日本語を教えている方にもお会いした。
同校の理念の中核を示す「隅のかしら石」(偉大な平民)たれという書。
1958年開校時創設者の一人のお墓に立つホンソンミョン先生。
韓国に多いカササギ(国鳥でもある)が林の中に。(見えるだろうか)吉をもたらす鳥といわれる。
午前の日程を終えて、他のグループも昼食にホンドン韓牛食堂に集まる。昼食後は、プルム学校専攻科とホンドン中学校(これは次号にまわす)。以下は、専攻科の様子の一部。お話しはホン先生(専攻科長)。質疑の内容は、多岐にわたり、研究的課題も多いが、ここでは書かない。
正面は、食堂と寄宿舎の一部。食材は自給、調理も専攻科学生、建物も自ら造った。ここでも詳しくは書かないが、プルム学校の理想(中堅・中核農業後継者育成)は、むしろ専攻科(2年制)で引き継がれ実現している。単に物言わず困苦に耐える農民という姿ではなく、農業を、農村を、農民をまるごととらえ、科学的営農や農業技術、芸術的センスと造形に秀で、哲学的な総合的な考察力、自らを表現する力をもつ農業の主体づくりという意味だ。宮沢賢治の農民芸術綱領にも共通する思想が、ここにも息づいている。ただし、夜の討議の中では、東京NK大学グループの農学技術に詳しいNさん(鹿児島大学)は、合鴨農法についても、有機農業についても技術的には、まだまだ検討の余地があると具体的な技術面について触れていた。韓国尚志大学校のUさんも農業経済学・協同組合の専門だが、工夫検討の余地が多いことを同じように指摘されていた。グローカルな視点から生態研究、ESD(維持可能教育)と連結させること、さらに、生協・農協・信用組合と一体となった地域経済再生や農家経営強化とリンクさせる、そういった総合的なセンスをもった人材を輩出することも専攻科のねらいである。この日は、中庭に出ると、多様な作業をしている学生たちに会った。専攻科学生の中には、二人の日本語を話す人がいた。二人とも日本の大学を出ている。一人は、在日韓国人出身で、東京のR大学出身。大学を出てから、色々なプロセスを経て十数年。そして、ここにきて5年になるという。もう都会には戻りたくないし戻れないという。もう一人は、若い日本の女性。大学卒業後、いくらか経てからここに来ている。この人たちのインタビューは次回調査時だ。
ホンドン中学のことは、次の号に回そう。
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