3月8日(月)
昨夜遅くの東京からの帰宅だったが、連れ合いは別件で本州行きだ。朝、寝坊するわけにもいかず、犬のシローの散歩、餌やり。これは欠かせない。そして自らの朝食をつくり、後片付け。書斎で、週末の出張の資料整理などをしているとすぐに午前は過ぎていく。急いで、朝の残りで軽い昼食にして出立。
昼過ぎに、留学生のアルバイト仕事用件で、大学で彼らに指示を与える。夕刻前に部局内の委員会に出る。多くの議題案件があった。悩ましい改組問題もある。
夕刻は、組合執行委員会。これも、長い時間がかかる。議題整理や、論議の集中をはかるが、運動課題は山積みだ。時間がとられることは、いたしかたないことなのか。疲労は確実に増進する。
10時に帰宅後、夕方の散歩はペットシッターさんだったが、餌やりは僕の当番。遅い時間となったが、自分の食事と、犬の餌を同時並行でつくる。12時近くに、連れ合いは本州の旅から帰宅。
3月9日(火)
午前は、自宅で物書き。午後、大学に出る。約束していた新聞の取材があり、応対する。来週には記事になるらしい。
夕刻、同僚との共同出版の件で、打ち合わせ。終了後、今度は、子どもの権利条例市民会議の例会。これまた、議題案件が多い。しかし、これは市民の方々が多い。多少は元気をもらう。9時過ぎに散会。
帰宅後、寝る前に、日曜の帰りの飛行機で読み継いできた、城山三郎の田中正造伝ともいうべき小説『辛酸』を読む。田中正造を、宗三郎という谷中村の若者の視点から描いている。正造の人間的度量のスケールとその気配りの細やかさ、人間的誠実さ、しかしそのあまりにも多くを運動に傾けたエネルギーが故に、失ったバランスのいたましさも胸を突く。「辛酸」のタイトルは、正造が好んで揮毫した「辛酸入佳境」から来ている。
H大には、古河記念講堂という古河財閥(三代目、古河虎之助)の東北帝国大学(H大は前身において一時東北帝大に帰属した)への寄付になる建物があるが、足尾鉱毒非難を緩和するための寄付でもあった。この財閥の果たした歴史的汚点に対して、寄付を受け入れてきた関係者はどう考えてきたのだろうか?
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