3月に入った。
仙台から戻った2月28日夜、風呂から出て偶然見たNHKスペシャル「権力の懐に飛び込んだ男100日の記録」は、なかなかに含蓄のあるものであった。NPOもやい代表、一昨年の「年越し派遣村」の村長をつとめた湯浅誠氏の、新政権で内閣府参与を100日間つとめたときのNHKの同行記録である。
「反貧困」社会への改革をめざす課題への、厚労省、文科省、東京都などの官僚の対応が実にこっけいなくらいに「官僚」的なのだ。ここには、「変えること」に対するしたたかな抵抗、できれば「変わらないこと」で済ませたいとする官僚の抵抗がリアルに描かれていた。
1990年代からの「失われた10年」のツケは、非人間的な派遣型労働の蔓延、ワーキングプアの増大、家も職も食も、家族のつながりも断ち切られた「無縁社会」の広がりであった。これに対して、日本の政治は、公的な社会保障や社会福祉、労働の場の提供への支援をまことに消極的な形でしか提供しなかった。結果は、日々の報道にあるような悲惨な雇い止めや失業、家族崩壊の姿だった。これに風穴をあけるべく、湯浅氏は、新政権の下で、あえて内閣府参与を引き受けて権力の懐に飛び込んだのである。
映像では、2009年の年越し派遣労働者の宿舎の確保のための奮闘、ハローワークでの相談受け皿の改革への実際の現場の姿を映し出していた。職務上のせいもあるが、一部の理解ある官僚はいるにしても、省庁を越えた改革や、現場の対応は、消極的だった。末端の裁量や判断を奪われた役人の対応は、つねに事なかれで済まそうとする言動のオンパレードであった。滑稽だったのは、年末の宿舎を提供した派遣労働者の相談に関して、オリンピック青少年村の館内放送の許可が前例がないとして出なかったことであった。その打開のためには、厚労省と文科省の本省の相互の上級官僚レベルの折衝まで持ち込まれた。
湯浅氏にとっての感慨は、恐らくは以下のようなことだったのかも知れない。つまり、在野であることで「変わること」が基本であるが、権力に入ることで「変わること」もある。そして、まったくその逆に、在野であることで「変わらないこと」もあれば、権力に入っても「変わらないこと」がある。そのバランスの中で、重要な局面打開の時間を「権力の中に入って」過ごしてみて、政策効果を実施する。しかし、その後は、より自由に在野から改革を迫った方が良いとの判断を堅持することだったのかもしれない。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100228.html
3月1日(月)
午前は、いくつかの物書き作業。午後は大学に出て、書類作業の後、中期計画委員会。夕刻長い時間をかけた組合執行委員会。
東京での会合でNさんから受け取る。気骨あるヒューマンな実践的研究者の先達のお一人、福尾武彦氏の軌跡は多くのお弟子さんたちに囲まれたものであった。「たたかい学ぶ人間性こそ」という福尾先生の信条などは、「変えてはならない」教訓であるが、どれほどに今は支持されているのだろう・・・
3月2日(火)
午後、学内の高等教育開発委員会。その後、研究室に戻って翌日の講座会議のためのいくつかの懸案について同じグループのMさんと協議。さらに、夕刻は、博論審査の評価文を完成させるべく作業。
3月3日(水)
午前は、改訂される予定の就業規則案に関して、職員課と組合の説明予備折衝。多くの課題・懸案が出る。研究室に戻ると、所属する大講座会議が午前にあったという、前日にこの講座会議の最終の打ち合わせをMさんとしたのだが、彼はこの日は所用で休暇を取ったのだ。僕は当局と組合との交渉があると伝えていたのだが、講座会議出席の分担の最終確認を怠ったことのミスだ。忙しいとこのようなポカがでる。不必要な批判も浴びなければならない。責任は我にありである。やや、気持ちが落ち込む。・・・・ 気を取り直すべく、必要な調べ物をいくつか行う。提出すべき、学内委員会の報告文もいくつかある。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。