4月に入り、太陽の光も増し、いったんは雪も大半が消えた。このまま春に一直線に向かうかと思いきや、おっとどっこい。ここは、北海道。そうは簡単には、いかない。
雪だ。 snow in Aprilである。この地では、まあ珍しくはないが、あまり好きじゃないな。この数日は暴風も吹いた。
例によって日誌メモ。
4月12日(月)
連れ合いが、彼女の娘の様子伺いに本州に行っているので、朝の犬の散歩等は、当方の当番。夕刻は僕も不在なので、ペットシッターに散歩をお願いしてある。
朝食後片付けを素早く済ませて、大学へ。午前は学部の講義。TAのG君と連絡が事前につかず、一定数の資料を講義前に印刷をすませる。昼休みには、医学部付属病院の新人看護士さんたちの組合勧誘の活動に参加。翌日の懇談会に向けた「就職おめでとう、組合に入りませんか」といったチラシや各種情報、明日の招待昼食券を入れたgoodsを一人一人に渡す。当局のオリエンテーションプログラム開始前に、許可を得てのわずか5分だけの宣伝活動。病院の組合分室も帰りに立ち寄る。かなり広い。それにふさわしいユニオンメンバーを得なくてはとも思った。
研究室に戻り、いくつもの雑務仕事。科研費の採択内定の通知もきていた。夕刻の組合執行委員会前に、今年刊行予定の教職関連の本の打ち合わせを編集メンバーで行う。この編集と原稿の最終的なツメも一つの大事な課題。
夕刻は、組合執行委員会。やはり、多くの案件があった。9時過ぎに散会。
本州に出かけている連れ合いから、新幹線移動中に、作家の井上ひさし氏死去の電光ニュース見たとの連絡メール。ついに彼も、生を終えたのかと、こちらは夕刊の記事を眺めていた。僕も、彼の多くの作品を読んできた。残念である。識者各氏の追悼コメントもその通りという気持ちだ。九条の会は、これで、呼びかけ人の小田実、加藤周一、井上ひさしの三人を喪った。彼らの思いを引き継ぎながら、すべきことは多い。
4月13日(火)
授業の資料作成、印刷等を午前に済ませる。午後は、2つの講義。一つは、学部の専門科目。もう一つは、留学生用の英語を用いた講義。両方とも、昨年より受講生が多い。
夕刻は、こどけん例会。これまた9時過ぎまで、多くの案件。5月の年次総会に向けた準備もあり、議論は活発。
案件の一つは、滝川のいじめ自殺事件裁判の結果の総括だった。原告を支援をしてきたグループのKさんから和解の詳しい内容を聞き、今回の裁判の画期的な点をあらためて確認する。遺族にとっては、娘さんを亡くしたことへのまだまだ残る口惜しさがある。しかし、「和解」の事例としては希有なのだが、裁判の判示において丁寧な事実認定が行われ、道及び滝川市、それぞれの教育委員会に瑕疵があったことを正式に認定したことは大きい。そして、和解の条件として、道内のすべての教職員に、遺族の声明文を知らせ、また滝川市の広報には、遺族の声明文章を載せることを認めさせたことである。うやむやに謝罪だけをさせるのではなく、今後二度とこのようなことが起こらないようにするために、一体何があったのか、なぜこのようなことが生じたのか、しかもそれが、学校の指導との関わりで生じたことを明確にして、一人一人の教職員の自覚を喚起させることを含んだいることの意味は大きい。和解に至る判決の中では、今回の事態を引き起こすにたる予見可能性があったことの立証、クラス担任や学校側の言動の不誠実性等を正式に認めさせたことの意味も大きい。
問題は、このようないじめの空気を温存させている社会のありよう、教職員の認識、さらにそういうことに影響を受けている子どもたちの存在をどのように、友愛と人間性の豊かなものとして変えていくかであろう。道はまだまだだ。
4月14日(水)
午前は、大学院のゼミ、夕刻は大学院の共通講義。このところ、毎日、夜までの会議等が続き、原稿書きがままならない。この日は、帰宅後結局は、徹夜の原稿書き。
連れ合いは、用件があり、この日は不在。
4月15日(木)
徹夜明けの時間勝負の朝。最後まで完成しない焦りの中で、シローの散歩を終えて、身支度し、朝食抜きで、大学へ。9時からの出版社との打ち合わせにかろうじて間に合う。別の原稿も、未完状態。なんだか心身ボロボロの状態だ。
その後、午前は院の論文指導ゼミ。午後は、学部ゼミ。色々な連絡対応があり、結局帰宅は夜の8時過ぎだ。
姉崎先生、たいへん忙しいですね。お体を大事に
投稿情報: Li | 2010年4 月18日 (日) 12:12