8月後半は、時間との勝負だった。詳しく書くのは、つまらないことだ。要するに、たまった原稿書きのツケの精算に明け暮れたのだ。
8月28日 社会教育研究全国集会に参加すべく、猛暑の東京に向かう。
JALでは、ジャンボ機の最終フライトだった。機長が操縦席から手を振るというので、シャッターを切った。今後は、中小型機に切り替えて経営の改善を図るという。
会場は、立正大学。ホテルを品川にとったので、荷物をあずけてから会場に向かう。大崎から立正大学に向かう道はゆるい坂道だが、汗がふきだす。
会場では受付が設営されていた。手続きを済ませ、Iさんや幾人かの報告者と、翌日の課題別集会の報告者打ち合わせを行う。ある程度の見通しを得て、散会。
第一全体会が始まり、終了後は、懇親交流会。多くの友人、知人と話を交わす。韓国から今年も20人の人々が参加していた。
基調報告は、都立大学名誉教授の大串さんが行った。
50年の歴史を振り返る回想の中での千野陽一先生の証言。
ビデオ映像には、その時々の人が回想を行っていた。
リレートークが次いで行われ、興味ある報告が続いた。ここでは、詳細は省く。
町田の障害者青年学級の伝統を受け継ぐ、創作曲の合唱。
左は、懇親会での社全協委員長の上田幸夫さんの懇親会での挨拶。
懇親会は、なんだか落ち着かなかった。話した人々は、愛知や埼玉、首都圏、北海道など暮らした中でのつきあいの人々も多いが、今年は愛知や北海道の参加者はそれほど多くなかった。埼玉のKさん、W大のヤマケンさん、ホリウチさんや日青協の元事務局のNさん、高知のUさん、千葉大のNさん、韓国の幾人かの方々、立正大名誉教授のF先生、愛知のTさん、Oさんなどが話を交わした人たちだ。
終了後、二次会に五反田へ。幾人かの人々と交流した。
8月29日 第50回社会教育全国集会第二日
ホテルの朝食時、福岡のHさんと話す。一泊の滞在だったが、キャーリーバッッグの荷物をホテルに預ける。
課題別集会準備もあり、会場の立正大学へ、品川からタクシーで急ぐ。前夜の集会懇親会と五反田でのOさん、Tさんたちの飲食で胃が重たい。また恒常的な疲れもあって、腸の調子が悪い。
以前に書いた小論「社会教育法60年を検証する」が、社全協ブックレット4号に掲載されて、この日に刊行されていた。
3月に行われた第22回現代生涯学習研究セミナーの記録集が、刊行された。大阪音大のOさんの編集努力の賜である。
この日は夕刻まで、課題別集会の運営司会があった。また僕自身の報告もあって、神経を使う。僕の報告はともかくとして、全体としては、厳しい状況を共有し、一人一人の問題として課題を把握するという面は共通の受け止めだったかとは思われた。報告者の内容も切実なものが多かった。とはいえ、万々歳ではない。僕には、新たな課題も出てきたと思われた。
詳しくは論じられないが、僕の感じたことは、以下のことだ。一つは、厳しいなと思ったこと。つまりは、正論としての運動と理論の共感幅が縮減されて、運動主体の分断化が随分と進んでしまっている面も感じられた。二つ目は、その意味で、公的社会教育合理化が進行して、今や正規職員とか、非正規職員の実践ばかりではなく、指定管理者制度で働く人の社会教育実践をどのように受け止め、共同の道を築いていくのかとか、行政改革のハザマで悩む首長の政策決定にいかに研究者や職員、NPOなどが関与するのかとか、所与の条件の限定と制約の中でのいわゆる接近戦の段階に移行している面も多くあった。三つ目は、合理化の局面が先に進んでしまっているのかも知れないが、やや政策に惑わされているきらいが運動側の一部にあることだ。たとえば、気になるのは、ここで妙に小手先を弄した議論があることだ。批判を欠いた妥協には、善意であっても、危険が多い。僕には、もっと正確な政策分析と、理論と実践のバージョンアップが必要だと感じられ、そのような点での現状認識と政策の理論背景と構造に関わる問題提起もしたのだが、どれほどに理解と共感を得られたものか? なお、社会教育職員の組織化、専門職的位置づけ、運動への貢献について、韓国の方々にも議論に参加してもらって良かった。この点では、ヤンビョンチャンさんとにも話していただいた。
夕刻、羽田に急ぎ、帰路の道程。飛行機が霧のため千歳に着陸できない場合は、引き返す場合があるとのアナウンスにやや不安を覚えたが、なんとか無事着陸。
帰宅は11時過ぎ。シャワーを浴びて、気持ちを変える。急ぎの原稿の仕事に入る。睡魔が襲う中、徹夜の作業だった。
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