10月3日(日)
仕事もたまったままで日曜もないはずだが、さすがに体が拒否している。休むときは休もうと今日は無為をむしろ選んでみた。
ぐだぐだした状態で一日が過ぎた。
体を動かそうかと、午後、思い切って近くの西岡公園の池のまわりの木道を歩き、秋を味あおうとシロー(飼い犬)を後部座席に座らせて出かけたが、警告看板に拍子抜け。
8月に公園奥のキャンプ場近くに熊が出没して以降、入り口を少し入ったところからは通行止めになっていたのである。知らなかった。民家からほんの少し入ったところなのだが・・・。
公園の真ん中を占める西岡水源池にはガンか鴨なのか、水鳥が動かずにじっとしていた。熊出没注意のために、ほんの少しの散歩で終わったが、シローは興味津々で周りをかぎまわっていた。
夜9時のNHKTV番組に「スクープドキュメント“核”を求めた日本~被爆国の知られざる真実~」があった。
何気なく見た番組であったが、村田元外務省事務次官が肺ガンでの死の直前に語った知られざる真実は、驚愕の内容であった。1960年代半ばから後半に、被爆国の日本が密かに核開発の可能性を探り、ドイツとの協議の場を設定もしていたのだ。内閣調査室も動いていた。しかも後年、非核3原則での「功績」なるもので「ノーベル平和賞」を受賞した佐藤栄作首相の下でだ。しかも、佐藤元首相のノーベル平和賞受賞スピーチには米国からの圧力があり、消された1行もあった。長崎の被爆者のTさんの証言が映っていたが、そうした方の草の根の平和運動がある一方で、国家官僚は、広島、長崎の被爆の重みや犠牲に向き合うことをしないのだ。問題の事柄の軽重において、超大国たる国家の「至高」の利益のためには、核保有すら辞さないという論理がまかり通るのだ。ここには、市民の命の重みは、ごくごく軽いのかも知れない。
しかも、一切を秘密にしておいて、国民は国の外交や軍事には裏があることを良く知るべきだという、内閣調査室の元高官の発言は、率直なのだろうが何ともはやあきれ果てる。
日本の外務省事務次官の遺言に近い言葉を聞いて、重い口を開いたドイツ政府の高官が、歴史を踏まえて核廃絶を日本が先頭になって進めるべきだという発言との落差は何であろうか?
日本の国連「軍縮大使」は、日米安保条約での核の傘の下にあるが故に、皮肉にも、アメリカが嫌うような核廃絶や軍縮提案には、日本はその関係を壊さないために半数近く棄権ないし反対をしてきたというのだ。提案国のひとつメキシコの担当大使は、日本のこの態度に、非常に失望したと述べていたのが印象的だ。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/101003.html
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。