9月もあわただしく過ぎ去った。
備忘録を付けておこう。
社会教育学会・大都市社会教育の研究と交流の集いを終えて、神戸から戻ると、多様な用件がラッシュした。
その間に、連れ合いの末子のSが大阪の大学に戻っていき、入れ替わって連れ合いの次男のTが来札した。家人は、3日間ほど、次男と色々な場所に出かけていた。それも良しである。
僕には、その間、責任者でもある「全大教北海道」関連の主催事業が週末に続いた。
9月25日(土)
この日は、全大教北海道主催のフォーラムを行った。講師は、静岡大学の佐藤誠二教授にお願いし「国立大学の現状と問題点」と題して報告を頂いた。「第一期中期目標期間の検証と問題」という副題に焦点づけ頂き、北海道地区の国立大学の財務の具体的分析もともなった有意義な内容であった。詳しくは、別に書くので、ここでは省きたい。Hu union newspaper draftをダウンロード
終了後の懇親会では、より突っ込んだ話など伺った。
9月26日(日)
この日は、朝から全大教北海道単組代表者会議であった。詳細は省略する。僕は、議長役をもう一年行うことになった。
9月27(月)-28日(火)
前日の疲れが抜けていなかったが、道東の標茶町で行われた、「標茶町の地域づくりとコミュニテイネットワークフォーラム」に参加すべく、JRと車を乗り継いで片道5時間ほどの移動を行った。
特急「スーパーあおぞら」はJR北海道ご自慢の振り子デイーゼル列車だが、揺れ方がまだ強い。左右、上下に間断なく揺れる。コーヒーがこぼれるのはやや困る。札幌-釧路を在来線で3時間45分程度で結ぶには、これくらい我慢なのかも知れないが・・
せめて、PC電源か、さらに無線ランが通じていると助かるのだが。
左の白糠町あたりの海岸は、もう晩秋の雰囲気だ。
釧路近辺の湿原の始まりだ。
標茶町へは、釧路空港への飛行機のルートもあったが、前後の移動時間などと費用との勘案で、地上での移動となった。27日は、札幌から標茶町の宿への移動が主になった。茅沼の「憩いの家」という標茶町の3セクの温泉がその日の宿であった。夜の懇親会では、当日標茶町全域をイクスカーションでまわってきた参加者と合流した。町長や教育委員会の行政関係者、研究者、韓国からのフォーラム参加者の方々と親しく交流することになった。
翌日28日は、ホテルを出て、会場の標茶町コンベンションホールのウイズへ移動した。この日は、午前と午後のプログラムが用意され、午前は韓国農村の地域再生活動フォーラムで、僕が司会進行を行った。公州大学校のヤンビョンチャンさん、チンアン郡の地域づくり支援専門家のク・ザインさんの2本の報告であった。
クザインさんの報告。
ヤンビョンチャンさんの報告。
午後は、標茶町のまちづくり、生涯学習の総合的検討ということで、北海道教育大学の玉井康之さん、川前あゆみさん、そして標茶町虹別地区の住民代表として、舘定宣さん、役場職員の斉藤さんに報告を頂いた。司会は鈴木敏正さんだった。午前、午後の報告はいずれも聞き応えのある内容であり、その後の全体討論を含め、充実した内容であった。詳しくはここでは書かない。
休憩時間の風景。天井のデザインのカーブは釧路湿原の蛇行する川のイメージかな?
教育大の学生たちの学習パネル展示。
全体討論の時間での報告者の方々。
この日は雨も降り、肌寒い。会場周囲の雰囲気は秋も終わりに近づいている感じとなっていた。
終了後、釧路まで玉井さんの車に同乗させていただいた。ヤンビョンチャンさんや通訳のキムボランさんとも一緒で親しく交流もできた。列車の時間の関係もあり、韓国の方々が宿泊されるホテルで、皆さんとお別れして僕は帰路についた。
帰路では、院生の2人と一緒に釧路駅近くの定食食堂で夕食を共にとってから、札幌へ移動した。振り子電車の揺れがきつく、読書もままならず、じっと我慢の乗車時間であった。帰宅は深夜になった。
9月29日(水)-30日(木)
休みたい欲求もあったが、ままならず、両日とも、大学での校務仕事で追われた。28日に来日した中国からの研究生の2人の対応、国際本部のオフィサーの選考委員会、英国調査の案件、指導院生の多くの相談事項、その他、多様な雑務がラッシュした。
なお、30日には、八千代書房から編者として関わった『教職への道しるべ』が刊行され、出版社のMさんともお会いした。何とか刊行にこぎつけてほっとした。
http://www.yachiyo-net.co.jp/books/category_33/item_619.html
http://blogs.yahoo.co.jp/doukyoukaken/59898775.html
夕刻には、家人の誘いもあり、映画の上映会に南区に出かけてきた。山田洋次監督の「おとうと」である。見損じていた作品である。忙中のつかの間のほっとした時間であった。吉永小百合、鶴瓶の組み合わせがなかなかに良い。山田監督の味とともに、松竹作品の伝統を感じた良作であった。
10月1日(金)
この日も大学での校務仕事が多かった。夕刻には、中国からの研究生の歓迎コンパを行った。
研究生としてきた中国のR君とRY君である。
10月2日(土)
この日は、朝から夕刻まで、北海道の国公関連の労働組合大会で、僕は全大教北海道から代議員として参加した。北海道には、国の出先が41自治体にまたがり存在し、日頃聞くこともない、国家公務員関係のそれぞれの職場の状況が聞けて多くの知見も得て良かったが、連日の休みのない日々もあって、さすがに、疲労困憊でもあった。
この日の夜のNHKhiチャンネルの、ARATAが案内役の「男前列伝」は面白かった。番組リード文には下記の表現があった。
<曾我蕭白―大胆な空間把握と、細密で精確な描写が同居する作品で、江戸時代絵画史に異彩を放つ個性的な絵師だ。蕭白の代表作「群仙図屏風」「達磨図」「唐獅子図」には喜怒哀楽を超えた人間の本性が描かれている。達磨のむき出した白目とすがるような顔つき、唐獅子の怒りの果ての困惑の顔、なぜあれほどまでに本能むき出しの顔を描き出せたのか?蕭白がその代表作の多くを描いたのは35歳の頃。今、同じく35歳の俳優ARATAが、当時蕭白が漂泊した伊勢を訪ね、ゆかりの場所で作品と対面する。いくつもの「顔」を演じ分けている俳優の自らに照らし合わせるように、蕭白が数々の面妖な「顔」を描き分けることで描き出そうとした狂気に迫る。>
時代を突き抜けて生きるには、たとえ、他者から疎んぜられ、忌避されたとしても、あるいは漂泊の身であっても、狂気と評されるほどの表現する意志が必要なのかも知れない。
コメント
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