2010年もあとわずかになった。師走入りだ。例によって備忘録。
先週末は、12月3日は前号にも書いたパレステイナ研究者Rさんのミニ講義と教授会、夕刻は忘年会であった。土曜日は、Rさんを招いての家でのランチ。
週末週明けの日曜、月曜(12月5-6日)は、新潟の私学調査であった。新潟県は人口約250万人、新潟市が約80万人、長岡市が約29万人といった人口構成。1990年代半ば頃までは、大学進学率が47都道府県中、下位の下から2-3番目であった。代わりに、専門学校の数が際だって多い、どちらかといえば、実学重視の土地柄だったという。新潟市が政令指定市に変わっていく方向もそうだが、地元に大学をという声が強くなり、自治体なり、企業なりが後押しして、大学をつくっていく機運が強まり、いくつもの私学が創設された。新幹線効果で、首都圏の大学への進学(そのような学生募集も多い)が今も高いが、それなりに地元進学が保障されることになった。しかし、このところの不況などもあり、定員割れしている私学もこのところ目立つようになってきた。その中で、私学助成などを含め、私学の公共性と経営状況の調査で、新潟市のKJ大学と長岡市のN大学を訪問調査した。院生のKさんの研究支援を兼ねてである。この間、道内の2大学、愛知・名古屋の2大学調査にも同様に同行し、調査を行ってきた。Kさんは、他に単独で関西圏、Mさんと一緒に首都圏私学調査を行っている。
KJ大学とN大学についてのヒアリングは、両大学学長及び財務や経営担当の方々にお会いして行った。それぞれ、興味深い内容であった。両学長の出自が一方が自治体トップ、他方が企業トップであり、その経歴に裏打ちされた理念でリーダーシップを発揮されているようだった。それぞれの経営方針が相当に異なった路線であること、改革にあたって意欲的であること、学生定員数が少ない中での大学経営苦心など、それぞれに印象に残る内容であった。ここでは、詳細を省く。またコメントも控えよう。
KJ大学は、新潟市にある中央キャンパス(本キャンパスとは異なるサテライト施設)で、早朝8時半からのインタビューであったが、快く応じていただいた。
H学長からは、経営方針や開設時の経緯などをお話いただいたが、この日は東京出張があり、途中で退出された。対応に多謝である。残る時間は、実務と経営担当の方々に丁寧に対応いただいた。(写真はHI学長が写っていないが、他の方々理事事務局長のSさん、会計課長のSUさんと一緒である。)
新潟から長岡への移動は行きは普通列車、戻りは特急であった。帰路の飛行機の関係で、復路の移動は時間刻みでややあせっての移動となった。 N大学では、HA学長と理事・事務局長のTさんのお二人に応対いただいた。学長のHA氏は、HP上でも多くの見解を表明されており、独自な経営哲学をお持ちであった。これも丁寧な対応をいただき多謝である。
12月6日は、夜遅くの帰札となった。空港から帰りの車中では、タイから来た若いカップルと話すことになった。雪を見に北海道に来て、札幌を拠点にして小樽その他を訪れ、その後函館に移動し、さらに東京で1週間を過ごして帰国するという。レイルウエイパスを利用しての国内移動のようであった。翌日は天気予報は雨であったが実際は雪になった。かれらには幸いであったであろう。
その後の日々は、講義、演習、論文指導、委員会で過ぎてきた。
パレステイナのRさんは所期の目的を果たして、水曜日に札幌を離れ翌日東京から帰国された。いつか,かの地で再会できるときがあることを切に願いたい気持ちである。
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