先週は、通常の教育業務が続いた。冷え込みの中で、雪が溶けずにほぼ根雪となった。
研究室の窓からの風景も雪景色になった。
週末の金、土(12月17-18日)は、東京での会議と研究会であった。これで3週連続週末出張だ。
金曜12月17日は、日青協・日本青年館が企画している若者支援プログラムの若者活動推進コーデイネーター養成事業・中央フォーラムの企画推進会議であった。例年、全国青年問題研究集会と並行させながら進める事業である。地域プログラムを事前に行ってきており(東日本、中部、西日本)、中央プログラムは2011年3月である。
この日は、プログラムの骨格と今年のねらいを検討し、大筋は確定した。細部の詰めは、来月に行うことになった。
会議後は、日本青年館近くの場所で日青協・日本青年館事務局・役員と研究者とのフランクな話し合いをもった。
夜半は、持ち込んでいた校正仕事を行った。
明くる日は、晴れだ。朝風呂、食事の後、前夜からの仕事を続行し、チェックアウト時間前に出立。
日本青年館の部屋からの明治公園や新宿都庁方面の遠景。
土曜のこの日の午前は、本来は息子と会う算段だったが、息子Kは仕事がこの日もあって「都合が付かなくてゴメン」とメール連絡が数日前にあった。代わりに、細君の教え子の個展(須飼秀和展、12.5-12.18)に行くか、時間がとれずに見ることができずにいた映画(韓国映画、冬の小鳥)に行くか、迷った。結局、午後の研究学習会の日程時間から、千駄ヶ谷から近い新宿武蔵野館でやっていた映画に足を運ぶことにした。
韓国映画(フランス映画でもある)「冬の小鳥」(「冬の小鳥」は邦題である。原題は、Une VIE Toute Neuve, A Brand New Life:新しい人生, 韓国での題名は여행자「旅行者」)を観た。
この映画は、抑制の利いた画面を通して、人間の悲しみ、愛のありようを深く考えさえ感じさせた。まったく予想もしなかった人生の転換に幼くして投げ出された9歳の少女ジニの孤独な魂の旅を描いているが、少女の気持ちを観ている者にも感得させる。絶望、怒り、父親の愛への憧憬、孤独、自分の決断による新しい人生の選択、・・・がジニを演ずるキム・セロンの感性豊かな演技から迫るものがあった。家族というつながりをどう考えるかは、今や世界人々にとっての共通の焦点になっているように思われた。脇をかためる養護施設職員たちシスター、父親役(ソル・ギョング)、施設の少女たちの姿も実際にそうであったであろうと思わせるリアリテイを覚えた。
これ以上の凡庸な解説は無用だ。関心のあるかたはご覧あれ。
http://c-cross.cside2.com/html/a10hu027.htm
午後は、明治大学での社全協の緊急学習会であった。
http://japse.style.coocan.jp/info/
現在、公民館の合理化の事態は、極めて厳しい段階にきている。
あらためて、その歴史的意味と、これまでの到達点や実践の積み重ね、さらには現段階での各地の多様な運動を受け止めて、前進をかちとっていく「たたかい」が必要だ。
あきらめや悲観論をばらまく傍観者的な評論や、安上がりに済ませるための費用対効果論とか行政学的・行政内分権による効率的効果評価論などの技術主義的(テクニカル)な議論、あるいは、「新しい公共」「熟議民主主義」「地域主権」などの一見新しくまともなようでいてトリッキーな言葉の置き換えを目的とする喧伝等々、それらはその種の人々の権力への奉仕の「歴史的役割」にまかせよう。
今必要なことは、実際に合理化のもつ危険性への証言をしている人々の真意、学びを通して自らを変えてきたことの教育的価値を訴えている人々の「声」に耳を傾け、理解し、共感し、共に考えることだろう。そうしてこそ、初めて運動的実践的な意味づけ、理論的意味づけ、政策的説得力をもった議論が組織できるのだと僕は思う。
この日は、長野県上田市の事例をNさん、岡山県岡山市の事例をYさん、神奈川県川崎市の事例をTさんが報告された。研究者的提起は、Sさんだった。
ここでは、詳しくは述べない。それぞれの事例報告は、事の深刻さや運動の広がりと厳しさ、当事者の間での議論や政策側の言説をリアルに伝えるものであった。この議論をもっと深めることが必要だったが時間不足であった。
Sさんの議論は、別の場の報告で聞いたこともあったが、そのときの違和感は、この日も同じであった。Sさんが認識としていることと、その場の多くの人々が抱いている総合的認識や感受性との間には多くの差異があった。そこには、多分共有している事実、理論、情報が驚くほど少ないのではないかと思われた。しかし、Sさんのような考えは決して例外ではない。そういう人々もいるから「合理化」は進展しているのである。この違和感を冷静に分析し、その溝を確認し、違いは違いとして共通の議論が可能になるかどうか、そのあたりが重要であろう。
帰路の飛行機は雪のせいで機材整備が遅れて、出発は1時間遅延。さらに羽田に引き返す恐れを含んでのフライト。雪の季節になったのだ。
3週連続の出張のせいか、疲労なのか、風邪を引いた模様だ。翌日の日曜は、吐き気が続いた。薬を飲んだが、すっきりしない。はやりのピロリ菌なのかも知れず、明日は医者に行ってみてもらおう。
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