先週は、会議が多かった。
2月28日月曜も、院生指導の件と部局委員会。その後関連した会議関連文書協議が続いた。帰宅後は、ある雑誌の原稿の最終校正仕上げで明け方までの作業。
それで、2月も終わってしまった。
この地はまだ花とは縁遠い雪の季節。せめて玄関先には花を飾りたい。
3月1日(火)昨日からの原稿を最終的に仕上げようとするが注記が残った。夕方、時間ぎりぎりになって、S市の青年活動支援センターの運営協議会。雪降り、迷うとまずいのでタクシーで出かける。色々な案件があったが、ここでは省く。終了後、すこし距離があったが、最寄りの地下鉄駅まで雪をかぶりながら歩いて帰宅。疲労もあり、仮眠をした後、深夜に残りの原稿作業を行い、明け方送稿。
3月2日。午後長い会議、夕刻院生の博論指導相談。
3月3日。朝、犬の散歩。雪が路面から消えるかなと暖かい日があったが、再び雪で白銀化。ひな祭りだが、そういう季節感がわかない。学生の履修指導上の難問があって、気がふさぐ。大学に行き、相談や指導と思うがなかなかコンタクトがとれない。夕刻近くは、部局の研究会。教員養成教育のありかたのゲスト講師の講演と討議。夕方に、学生と相談事で話し合う。 この日は、あれやこれやで、他の原稿に手が回らない。
3月4日(金)
午前は、短時間ジムで汗を流し、大学へ行く。教授会の前に幾つか相談事。教授会は多くの案件。終了後、夕刻、駅に急ぐ。朝預けたコインロッカーから荷物を出して、東京へ移動。
夜11時近くに、全国青研集会と中央フォーラム開催会場の日本青年館にたどりつく。この日は、そのまま就寝。
3月5-6日。2日間、文科相委嘱事業であり、青年教育分野のリーダー養成事業である。
3月5日のパネルデイスカッション
「エリア・イノべーション・アライアンス」代表理事のKさん、NPO法人「暮らしづくりネットワーク北芝」事務局長のIさん、倅セガレ副代表のWさん、それにコーデイネーターのAさん。3人のパネラーは皆若い。僕の息子の年齢だ。若い分、とんがっていたり、突拍子もなかったり、意想外のアイデアに満ちていたり、先行世代のへの厳しい異議申立と遠慮がちの配慮がぎこちなく同居していたりする。いずれも地域づくりの新しい発想や、ネットワークの新機軸、ビジネスと地域活性化の結合だったりする。「既存のルールを尊重しながら時には壊す」「みんなでやれば失敗する」「あえて合意形成をしない」「ゆるいつながりとルール」「みずからプロデユースし、かせぐ」など刺激的な発言がぽんぽん飛び出す。
公財政への権利の視点、障害者、不利益者、声を出しにくい人の当事者性の視点からは、ややワークフェア的な視点と自助努力を強調する論者もいて、ビジネスモードの落とし穴も潜んでいるような気もした。他方、同じように見えながら、ソーシャルネットワークや違いを大事にしたゆるやかなつながりや、わかもののリアルに視点をあてた報告もあり、論点が豊かに出されていたように思えた。
僕は、その「中央フォーラム」の研修での助言者。全体会の後は、分科会に分かれる。助言者というのは、報告を聞き参加者が闊達に討議するよう支援する分科会の裏方ともいえる。分科会では札幌の都市型新生青年団の活動、秋田男鹿地域の茄子地人協会の「琴川すげ傘の伝承」、山形南陽青年団のカボチャプロジェクト「かぼちゃで地域活性化」の3本の報告を素材に、朝9時から6時までの第一日、二日目は朝9時から午後1時まで。参加者のユニークな発想や、対話が有機的につながり、濃密な時間が流れた。
夜の懇親会では、各地の青年との交流の他に、古くからの先達のMさんや、演劇演出家のOさん、埼玉の元の同僚Bさんなどと親しく話す。
エンデイングプログラムは、午後。僕は飛行機の関係で、最後までのおつきあいはできず、空港へ移動。
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