大震災・津波を起因とする福島第一原発事故への国民の関心やそのことへの反応は強まるばかりである。そして、東電・保安院の復旧回復措置は、作業にあたられる懸命ないのちがけの努力にかかわらず、放射線の強さもあり、計測値も不明なことなどもあり、作業は一進一退ではかどらず、日々被害が拡大している。
司令部たるところがどこなのかも、国民には詳しくは知らされていない。現段階の技術的工法の可能性の複数例示もされていない。
今ややられているのは、電源回復の努力と引き続く海水注入である。
外部電源によっていかほどにポンプやその他のシステムが稼働可能になるのかは、いまだ不明である。海水注入は、塩害が生じることをアメリカからも警告されている。すなわち、「米側から、機材の腐食を防ぐには淡水に早く変更すべきだ、と非常に強い要請があった」(25日、北沢防衛大臣会見)ことが証言されている。「非常に強い」という表現は、危機的であるということである。
しかも、これらに代わる、オルタナテイブはあるのかないのか、そのこともはっきりしない。素人目にには、要するに、方針が確定していないように思われるのである。
しかも、決死の状況で行っている作業員の安全管理がずさんで被曝が深刻な事態にあることすら分かってきた。そして、各地の放射線濃度が高まり、水道水や野菜等が危険レベルに達し始めてきている。
風評被害をふせぐということで、政府のみならず、各種公的機関や学会の中からは、当面は安全であるが念のために注意すべきである云々の解説が行われている。
しかし、それらの解説はその信憑性を含めて怪しいことが多いということが、現実のもとに日々起き始めている。
いたずらに不安をあおるのは厳に戒められなければならないが、現状では、不安は、解消されるどころか拡大しているのが実情だ。
原発近接地住民は、危険の範域がどこまでなのかについて神経をとがらせ、真実を求めている。
政府は当初、20キロ圏内を避難対象、さらには30キロ圏内には当初屋内避難としていたのを自主避難地域に設定した。すでに数町村は自治体機能を含めて避難し、30キロ圏内の住民もその多くが移動し始めている。
その中で、「自主避難」という曖昧な定義に、住民は、一体どうしたらよいのかと不安におびえている。また、国の方針の後手後手の発表や市町村の頭越しのやりかたに当然ながら怒りが表明されてきている。
すでに、諸外国、例えば、米英仏露中国等は、80キロ圏内、50海里を避難勧告ないしは立ち入り禁止地域に設定し始めている。
ところで、
一昨日になって初めて見解を表明した「原子力安全委員会」には、がっかりした。とりわけ、その見解の発表のスタンスと公表の遅さ(皮肉にも関連専門機関は文科省原子力安全課でSPEEDIと言うらしいhttp://www.bousai.ne.jp/vis/torikumi/index0301.html)には、失望した。
ただし、重要な指摘は、同安全委員会が、一つは、原発事故の危険レベルを初めてスリーマイル原発事故のレベル5を上回るレベル6に引き上げたこと、二つは、予測を正確にするには、モニタリングポイントをもっと増やすべきとの見解であった。
とはいえ、以上を、事故から2週間近くたってから公表したのだ。何のための委員会であろうか。
しかも驚くのは、同委員会の斑目委員長は、原子力安全委員会は、内閣・政府に助言勧告するのが任務であり、国民への公表が第一任務ではないというのだ。
一体この人物は、どんな人物であろうかと思っていると、今日の朝日新聞に、記事が載った。
一つは、経産省内部の原子力安全・保安院とそれらを統御するはずの原子力安全委員会の両トップが過去に「電源喪失想定できぬ」とそろって表明していたというのだ。
二つ目は、原子力安全委員会の斑目春樹委員長は、東大教授時代に浜岡原発をめぐる訴訟で中部電力側の証人でもあったというのだ。その言説がふるっている。
「ちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません」
「ただ、あれも起こって、これも起こって、だから地震だったら大変なことになるんだという、抽象的なことを言われた場合には、お答えのしようがありません」
「割り切り」が必要だというのである。
その人物が、昨年2010年4月以降、原子力安全委員会の長を務めているのだ。
最悪のシナリオを想定外として考えてきた原子力開発と原子力推進行政に「安全」を語る資格があるのだろうか。しかも、ここにきても、何をしようとしているのか、はっきりしないのである。(あるいは隠している)
下記の「ビデオニュースドットコム」の解説は「あえて最悪のシナリオとその対処法を考える」という特別番組を組んでいる。今は無料視聴できる。傾聴すべき内容といえるし、言葉を失う事態がすすんでいることを改めて認識する。
上記の内容から知らされるのは下記のようなことであり、僕の考えも以下である。
福島第一原発の最悪のシナリオにはいくつかのレンジ(幅)がある。
第一は、一番最悪なシナリオである。すなわち、第一原子炉から第四原子炉のうち、どれか一つでもメルトダウンして、原子炉容器が破壊されるか、燃料棒が落ちて水に触れて水素爆発して、超高濃度の放射能・放射線が爆発的に拡散する事態である。あってはならないが、もしもそうなれば、第一原子炉から第四原子炉まで連鎖的に爆発する可能性もあり、しかも危険で作業員は近づけなくなる。この想定は、考えるだに恐ろしいが、現段階では全くないとはいえない。
第二の最悪シナリオは、爆発にはいたらないとしても、放射能・放射線もれがだらだらと続き、汚染された水が垂れ流され、放射線・放射能による汚染した大気、土壌、海は、高濃度汚染地域と化す。しかも、この放射能漏れは、直ちには統御できず、その温度、圧力、放射線被曝のバランスを常にみながら最良の技術的工法で、冷却化をはかるとしても長期間を要するというものである。この時間は、はっきりしないが、恐らくは最短で、数ヶ月、長くて1年以上に及ぶというものである。
その上で、核燃料棒を他地域に移動させ(どうやって?)、その上で石棺で覆うという終わらせ方である。
前回書いたような、ただちにコンクリート詰めにするというのは、やはり素人考えで、高熱を出している段階は、コンクリートで固めることはできないということらしい。
なお、このケースの場合であっても、長期にわたる大気、水、海の汚染は、食料生産の危機を招き、人体の影響も多大であり、社会経済的損失は、限りなく大きくなる。日本の経済市場は相当に萎縮することになる。避難地や立ち入り禁止封鎖地域も出現することも想定内としなければならない。
このような当然に考えられる事態について、政府はリスク管理の観点の思惑からか、あるいは想定能力が低いのか、あるいはafterschockが怖くて口にできないのか、いずれにしても明言を避けている。テレビでは、結局意味不明な「安心」「冷静」を呼びかけ続けているのが現状だ。これは、言葉が過ぎるかも知れないが、国民を愚民視しているのと同じである。
データを細大残らず公表して、最悪の場合、どのようにすればよいのかを明確にして指針を示すのが国・政府の本来の役割である。
なお、参考のために、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏の「最悪シナリオ」は、今少し冷静なようでもある。 素人の僕には、このようにいくつかの「最悪のシナリオ」の複数例示の方が助かるし、幅ができる。
Script110320「最悪シナリオ」はどこまで最悪かをダウンロード
重ねて言うが、このような事態を想定外と言っていたのは犯罪に近い。このような危険を早くから指摘していたのは、原発設計に携わった一部の良心的な技術者や、小数の原子力研究者たち(例えば京大原子炉研究所、小出助教)、あるいは少数のジャーナリストたちであった。企業や政府はともかくも、アカデミー世界も、良心的な研究者を抑圧排除し、研究資金や利権に眼を曇らせた人々によって支配されてきたのだ。
政治世界では、原子力翼賛体制が支配的であったことから、それを批判しまっとうな問題提起と解決策を提示していたのは、吉井英勝衆議院議員(共産、2006年の国会質問)や同党福島県委員会であったらしいが(前出朝日新聞記事)、政府および原子力開発責任関係者は、まともに答えようとはしなかったのだ。メデイアはここにきてそのような再発見記事を書き始めているのもいかがなものかとは思うが、書かないよりはましである。
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