3月11日
午後2時46分、そのとき研究室にいたが、横揺れが始まり、長くそれが続き、余震が幾度もやってきた。札幌は震度3だったが、阪神淡路大震災のときに名古屋にいて、震度3で同じようにこれは大きいと感じた経験から、札幌のこの長く続く横揺れから、とてつもなく大きな地震だと思った。
(震災当日ウエブ報道資料より)
同僚たちも心配で廊下に出てくる。隣の研究室のKさんや階下のMさんが話している。Kさんは、チョコレートを配って心を落ち着かせましょうとのこと。チョコの甘さを味わいながら、そういう心配りもあるかと感心する。
名古屋の娘に電話して無事を確認するが、東京の息子には携帯もメールもつながらない。東北地方の友人、知人の安否が気がかりだ。(一日たって、息子からもメールが届き無事だった。携帯がつながるのに1日かかったのだ)
その後、ネット検索などで映像を見て驚愕した。さらに帰宅後のTVの情報は、声も出ない悲惨さだ。時間がたつにつれ、また同時進行形で被害が拡大していくのが実感できる。(その後の継続的な情報は、全体像がつかめないくらい大きい被害だ。また、地震に誘発された福島の原発の制御不能の拡大は深刻だ。)
英国の2人の友人、中国の友人2人、パレスチナの友人からメールで安否の照会が来る。僕も家族も無事と伝えるが、同時に東北地方を中心とした被害と被災の甚大さを伝えて地球上の人類・同胞としての悲しみを伝える。国際的な関心も高いようだ。数年前のインドネシアの大地震と津波、一昨年のチリ地震、そしてニュージーランドの地震、人々の記憶の連鎖は続いている。今回の日本の地震と津波は一様にショックだったようだ。皆、悲惨な事態には、悲しみと協力を惜しまない気持ちがある。
今日は、後期入試があり、僕の勤務大学は、開始時間を遅らせて実施したが、被災関係地域の32大学は中止ないし延期したようだ。受験者の中には、移動手段がなくて受験できなかった学生たちも少なからずいて、僕の大学も予備の追試験を行うことになった。
今回のマグニチュード8.8の東北地方太平洋沖大地震(マグニチュードは9.0ないし9.1との報道もあり、震度は激震地は震度7強)とそれにともなう津波での被害の甚大さには、声も失う。街のすべてが津波にのみ込まれ、壊滅した地域がいくつもあるようだ。生き残った被災者の悲痛な声に涙が出る。
住民の半数が不明という自治体も出てきている。浜に打ち上げられた死者の数は何百という単位だ。いったい全体で何人の犠牲者になるのだろうか?考えるだに恐ろしいが、この先数ヶ月内でその数字も確定していくことになるのだろう。
事態の詳細は下記のウエブが教えてくれる。犠牲者が、宮城で1万人以上、岩手大槌町でも1万人以上という数字が出ている。最終数字はいかばかりか気持ちが滅入る。
津波に飲み込まれながら必死に生還した方々の声がテレビで出ていたが、聞いていて涙が出る。一人1人の生死の重みに、声もない。1人でも無事にいてほしいと祈るばかりだ。
関係機関は、一刻も救出を急いでほしい。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20110313-567-OYT1T00406.html
なお、福島第一原発(東京電力)の炉心溶融に関しては、地震国におけるリスク管理の危険性の弱さがあらためて厳しく問われることになる。原発の虚偽的な「安全神話」は無論のこと、原発に頼るエネルギー政策の徹底した見直しが必要である。原子力の平和利用に関しては、まだ安全な技術が確立していない。しかも商業用の原発には、コスト面から省略されていることも多いようだ。しかし、そのような防御策についても、二重三重に(軍事も絡むことから)秘密が多い。大手メデイアは、スポンサーへのタブー、政治へのタブー、軍事へのタブーから、まともな批判ができない構造におかれている。市民から声をあげていくことが必要だ。
知らされていない危険性の詳しい情報については、ビデオニュースドットコム参照http://www.videonews.com/
被爆した市民の安全はいかに確保されるのだろうか?
少しでも協力できることはしよう。また政府、自治体、企業、多くの市民団体の責務も大きい。被災者の支援と援助、復興に、智恵と力を寄せ、声もあげていこう。
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