3・11震災のことで思考が大半を奪われてきたこの2週間だった。
それでも日常の日々は続く。
備忘録を以下に記しておくことにしたい。
震災の翌日の後期入試や追入試が終わり、年度末の慌ただしい日々が続いた。
3月14日(月)
午前は講座会議、午後は過半数代表候補者への大学の説明会。労使契約に関する就業規則改定の案件。労働委員会に救済申立を行い、かつ非正規職員の雇止後の離職証明をめぐる不誠実対応への訴訟が起きているにもかかわらず、大学側の態度に変化は見られない。ここでは、詳細は書かないが、大学の教職員への対応は、使い捨て労働力に近い人間観が支配的であって、働いている人間へのリスペクトを欠き、コスト管理ばかりが掲げられている。情けない気分に駆られる。
終了後、すでに始まっている教授会に戻ったが、長い案件討議が続いた。
3月15日 自宅で仕事。いくつかの短い文章書き。
3月16日(水)
追入試の日。午後は、3年任期で退職するH助手の報告歓送会。報告をお聞きして、示唆されることも多かった。送別会の方は、失礼する。
3月17日(木)
ザンビア大学学長、獣医学部長のお二人の部局への表敬訪問。アフリカ圏の大学と僕の部局の関係はまだほとんどない。これを機会にということで、打ち解けた雰囲気で多くのことが話題になった。終わりがけには、今回の震災のことも話題になった。
3月18日(金)
午後は、第二期中期目標の初年度評価に関する、総長、理事の人々によるヒアリング。傾聴すべき指摘や示唆もあったし、時間があれば説明をもっとしたいこともあった。感想の幾つかはあるが、ここでは詳細は書かない。
3月19日(土)
本来予定していた、東京での日本教育学会の理事会や社全協の緊急三役会のいずれも震災の影響で急遽中止になった。チケットやホテルのキャンセルを2日前に済ませたばかりだ。首都圏は、地震後の原発事故で、極度に緊張が高まっている。
3月20日(日)
この日から、北海道教育学会。会場は教育大学釧路校である。前日の飛行機キャンセルの際に、やや高くつくが釧路までは往復飛行機にした。千歳空港から飛んだのは、JALなのだが、実はHAC。本来は丘珠空港から飛ぶ、プロペラ機での運行。久しぶりにプロペラ機の乱高下を体感する。しかし、飛行時間はわずか40分程度(復路は50分)。釧路空港からは阿寒バス。女性の運転手が丁寧親切な案内をしてくれる。途中鳥取神社を過ぎる.釧路は鳥取地方からの開拓民によって拓かれた街だ。ホテルに荷物を預け、簡単な昼食を済ませ会場の釧路校に向かう。
初日は自由研究発表、シンポジウム、それに夕刻からは懇親会。
翌日は、自由研究発表、総会、そして再び自由研究発表というプログラムである。
僕は、2日目の自由研究発表での司会が役目だった。
左は、初日のシンポジウムの一コマ。
初日夕刻の懇親会の後、二次会ではホテル近くの大衆的食堂で、同僚のAさんと若手のOB、それに院生諸君と交流した。
二日目のプログラムを終えて、教育大のAWさんと5月のこどけん総会の内容打ち合わせを行い、帰路につく。飛行機には、同僚のOさんと一緒で、Oさんは理系出身でもあり、福島原発のことで色々な知見を紹介いただく。
3月22日(月)
午後、民科法律部会、九条の会H大の共催で「自衛隊セクハラ訴訟(札幌地裁2010年7月29日判決、8月12日勝訴確定)」について、弁護士のSさんから報告をいただく。
原告の方と支援者も同席いただき、コメンターは、SG大学のI先生だった。法律家の多い研究会であるが、九条の会から参加した工学部のYさんと共に、この問題の焦点である、自衛隊の存在及びその歴史的な暴力的体質構造と九条の関係、セクハラ暴力に関するジェンダー視点と市民社会の人権的規範のあらゆる組織へ浸透をはかることの課題など、臨場感のある内容の濃い時間を過ごした。
原告女性が自衛隊にあこがれ入隊しながら、それが現実の中でくつがえされ、性的暴力がなされたにも関わらずそれを隠蔽し、原告自身に非があるかのように仕向けていく体質など、聞いていて恐怖を感じた。自衛隊が軍隊でないことによって、市民法で裁かれることが可能であったが、憲法が改正されて、自衛隊が軍隊となり、軍事裁判(軍法会議)になれば、原告の勝訴は難しいと思わせたのは、自衛隊警務隊の取り調べの不公平さからも予測されることであった。なお、この裁判は、国家賠償法で勝訴したが、加害者は国家によって保護される側面が残った。しかし、民事訴訟では、職務中の国家公務員個人を訴追できないなどの法律的論点もあるなども提示された。
震災で、自衛隊が人命救助で役割を発揮していることと、それとは区別される本来的軍事的性格との区別と関連も考えさせられるテーマであった。
詳細は省くが、自衛隊のデイテイールを知ることの多い学びであった。
左は、別件だが、弁護士のSさんとともに、道教委の通報制度や服務規律(組合活動調査)調査に関して論考をまとめた雑誌。今月初めに刊行された。
3月23日(水)
午後、院生のRさんと博論研究のことで相談指導。前後に多くの書類仕事。夕刻には、市議会議員候補者に行った子どもの権利条例関連の「こどけん」アンケート結果報告の印刷製本作業の手伝いにエルプラザに出向く。同じ場所で、震災救援市民ネットの打ち合わせが行われていたようだ。(これには、参加したい気持ちもあるが中途半端には関われないので、側面的な関わりにすることを心に決めている)こどけん事務局の、Sさん、Mさんのいつもながらの献身的尽力に頭が下がる。僕は印刷や製本の実務は出番が無く、アンケート結果の解析と5月総会時の段取りをSさんと話し合う。
3月24日(木)
この日は、卒業式・終了式・学位授与式である。
震災での被災者への哀悼を込めた黙祷もあった。
学位授与式の後は、学生委員会の提案で、例年行う飲食を伴うパーテイは止めて、その場で学生、院生によるスピーチ中心の交流会も行った。各代表が、学生生活、院生生活を振り返っての感慨を語ってくれた。在学生のスピーチもあった。良い機会であったと思う。
なお、酒食を避けてのテイとサンドウイッチによるパーテイで生じた差額は義援金として被災地に送ることになった。
夕刻は、学部4年と修士2年の送別コンパ。在学ゼミ生も参加して、二次会までつきあった。酔いも回ったが、気持ちの良い時間だった。
3月25日(金)
午前は、S市役所での市政記者クラブでの会見及びU市長への意見書提出に出向く。こどけん事務局のMさん、Sさんと同行した。内容は、朝鮮高校無償化要求の意見書と子どもの権利条例等に関する市議会議員候補、並びに市長候補、知事候補へのアンケート結果に関しての報告と要望である。記者クラブでは2社の記者がが熱心に質問していただいた。市長は多忙の中10分間を割いて面談に応じて下さった。
この日の記者会見は地元新聞に小さな記事となった。(下記)
こどけんHPでの候補者の回答は下記を参照されたい。
http://www.ne.jp/asahi/sapporo/kodomonokenrijyourei/newpage68.html
同じくアンケート集計結果グラフは下記を参照。
http://www.ne.jp/asahi/sapporo/kodomonokenrijyourei/newpage69.html
終了後大学に出向き、いくつかの書類仕事。卒業にこぎつけたKさんが研究室を訪ねてくれた。青森出身で心配していたのだが無事で良かったがなかなか連絡がつかなかったのだ。卒業手続きについて事務と連絡をするようにアドバイスしたが、会えて良かった。
その後、留学生の授業料や入学料免除の推薦文などを書いたりしたが、この日は疲労もあり、早めに帰路についた。
慌ただしい年度末の2週間であったが3月も終わりが近い。残った原稿仕事はこの週末が勝負だ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。