一昨日の昼休み。昼食の途中の小さな春の発見。
樹木の芽吹き。
このあたり。例年早く咲き始める。
野草化した小さな生命。
遅く来る春。太陽が命を芽吹かせる。
昨夕、2人の友人から相次いで家に電話があり、家人から大学に電話連絡を受ける。
岐阜のKさんの訃報。突然のことで驚く。大学院ではたしか、2年か3年上の先輩だった。Kさんは修士課程を終えられたあと、博士課程には進学されず、現場の道を希望され、名古屋の社会教育施設職員となられた。いくつもの青年の家、社会教育センター(公民館)、で、青年や住民の要望を受け止めて、丁寧で心のこもった学習支援をされていた。しかもオープンな事務室を心がけて、施設利用者がいつも部屋に入って相談されていた。人柄の穏やかさもあり、施設利用者と対話がはずみ、気さくな対応もあって、人気のある方だった。僕も色々な学級講座、市民の学習集会、社会教育の運動場面などでご一緒した。職場同僚の信頼も厚かった。当然ながら、組合執行委員もやられていた。名古屋市の社会教育合理化にも職員集団の一人として、住民と共に穏やかな面持ちで反対の行動をされていた。
社全協愛知支部でも、僕が事務局(長)の頃、同じく事務局メンバー、後に支部長をやられて重要な役割をされていた。1990年の北海道集会では家族で参加され、娘を連れて参加していた僕と一緒に、道内旅行もされたことがなつかしい。連れ合いのKAYさんは、青年の家受講生のお一人で、結婚時にお祝いもした。3人のお子さんがおられた。一度、揖斐川で、社会教育仲間で、一緒に、鯉釣りをして大物をあげた。奥さんのkayoさんがお昼の弁当を届けてくださった。なつかしい思い出である。
定年退職後、社会教育施設の嘱託職員をされたが、この3月に体調を崩されたと昨日同僚のOさんから聞いた。入院先の病院で、胃がんと分かったが、発見時はもう手遅れだった聞く。学部時代の僕の先輩で、Kさんとほぼ同じ時期社会教育部局で同僚として働き、組合支部長もされたTさんが病院に見舞われたとのことだが、その時点ではもはや応答も難しかったとOさんから聞いた。まだ63歳とのことである。大切な人を喪った。痛ましい限りである。
心からご冥福をお祈りしたい。合掌。
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