車中から、白いこぶしの花か、ようやくの春の風情だ。
ふきのとうはもう葉が出て終わりの時期。
水仙が可憐だ。
ピンンクのこぶしだろうか。気持ちが華やぐ。
チューリップがもう少しで開花だ。
梅の花ももう少しで開いてくる。
川には,春になって北の地に渡り損ねたかもが数羽残っている。
柳の木の緑も濃くなってきた。
鳩もこの季節の中で愛らしい。
雀も春を喜び飛び回っている。
豊平川沿いの道路脇は、まだ芽吹く前の木々の状態。あと少しで、風景も変わっていく。
時間が相変わらず駆け足で過ぎていく。
3.11東日本大震災から、49日も過ぎた。哀悼の祈りが、国内外から寄せられた。
それまで泣くことを封じていた男性が、ここにきて見つかった祖母の葬儀で初めて声をあげて泣いたという記事に、思わず涙がにじんだ。
福島原発の放射線封印はまだまだ難航している。デイテールを追うことが困難になる中で、規制基準の不透明で無原則的な引き上げが、多様になされている。問題は、発表している省庁や委員会すら説明不能な無責任さだ。 放射線防護の専門家であり、内閣官房参与に任命されていた小佐古敏荘東大大学院教授は、年20ミリシーベルトへの引き上げについて、原発労働者でも年間20ミリシーベルトの被曝はまれだとして「私のヒューマニズムからして受け入れがたい」として辞任した。(3月29日)専門家から観ても異常な決定について、文科省も原子力安全委員会もまとまな説明ができない事態というのは何であろうか。(下記の会見をご覧あれ)
僕の属する市民組織では、抗議声明を準備しているところだ。
「福島の子ども達を放射能から守れ」http://www.ustream.tv/recorded/14169488
4月の新学期。講義の内容刷新を意図したせいもあるが、その都度の準備作業が続いて、研究論文書きとも違う地味な教育努力だが当然のことだ。それでも、内容に関して手応えがあると、やはり嬉しいものだ。
備忘録
4月25日 (月) 午前学部講義、午後院生指導や雑務が多い。
4月26日(火) 午後講義。雑務がその後続く。
夕刻から、生涯学習講座の合同コンパ。子育てネットのSさんの経営するお店を借り切りで行う。相当数の人数となった。肝心の主力のグループ教員は都合悪く欠席で、やや拍子抜けだった。僕は3つの重複予定をキャンセルして、これに出てきたので、なんだかなあという気分。 まそんなこともあるさ。気を取り直して、同僚のKさんと院生、僕のグループの院生などで主に話す。一次会では、主力のSゼミの学部生が元気盛んであった。それぞれの志望動機など、興味深く聞く。この日は、二次会は失礼した。
細君の誕生日だったが、プレゼントを買う時間の余裕もなかった。帰宅後釈明すると、別の要望があって、それで今年は代えてもらうことにした。
4月27日(水)
午前は、院ゼミ、夕刻は院の講義。その合間に多くの事務案件があった。
4月28日(木)
午前は修論指導ゼミ、午後は学部ゼミ。夕刻前からは,国際本部の見学と懇談会。研究室にもどっていくつかの雑文書き。帰宅は10時近かった。
4月29日(金)
いわゆるGWの連休初日。自宅の書斎部屋の整理と思うが、なかなかはかどらない。午後までに必要な小文をいくつか書いて,その後はなんとなく時間が過ぎた。
午後のひととき。近くの道立文学館で行っている、「追悼 後藤竜二展」を観に行く。入場客は少なく、ゆっくりと館内を見学した。児童文学の世界は、その時期の読者になるには、後藤は同時代的で、ぼくの読書体験には組み込まれなかったが、子どもたちの世界には一部入り込んだようだ。あさのあつこの師匠になるのか。兄と妹が挿絵を描いているのも興味深い。道立文学館の常設展示では、北海道の作家たちの歴史的軌跡の解説が詳細になされていて、実に多くの作家がいることにあらためて気づかされる。この地の歴史には、文学的感興を引き出すドラマや小説的素材が多いということだろうか。
4月30日(土)
体がなまっているのと疲労抜きで、久しぶりにスポーツジムで汗を流す。夕刻は、レシピ本を手にして、僕の料理で準備した。ワインが効いて、ほろ酔いの夕べだった。
コメント
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