今週は、様々なガイダンス行事が続いた。(編入・転学部生、2年次進学・3年次転編入学生、新入院生、新入学学生等へのガイダンス)
学内・部局内はフレッシュで華やいだ雰囲気が満ちてきている。草花の開花はまだで、桜の花に祝われてということはここではないが、それでも気温の少しずつの上昇に、雪も毎日溶けてきている。
震災の報道に、心がざわつく状況に変化はない。被災地への政府の対応はまだまだ指揮系統が混乱していることや、この状況に乗じて何かたくらんでいる政治家・財界の動きが情けない限りである。
しかし、ボランテイア団体やNGOグループの活動は、ここにきてようやく軌道に乗りつつあるようだ。ゼミ進学予定者及び基礎ゼミ受講者の2人もボランテイアで現地に赴いていると同僚のMさんから聞いた。
原発事故の猶予ならない事態も依然として気になり、言いたいことは山ほどあるが、もうその逐一の言及は、ここではやめておこう。
ひとつ嬉しかったことは、下記のことである。
所属する部局の協定校の英国リーズ大学のHPに、
学生や教員によるHope for Japanの日本支援メッセージが見られることである。
協定を結んでいる社会科学・法学・教育学部の学部長のJ.H教授も震災直後に,僕と同僚にと支援・お見舞いメッセージを寄こして下さった。評議会では、黙祷から議事が始まったと書かれていた。
また、上記大学・学部関係者の(生涯学習研究ユニット長だった、M.Z教授(現在ロンドン大学バークベックカレッジ学部長)、K.F博士も同様のメッセージを寄こしてくださった。
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4月4日
午前は、編入・転学部学生のガイダンスだった。11人の色々な経歴のフレッシュな声と希望が聞けた。
午後は、部局会議、その後、打ち合わせなどが続いて、夕方になってしまった。
スケジュールをにらんで、この日しかないと思って、夕方映画を観に行った。
以下は、映画の感想を属する市民組織のMLに送ったものです。(これもデスマス調です。一部匿名にして変えたところもあります)
******
夕方時間を工面して、「月あかりの下で」観に行きました。
この映画のことは前から聞いていましたし、前任校がS大学なので、あの地域の状況が良く分かります。
でもなかなか観る機会がありませんでした。
太田直子さんという方が、ナレ-ションをやり、演出 撮影 編集もしたのですね。
どんな人だろう?
映像には登場しないけれど、担任教師の平野和弘さんと並んで、生徒たちを受け止めているもう一人の脇役なのかなという印象を持ちました。
このドキュメントフィルムは、取材や撮影での期間は7-8年に及ぶのでしょうか?(フィルムを回したのは、2002年から2008年までのようですが)
その間に、少年や少女が映像の中で確実に変わっていくのが実感されます。
中には、少女が母親になっていく姿もあります。(これも早い年齢です。)
教師と生徒との関係も徐々に、なんというか変わっていきます。
浦商(埼玉県立浦和商業高校)定時制は、教える側と教えられる側という既成の固定的関係をはじめから外してはいますが(でもやはり背後にはあるのだけど)
途中から、関係性が変化してもっと人間的なきずな、互いに弱さも持っている存在として、互いに虚勢や虚飾がはがれ、その分真剣勝負のまるごとのつきあいになっていくのが分かります。
かけがえのない時間を共有して、
こどもは大人に社会的にわたっていき、
教師はその分老いていくというか追い越されそうになっていくというか、でもその中で成熟していくのですね。
教育ってなんだろうな?と思ってしまいます。
僕は、名古屋でそれこそ、浦商定時制の若者たち(なかには大人もいますが)と同じような、社会的、教育的、家族的
背景をもつ働く若者たちの学びに、その最前線で、つきあっていた時間が30歳前後から46歳まで(S大学に移動するまで)
10数年ありました。当時は、今のH大学のようなリサーチ大学ではない、もっと教育に重点をおいた大学に身をおき、(AP大学)昼は、学生とつきあいながら、
同時に、夜には大学外で、「青年の家」という社会教育施設や青年サークルのたまり場などを拠点として、講師・助言者として、働く若者たちの学びに、ずっとつきあっていました。(今でもその当時の若者たち(今は30代後半から40代になりつつありますが)とつきあいがあります)
そのときにも、研究で論文を書き成果をあげる(勿論それをすることにも喜びがあるわけですが)というのとは異なる、人間としての生身のつきあいを通じて
互いにどん欲に吸収し学び会う(ときにはぶつかりながら)という経験を持ちました。理性だけではない、感受性や感情も共有し合うような、
しかし、広い意味でのリテラシーを磨くというのか、学び方を学ぶというか、人間としての生き方を学ぶというか、そういう関係性(言葉で表現するのが難しいなあ)を重視していました。
僕がしていたのは、社会教育という領域での活動です。
ある研究会で、フランス文学者であり、平和活動にも関わっておられた新村猛先生に、「あなたのしていることは、サッカーのスイーパーのようなことだね。賽の河原の石積みのようなところがあるけれど、大事な仕事だね」とほめられたのか、あきれられたのか分からないようなコメントをもらったことがあります。
学校で見放されたり、目立たなかった若者たちが、劣等感や無力感にとらわれているのを、少しずつ解きほぐし、自信を取り戻したり、築いていくのに立ち会う、見届ける仕事だったからです。
そこには、それなりに意図的な学習論や組織論が基礎にありました。ここでは、詳しくは書きません。学びのネットワークというような表現をすれば、学習や活動をする年齢幅や出自が広範囲な若者たちと、社会教育職員(集団)、それに僕を含めた研究者集団及び青年OB層が連携協力をして、ネットワークを創り上げていくとでもいうべきものでした。それは、信頼のきずなともいうべきものでした。そして学びの条件整備を教育委員会などに求めて支援を具体的なかたちにするという構造でした。
浦商定時制は、そういう社会教育の自己形成の学びと比較すると、学校らしくない学校ですが、やはり学校でもあります。(教科の学習などがもう一方にはあるからですが)
ドキュメントフィルムでは、あのクラス卒業後3年を経て、浦商定時制廃止(2008年)後の 担任の教師、3人の少女のその後を見せていましたが、学校教育がどう人生に影響を与えたのかという本質的な問いを発していました。
学校が、人生にどのような影響をもつのか、不登校の経験をもった子どもたちにとって、浦商定時制という学校が意味した時空間は、単に居場所ではなく、アルファでありオメガであるようなものは何か、教師にとっても、生徒にとっても、それはなんだったのか、などと、映画を観ながら考えていました。
(家人が、兵庫にある「IK学園」という全寮制の不登校を経験したこどもたちを受け入れていた学校で、教師を10年やり、そのときの濃密な人生の時間での
教師同士の関係性、生徒たちとのつきあいをいまも濃密にもっているのを横で見ているせいもありますが)
p.s.
福島第一原発事故の只中に僕たちは今生きているので、Mさんが紹介してくださった
キヨシローのライブ映像のインパクト強いですね。http://quasimoto.exblog.jp/14535026/
「サマータイムブルース」それにプレスリーのうたをもじった「ラブミーテンダー」、原発をこれほどストレートに告発し音楽にしているのは他にもあるのでしょうか?
電力余っている、安全と嘘ついて、原発をなぜつくるのか、わからねー、ガンで死にたくねー、長生きシテーとうたうキヨシローの歌詞は、
後の彼のリアルライフを思うと、痛みをともないます。
投稿情報: 04:07 カテゴリー: 友人の記憶、友愛、つながり, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌, 映画、コンサート, 社会教育・生涯学習情報 学びイベント, 音楽、楽曲 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
日本のカレンダーでは、企業も、学校も、役場も4月が新たな年度始まりだ。
今年は、3.11東日本大震災もあって、東北地域ではまだ学期開始のめどが立っていないところもある。そのような大変さを想像しながら、自分の持ち場ではきちんと仕事を始めていく覚悟が必要なのだと自分に言い聞かせている。
先週、事前の連絡があって卒業生のIさんが研究室を訪ねてくれた。僕のゼミを卒えてから、色々な経緯の中で決意し直して(その相談には幾度ものったが)、関東地区の大学医学部に入り直して、無事この春に卒業し、医師国家試験も通り、大学病院で4月から研修医になるのだ。在学中にも幾度か帰省の折に訪ねてくれたが、専門職の第一ステップたる学部を卒業し、新たな仕事に向かっていく若者の希望にふれることは、嬉しいものである。教育学部と医学部の双方を踏まえたヒューマンな医師になっていってほしいと思う。彼女の医局でも多くの医師がボランテイアで東北地域に出向いていると生き生きと話してくれた。
明日(今日)からは、ガイダンスが続き、新入学生や上級学年進学生、新入院生のフレッシュな声が満ちてくるのだ。
若者に学ぶとは、内に秘めた希望を聴くことだ。
そういう季節の始まりだ。
投稿情報: 03:55 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
以下は、僕の属するMLに書いたことに少し加筆したものです。(ですます調になっていますが、気にしないでください)
ちょっと気になることを書きます。
3.11から3週間を過ぎて、4月の新たな年度に入り、閣僚が防災服からスーツに替えたあたりから、なんだか妙な空気を感じます。政治家もメデイアも震災直後の危機感の中で言っていたことを、時間の経緯の中で、微妙に変え始めていることです。
そのひとつがNHK。
4月1日から、NHKのBSが再編されて、BSプレミアムとBS1の2チャンネルとなりました。視聴率をあまり気にせず、良質の番組を提供していたBS-HIがなくなり、妙なNHK的なプレミアムになってしまいました。(そのことはさしあたり、今日の問題ではないですが)
問題は、BS1(海外局ニュースがあるのが取り柄だが、NHK的編集がある。そして国内ニュースの多くは、NHK総合と同じ)での昨夜のニュース解説に、物知り顔の解説員いわく、下記のことでした。
なんとチェルノブイリ事故での原発よりも福島原発の方が安全で堅牢との解説をしているのです。それを見て.唖然。開いた口がふさがりません。
その前日は、総合テレビのニュース9で、長崎大学の放射線被曝研究(医学系)者に(福島県アドバイザーとのことだが)、チェルノブイイリでの調査や診察経験から、水や農作物の人体被害は、影響のないまったく大丈夫のものと長く話させていました(現地の関係者にも)
長崎大学、チェルノブイリという2つのキーワードをもつ学者が言うから大丈夫というメッセージでしょうか。しかし、聞きたいのは「今は安心」ということではなく、これが長く続くとどのような危険があるのかということです。その学者は、それには、触れていませんでした。
一体この国のメデイアはどうなっているのでしょう?
風評被害をふさぐとして、「安心神話」を説きつけ続けているNHKは犯罪ものです。
昨晩のアサヒニュースター番組(BS)で、慶応の金子教授と作家の中村うさぎが司会している番組のタイトルは「ニュースにだまされるな」でした。
(参考までに、金子勝のtwitterは下記参照。http://twitter.com/masaru_kaneko)
そこで、幾人かの科学者や情報関係の研究者の提起は、NHKなどの放送と真逆の、危険性の正確な理解のもとでの対応や方向性を論じるものでした。(しかし、この局の視聴者はNHKとは比べものにならないほど少数でありましょうが)
不思議なのは、そこで示されていた科学的データなどをなぜ大手メデイアは出さないのかということです。
国際原子力安全委員会と日本の原子力安全委員会の汚染地域の圏域マップは、新聞にも出ていないものでした。話の中では、
放射線物質が低位であって一時的に安全という確率と長期的な危険という確率はまったく同じで、どちらをいうかでまったく意味は異なる、放射線のDNA破壊の影響での癌発生の統計的必然性などのことは、科学者なら誰でも了解していることなのに、大手メデイアは、一般市民には言わないのはなぜでしょう。
僕たちのメデイアリテラシー能力については、もっともっと鍛えなくてはと思います。
なお、<御用学者・メデイア>+<東電・日立・石川島播磨重工・東芝などの原発企業>+<国・原子力推進行政>の三角形で結ばれる「原子力村」の存在については、昨日の朝日新聞で、前東大総長の小宮山氏も認め、国会での質疑では、菅首相が、共産党の志位委員長質問に答えて渋々認めていました。
この種の「原子力村」は、原発推進国には皆あるようです。(英仏米独など)しかし、それらを規制する行政は、米国においてすら日本より遙かに強力です。また、フランスや、ドイツには、力強い民衆の運動があります。しかし、日本では、「原子力村」の人々に遠慮してあるいは風圧を怖れて、あるいは資金断ちを怖れて、何も言ってこなかった人たち、とりわけ、メデイアと御用学者は、犯罪的です。そして、今度はまたもや、我々を虚偽報道の中に陥れようとしています。
日本には過去に「大本営発表」という大嘘つきの発表がありました。それは、すでに歴史のくずかごのはずだったのではないでしょうか。
僕たちは、現代の「大本営発表」に、またもや同じ手でだまされて良いでしょうか。しかも、誰も責任を取ろうとしないのが、この種の仕組みの特徴です。
何度もだまされて、
「津波と地震は、天災、同様に、地震・津波に誘発された原発事故は安全設計の「想定外」。これも「天災」だから起きたことはしようがない、企業と政府を責めるよりも、最後は「国民総責任」、痛みと負担を分かち合いましょう」云々と言われたら、どうしますか?
まさしく最悪です。(でもその方向に向けた、たくらみがほのみえてきているのです!)
「国民総責任」などと言わせてはならず、東電と政府の原発事故に責任をとらない解決はあり得ず、国には、事態の安全な終息に向かわせるための英知をあつめた解決責任があることを忘れさせてはならないからです。
ご免なさい。僕たちと未来の担い手たる子どもたちの最善の利益に関わることですので、つい、力が入ってしまったようです。
なお、医療にセカンドピニオンという考えがあるように、一つの事象を複眼的に見ることは、真実を知る上で不可欠なことです。
その一つに「原子力資料情報室」(http://cnic.jp)があります。
NHKとは異なる情報を発信し続けています。
<最新更新情報>
○なお、ニューヨークタイムズの報道(4月3日)では、汚染水が海中に放出されてそれを止められずにいる報道をしているが、同時に、すでに3月11日に福島第一原発内部で24歳と21歳の若い2人の労働者が死亡していたことを報道している。それを東電は発表してこなかった。日本のメデイアは報道せず、海外ニュースの方が早く正確であり、オープンであることの一つの例証である。
http://www.nytimes.com/2011/04/04/world/asia/04japan.html?_r=2&ref=global-home
○ジャーナリストから、今の報道管理・支配の状況を憂えている人たちがでてきている。非大手メデイアやネット世界はまだ、支配統制をくぐり抜ける力があるが、大手メデイアにおいては、真実報道に責任を負えない恐怖、あるいは批判的に発言すると排除されていく「空気」があるようだ。上杉隆の活動休止宣言は、(それが良いか悪いかの議論は別にあるとして)、そういう空気を代弁している。http://uesugitakashi.com/?p=658
p.s.
ここにきて、またもや大連立内閣の可能性が浮上してきているようです。
今の民主党連立政権+自公の組み合わせが言われています。
これまた、「挙国一致内閣」で国難に取り組むなどの名目が掲げられようとしています。
政治の世界は、虚実ないまざる世界。これも泡と消えてほしい話です。
しかし、実現すれば、東日本大震災解決などという重要な課題とは別に、ここぞとばかりの、どさくさにまぎれて、数の暴力による最悪の悪法や、政治方策シナリオが予想されて、ぞっとするのは僕だけでしょうか?
p.s.2
上記(本文骨格)を書いたら、Fさんから情報。ソフトバンクの社長が良いことを言っているとのこと。読むと玉石混淆で、ちょっとなあ?というのもあるが、原発問題に関しては、本当だ。原発事故の当該企業の責任者がもしもこれと同じことをいうならば、事態は少しは変わったのだろうが・・(甘いか?)
p.s.3
数日前から福島第一原発の写真にエアフォトサービスという提供社名(新潟県)
http://www.yamazaki-k.co.jp/airphoto/
が出てくるようになった。東電や、政府が情報を小出しにして、写真も統制しているので、新聞社は、このような無人小型飛行機の写真やアメリカなどから購入した写真を載せているらしいのだ。エアフォトサービスの写真は、それが鮮明でびっくりする。
http://cryptome.org/eyeball/daiichi-npp/daiichi-photos.htm
p.s.4
きちんとした情報を求めて図書館に寄った。原発・原子力コーナーが設けられていたが、最近の書籍は既に貸し出されているのか見当たらなかった。借りたのは、70-80年代、90年代のものだが、今問題とされていることは既に「想定内」であることが分かる。
投稿情報: 11:15 カテゴリー: ニュース・社会, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日は、年度末の3月31日。
この地は、まだ雪が残るが、雪が融けて、日々乾いた土が広がっていく。朝の犬の散歩で、そのことを実感する。木の芽も少しずつふくらんでいる。
今日は、午後、H労働委員会から「命令書」が出た。組合が、一昨年の団体交渉時に受けた不当労働行為に関して、この1年間かけて取り組んできた成果である。
快挙と言って良いだろう。
大学の組合に対する不当労働行為への救済申立に関して、労働委員会は、大筋その内容の正当性を認めた内容の命令書を出したのである。
H大学において、法人化後、労働委員会から、大学に救済を命ずる命令書交付は初めてのことである。また、不当労働行為を認定するだけでなく、組合への支配介入を認めて、謝罪を命令しているのも極めて強い措置である。
労使間の争点となった内容(賃金の不利益変更の不当性、人事院勧告準拠のみに固執する大学対応、大学職員の賃金の民間賃金や国家公務員と比較しても劣位である点、契約職員の不利益改定に関して団体交渉に掲げず引き下げたことなど)に関する判断踏み込みはしていないという問題性はあるが、労使間のルールにおける、正当な交渉手続きや話し合いのルールに関して、組合を軽視無視しての不当労働行為であり、団体交渉に関しての実施の明言を避け、いたずらに引き延ばし最終的に打ち切るなど混乱させたのは組合への支配介入であり、謝罪を命令するというまっとうな判断がなされたのである。
申立人の組合委員長のKさん、元書記長のYさんなどは証言に立った。まことに頭の下がる努力をされた。弁護団の3人の弁護士さんたちは、それを説得力ある論理として組み立てられた。そして、多くの執行委員や支援者の方々が応援した。その人たちの声が届いたのだ。僕は、申立人の補佐人をつとめて、脇に座っていただけであったが、こういう勝利の場面に立ち会えるのは嬉しいものである。
命令書の公布後、申立人と弁護団、補佐人たちは、記者会見を行い、その後大学に戻った。
*夕刻前に、教職員組合・弁護団の「命令交付にあたっての声明 2011 3 31」が出された。ポイントが明確にされている。
命令交付にあたっての声明 2011 04 07 (2)をダウンロード (文言の一部修正がなされた正式声明)
大学では、明日から仕事を始める修士修了の留学院生のG君、研究生終了後、私立高校の教師となるS君から、挨拶を受ける。彼らは、ここにたどりつくまで、いろいろな困難があった。そう思うだけに、僕は心から、門出を祝した。
5時の勤務時間終了後、非正規職員のSさんが丁寧に教員関係者に挨拶に回られた。3年間の有期雇用の枠組みを突破できずにいることの口惜しさはあるが、Sさんの働きは格別のものがあった。先日の学位授与式後の学生、院生のスピーチの中に、Sさんがいなければ卒業も危うかった。ずいぶんときめ細かい情報や支援で助けられ、心から感謝しますという言葉があった。
なのに、なぜ3年だから辞めなければならないのか。そういう思いもあるだけに、部屋に挨拶に来られたSさんの今後のご健闘に心からがんばってくださいという気持ちと、大学のありかたの変革が求められているのに、それが我々の力不足でできずにいると思う忸怩たる思いもあって、複雑な心模様であった。
さて、労働委員会の「命令書」にもどるが、上記のことを含めて痛感するのは下記のことである。
この時代に必要なのは、まっとうな、人間的な感受性と相手を尊重する態度である。
とりわけ、強い立場にある使用者側の責務は大きい。
デイーセントワークに関して、この厳しい転換期、危機社会の中にあるだけに、理解を深め、
働くことの人間的なルールを築きたいものである。
H労働委員会の「命令書」の本文は下記のウェブを参照されたい。
命令書:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/file.jsp?id=369419
命令書概要:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/file.jsp?id=369417
翌日、4月1日の新聞記事(朝日新聞、北海道新聞、産経ニュース(ウェブ)、ここでは、朝日と産経)
その後、組合K委員長が収集されて4紙(道新、朝日、毎日、読売)となった。
投稿情報: 18:16 カテゴリー: 在野の知と実践の日誌, 大学改革、大学人の声 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
僕の参加するMLに会員のKさんから「源八おじさんとタマ」というアニメが紹介された。
中部電力の浜岡原発の危険性を教えてくれる。しかし、今や、危機的段階にある福島第一原発を含む全国各地にある54基の原発への警告を発している。たかがアニメ、されどアニメである。
人によっては、一方的という人がいるかも知れない。3.11前は特にそうであった。3.11以降は、そういう人は隠れてこっそりとしている。
ただし、例外はあるようだ。東京湾に原発をたてても良いと言っていた人物だ。今回の大災害は天罰だと言っていた人だ。そういう人は、なおも堂々と原発は安全で世界最高の技術で守られていると力説すべきである。ただし、想定外という言葉は無論禁句にして。
それでは、次のアニメをどうぞ。
http://million.at.webry.info/201103/article_13.html
投稿情報: 11:43 カテゴリー: ニュース・社会, 在野の知と実践の日誌, 読書、知の楽しみ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日は、地味な原稿仕事などが続いた。
3月も終わりに近づいて、4月以降のおおよその仕事の見通しや段取りが必要になっているのに、何か心が落ち着かない。震災以降の心象風景に、ざわざわした音が続いている。被災地の只中にいる人々の苦労を思えば、僕の心模様などどうでもよいようなレベルなのだが。
今年は、静岡で行われる予定の夏の社会教育研究全国集会の準備が進み始めている。今朝、メールを開くと、僕にもその準備の一員としての役割が記された計画プログラムが送付されてきた。まだ、同意前の段階なのでやや困惑していたら、午後に、関係の友人のNさんから電話があって、内容や事情をお聞きする。
中心に位置すべき人の一人のIさんが、被災地仙台にあって身動きがとれない状態が続いているのだ。電気、水道やネット、携帯などのライフラインは復旧してきているのだが、仙台以南の新幹線や高速道路はマヒし、ガソリンは慢性的不足で、上京の足も自由ではない状態とのこと。家の中や職場の復旧はまだ見通しがつかない状態であるという。
夕方、このことで、直接Iさんと電話で話すとやはり厳しい状態のようだ。原発の危機的な状況もあって、原発報道が中心になって、また津波災害では避難所(毎日その人数が減っているが)中心の報道もあって、(原発事故での危機的状況、あるいは避難所での被災者の健康状態など、それぞれは大変に猶予ならない厳しい局面にあることも確かなのだが)、在宅被災の人々、あるいは孤立した地域の住民のことは報道の陰になりやすいし、行政の把握も不十分で、十分に物資も情報も届いていないようだと伺う。
ならば、条件のある人間が役割を発揮するしかあるまいとも思う。
追記1
関係する学会のMLでいつも積極的な発信をされている大阪教育大のYさんが貴重な現地レポートを出されている。Yさんが関わっている日本アウシュビッツ博物館は、福島にあり、その活動復旧に尽力されてもいる。その訪問に付随した現地レポートである。下記のファイルをご覧下さい。
Report from Mr.Yamada 2011.3.27をダウンロード
できることを、それぞれの持ち場からしていく他はないのだろうと思う。
追記2
これは、更新で追記する。震災後心配で、福島の実家等に一時戻って帰ってこられた東京のKさん(友人)の情報である。(4月1日)被災にあわれただけでなく、その後の原発事故問題で、福島に住む人の心労は大変だと思う。
追記3
報道されないことを知るに貴重なニュースソースがある。
「マスコミに載らない海外記事」というブログである。海外にも、エセ科学者、権力に寄生している解説者たちがごまんといるようだ。英国で、ドイツでこう言っているから大丈夫と「海外情報」をもとに安心神話を振りまく人もいるので、そういう人の嘘を見抜く上でも貴重だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/
投稿情報: 22:18 カテゴリー: 友人の記憶、友愛、つながり, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
大震災・津波を起因とする福島第一原発事故への国民の関心やそのことへの反応は強まるばかりである。そして、東電・保安院の復旧回復措置は、作業にあたられる懸命ないのちがけの努力にかかわらず、放射線の強さもあり、計測値も不明なことなどもあり、作業は一進一退ではかどらず、日々被害が拡大している。
司令部たるところがどこなのかも、国民には詳しくは知らされていない。現段階の技術的工法の可能性の複数例示もされていない。
今ややられているのは、電源回復の努力と引き続く海水注入である。
外部電源によっていかほどにポンプやその他のシステムが稼働可能になるのかは、いまだ不明である。海水注入は、塩害が生じることをアメリカからも警告されている。すなわち、「米側から、機材の腐食を防ぐには淡水に早く変更すべきだ、と非常に強い要請があった」(25日、北沢防衛大臣会見)ことが証言されている。「非常に強い」という表現は、危機的であるということである。
しかも、これらに代わる、オルタナテイブはあるのかないのか、そのこともはっきりしない。素人目にには、要するに、方針が確定していないように思われるのである。
しかも、決死の状況で行っている作業員の安全管理がずさんで被曝が深刻な事態にあることすら分かってきた。そして、各地の放射線濃度が高まり、水道水や野菜等が危険レベルに達し始めてきている。
風評被害をふせぐということで、政府のみならず、各種公的機関や学会の中からは、当面は安全であるが念のために注意すべきである云々の解説が行われている。
しかし、それらの解説はその信憑性を含めて怪しいことが多いということが、現実のもとに日々起き始めている。
いたずらに不安をあおるのは厳に戒められなければならないが、現状では、不安は、解消されるどころか拡大しているのが実情だ。
原発近接地住民は、危険の範域がどこまでなのかについて神経をとがらせ、真実を求めている。
政府は当初、20キロ圏内を避難対象、さらには30キロ圏内には当初屋内避難としていたのを自主避難地域に設定した。すでに数町村は自治体機能を含めて避難し、30キロ圏内の住民もその多くが移動し始めている。
その中で、「自主避難」という曖昧な定義に、住民は、一体どうしたらよいのかと不安におびえている。また、国の方針の後手後手の発表や市町村の頭越しのやりかたに当然ながら怒りが表明されてきている。
すでに、諸外国、例えば、米英仏露中国等は、80キロ圏内、50海里を避難勧告ないしは立ち入り禁止地域に設定し始めている。
ところで、
一昨日になって初めて見解を表明した「原子力安全委員会」には、がっかりした。とりわけ、その見解の発表のスタンスと公表の遅さ(皮肉にも関連専門機関は文科省原子力安全課でSPEEDIと言うらしいhttp://www.bousai.ne.jp/vis/torikumi/index0301.html)には、失望した。
ただし、重要な指摘は、同安全委員会が、一つは、原発事故の危険レベルを初めてスリーマイル原発事故のレベル5を上回るレベル6に引き上げたこと、二つは、予測を正確にするには、モニタリングポイントをもっと増やすべきとの見解であった。
とはいえ、以上を、事故から2週間近くたってから公表したのだ。何のための委員会であろうか。
しかも驚くのは、同委員会の斑目委員長は、原子力安全委員会は、内閣・政府に助言勧告するのが任務であり、国民への公表が第一任務ではないというのだ。
一体この人物は、どんな人物であろうかと思っていると、今日の朝日新聞に、記事が載った。
一つは、経産省内部の原子力安全・保安院とそれらを統御するはずの原子力安全委員会の両トップが過去に「電源喪失想定できぬ」とそろって表明していたというのだ。
二つ目は、原子力安全委員会の斑目春樹委員長は、東大教授時代に浜岡原発をめぐる訴訟で中部電力側の証人でもあったというのだ。その言説がふるっている。
「ちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません」
「ただ、あれも起こって、これも起こって、だから地震だったら大変なことになるんだという、抽象的なことを言われた場合には、お答えのしようがありません」
「割り切り」が必要だというのである。
その人物が、昨年2010年4月以降、原子力安全委員会の長を務めているのだ。
最悪のシナリオを想定外として考えてきた原子力開発と原子力推進行政に「安全」を語る資格があるのだろうか。しかも、ここにきても、何をしようとしているのか、はっきりしないのである。(あるいは隠している)
下記の「ビデオニュースドットコム」の解説は「あえて最悪のシナリオとその対処法を考える」という特別番組を組んでいる。今は無料視聴できる。傾聴すべき内容といえるし、言葉を失う事態がすすんでいることを改めて認識する。
上記の内容から知らされるのは下記のようなことであり、僕の考えも以下である。
福島第一原発の最悪のシナリオにはいくつかのレンジ(幅)がある。
第一は、一番最悪なシナリオである。すなわち、第一原子炉から第四原子炉のうち、どれか一つでもメルトダウンして、原子炉容器が破壊されるか、燃料棒が落ちて水に触れて水素爆発して、超高濃度の放射能・放射線が爆発的に拡散する事態である。あってはならないが、もしもそうなれば、第一原子炉から第四原子炉まで連鎖的に爆発する可能性もあり、しかも危険で作業員は近づけなくなる。この想定は、考えるだに恐ろしいが、現段階では全くないとはいえない。
第二の最悪シナリオは、爆発にはいたらないとしても、放射能・放射線もれがだらだらと続き、汚染された水が垂れ流され、放射線・放射能による汚染した大気、土壌、海は、高濃度汚染地域と化す。しかも、この放射能漏れは、直ちには統御できず、その温度、圧力、放射線被曝のバランスを常にみながら最良の技術的工法で、冷却化をはかるとしても長期間を要するというものである。この時間は、はっきりしないが、恐らくは最短で、数ヶ月、長くて1年以上に及ぶというものである。
その上で、核燃料棒を他地域に移動させ(どうやって?)、その上で石棺で覆うという終わらせ方である。
前回書いたような、ただちにコンクリート詰めにするというのは、やはり素人考えで、高熱を出している段階は、コンクリートで固めることはできないということらしい。
なお、このケースの場合であっても、長期にわたる大気、水、海の汚染は、食料生産の危機を招き、人体の影響も多大であり、社会経済的損失は、限りなく大きくなる。日本の経済市場は相当に萎縮することになる。避難地や立ち入り禁止封鎖地域も出現することも想定内としなければならない。
このような当然に考えられる事態について、政府はリスク管理の観点の思惑からか、あるいは想定能力が低いのか、あるいはafterschockが怖くて口にできないのか、いずれにしても明言を避けている。テレビでは、結局意味不明な「安心」「冷静」を呼びかけ続けているのが現状だ。これは、言葉が過ぎるかも知れないが、国民を愚民視しているのと同じである。
データを細大残らず公表して、最悪の場合、どのようにすればよいのかを明確にして指針を示すのが国・政府の本来の役割である。
なお、参考のために、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏の「最悪シナリオ」は、今少し冷静なようでもある。 素人の僕には、このようにいくつかの「最悪のシナリオ」の複数例示の方が助かるし、幅ができる。
Script110320「最悪シナリオ」はどこまで最悪かをダウンロード
重ねて言うが、このような事態を想定外と言っていたのは犯罪に近い。このような危険を早くから指摘していたのは、原発設計に携わった一部の良心的な技術者や、小数の原子力研究者たち(例えば京大原子炉研究所、小出助教)、あるいは少数のジャーナリストたちであった。企業や政府はともかくも、アカデミー世界も、良心的な研究者を抑圧排除し、研究資金や利権に眼を曇らせた人々によって支配されてきたのだ。
政治世界では、原子力翼賛体制が支配的であったことから、それを批判しまっとうな問題提起と解決策を提示していたのは、吉井英勝衆議院議員(共産、2006年の国会質問)や同党福島県委員会であったらしいが(前出朝日新聞記事)、政府および原子力開発責任関係者は、まともに答えようとはしなかったのだ。メデイアはここにきてそのような再発見記事を書き始めているのもいかがなものかとは思うが、書かないよりはましである。
投稿情報: 14:05 カテゴリー: ニュース・社会, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌, 大学改革、大学人の声 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
3・11震災のことで思考が大半を奪われてきたこの2週間だった。
それでも日常の日々は続く。
備忘録を以下に記しておくことにしたい。
震災の翌日の後期入試や追入試が終わり、年度末の慌ただしい日々が続いた。
3月14日(月)
午前は講座会議、午後は過半数代表候補者への大学の説明会。労使契約に関する就業規則改定の案件。労働委員会に救済申立を行い、かつ非正規職員の雇止後の離職証明をめぐる不誠実対応への訴訟が起きているにもかかわらず、大学側の態度に変化は見られない。ここでは、詳細は書かないが、大学の教職員への対応は、使い捨て労働力に近い人間観が支配的であって、働いている人間へのリスペクトを欠き、コスト管理ばかりが掲げられている。情けない気分に駆られる。
終了後、すでに始まっている教授会に戻ったが、長い案件討議が続いた。
3月15日 自宅で仕事。いくつかの短い文章書き。
3月16日(水)
追入試の日。午後は、3年任期で退職するH助手の報告歓送会。報告をお聞きして、示唆されることも多かった。送別会の方は、失礼する。
3月17日(木)
ザンビア大学学長、獣医学部長のお二人の部局への表敬訪問。アフリカ圏の大学と僕の部局の関係はまだほとんどない。これを機会にということで、打ち解けた雰囲気で多くのことが話題になった。終わりがけには、今回の震災のことも話題になった。
3月18日(金)
午後は、第二期中期目標の初年度評価に関する、総長、理事の人々によるヒアリング。傾聴すべき指摘や示唆もあったし、時間があれば説明をもっとしたいこともあった。感想の幾つかはあるが、ここでは詳細は書かない。
3月19日(土)
本来予定していた、東京での日本教育学会の理事会や社全協の緊急三役会のいずれも震災の影響で急遽中止になった。チケットやホテルのキャンセルを2日前に済ませたばかりだ。首都圏は、地震後の原発事故で、極度に緊張が高まっている。
3月20日(日)
この日から、北海道教育学会。会場は教育大学釧路校である。前日の飛行機キャンセルの際に、やや高くつくが釧路までは往復飛行機にした。千歳空港から飛んだのは、JALなのだが、実はHAC。本来は丘珠空港から飛ぶ、プロペラ機での運行。久しぶりにプロペラ機の乱高下を体感する。しかし、飛行時間はわずか40分程度(復路は50分)。釧路空港からは阿寒バス。女性の運転手が丁寧親切な案内をしてくれる。途中鳥取神社を過ぎる.釧路は鳥取地方からの開拓民によって拓かれた街だ。ホテルに荷物を預け、簡単な昼食を済ませ会場の釧路校に向かう。
初日は自由研究発表、シンポジウム、それに夕刻からは懇親会。
翌日は、自由研究発表、総会、そして再び自由研究発表というプログラムである。
僕は、2日目の自由研究発表での司会が役目だった。
左は、初日のシンポジウムの一コマ。
初日夕刻の懇親会の後、二次会ではホテル近くの大衆的食堂で、同僚のAさんと若手のOB、それに院生諸君と交流した。
二日目のプログラムを終えて、教育大のAWさんと5月のこどけん総会の内容打ち合わせを行い、帰路につく。飛行機には、同僚のOさんと一緒で、Oさんは理系出身でもあり、福島原発のことで色々な知見を紹介いただく。
3月22日(月)
午後、民科法律部会、九条の会H大の共催で「自衛隊セクハラ訴訟(札幌地裁2010年7月29日判決、8月12日勝訴確定)」について、弁護士のSさんから報告をいただく。
原告の方と支援者も同席いただき、コメンターは、SG大学のI先生だった。法律家の多い研究会であるが、九条の会から参加した工学部のYさんと共に、この問題の焦点である、自衛隊の存在及びその歴史的な暴力的体質構造と九条の関係、セクハラ暴力に関するジェンダー視点と市民社会の人権的規範のあらゆる組織へ浸透をはかることの課題など、臨場感のある内容の濃い時間を過ごした。
原告女性が自衛隊にあこがれ入隊しながら、それが現実の中でくつがえされ、性的暴力がなされたにも関わらずそれを隠蔽し、原告自身に非があるかのように仕向けていく体質など、聞いていて恐怖を感じた。自衛隊が軍隊でないことによって、市民法で裁かれることが可能であったが、憲法が改正されて、自衛隊が軍隊となり、軍事裁判(軍法会議)になれば、原告の勝訴は難しいと思わせたのは、自衛隊警務隊の取り調べの不公平さからも予測されることであった。なお、この裁判は、国家賠償法で勝訴したが、加害者は国家によって保護される側面が残った。しかし、民事訴訟では、職務中の国家公務員個人を訴追できないなどの法律的論点もあるなども提示された。
震災で、自衛隊が人命救助で役割を発揮していることと、それとは区別される本来的軍事的性格との区別と関連も考えさせられるテーマであった。
詳細は省くが、自衛隊のデイテイールを知ることの多い学びであった。
左は、別件だが、弁護士のSさんとともに、道教委の通報制度や服務規律(組合活動調査)調査に関して論考をまとめた雑誌。今月初めに刊行された。
3月23日(水)
午後、院生のRさんと博論研究のことで相談指導。前後に多くの書類仕事。夕刻には、市議会議員候補者に行った子どもの権利条例関連の「こどけん」アンケート結果報告の印刷製本作業の手伝いにエルプラザに出向く。同じ場所で、震災救援市民ネットの打ち合わせが行われていたようだ。(これには、参加したい気持ちもあるが中途半端には関われないので、側面的な関わりにすることを心に決めている)こどけん事務局の、Sさん、Mさんのいつもながらの献身的尽力に頭が下がる。僕は印刷や製本の実務は出番が無く、アンケート結果の解析と5月総会時の段取りをSさんと話し合う。
3月24日(木)
この日は、卒業式・終了式・学位授与式である。
震災での被災者への哀悼を込めた黙祷もあった。
学位授与式の後は、学生委員会の提案で、例年行う飲食を伴うパーテイは止めて、その場で学生、院生によるスピーチ中心の交流会も行った。各代表が、学生生活、院生生活を振り返っての感慨を語ってくれた。在学生のスピーチもあった。良い機会であったと思う。
なお、酒食を避けてのテイとサンドウイッチによるパーテイで生じた差額は義援金として被災地に送ることになった。
夕刻は、学部4年と修士2年の送別コンパ。在学ゼミ生も参加して、二次会までつきあった。酔いも回ったが、気持ちの良い時間だった。
3月25日(金)
午前は、S市役所での市政記者クラブでの会見及びU市長への意見書提出に出向く。こどけん事務局のMさん、Sさんと同行した。内容は、朝鮮高校無償化要求の意見書と子どもの権利条例等に関する市議会議員候補、並びに市長候補、知事候補へのアンケート結果に関しての報告と要望である。記者クラブでは2社の記者がが熱心に質問していただいた。市長は多忙の中10分間を割いて面談に応じて下さった。
この日の記者会見は地元新聞に小さな記事となった。(下記)
こどけんHPでの候補者の回答は下記を参照されたい。
http://www.ne.jp/asahi/sapporo/kodomonokenrijyourei/newpage68.html
同じくアンケート集計結果グラフは下記を参照。
http://www.ne.jp/asahi/sapporo/kodomonokenrijyourei/newpage69.html
終了後大学に出向き、いくつかの書類仕事。卒業にこぎつけたKさんが研究室を訪ねてくれた。青森出身で心配していたのだが無事で良かったがなかなか連絡がつかなかったのだ。卒業手続きについて事務と連絡をするようにアドバイスしたが、会えて良かった。
その後、留学生の授業料や入学料免除の推薦文などを書いたりしたが、この日は疲労もあり、早めに帰路についた。
慌ただしい年度末の2週間であったが3月も終わりが近い。残った原稿仕事はこの週末が勝負だ。
投稿情報: 22:56 カテゴリー: 友人の記憶、友愛、つながり, 四季の暮らし-彩り、点景, 在野の知と実践の日誌, 大学改革、大学人の声, 学会・研究会, 社会教育・生涯学習情報 学びイベント | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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