週明けの月曜日は、全学の会議が一つあり、その後で夕刻には、大学院説明会を行った。
学部段階では、高校生一日体験入学やオープンユニバーシテイの事業が前から行われて来た。(僕も部局の実施責任者だったこともある)
大学院説明会は、そうした大学の積極PRを、学部段階だけでなく、大学院にも広げて行くという人材リクルート政策の流れに乗ったものだ。役目柄の責任もあるが、やってみると意外に手応えがある事業だ。昨年からの実施である。関係方面へのポスター送付と周知の努力を行い、部局HPにも公開し、実施してきた。昨年は初回ということもあって、予想以上の盛況であり多くの参加者だった。今年は、二回目だが、所属部局建物の改修工事のための一時引っ越し業務などでざわざわした雰囲気の中で、準備してきただけに集まり具合が気がかりだった。はたして、どんなものかと、案じていたのである。結果は、学内の志望者や在学院生、外部からを含め60名以上の参加者があった。地域的には、道内は無論、中には、東京や関西方面からわざわざ泊まりがけで来られた方もあった。ストレート進学の方もいれば、社会人の方もあり、多様な顔ぶれだ。説明会は、全体会では、修士と博士後期課程の両方の研究・学修の案内や入試の特徴とねらいなどの説明が主たる内容である。
進行プロセスは、最初の全般的な案内説明の後は、各分野・講座に分かれての説明会。事前に、院生協議会を通じて在学院生にも参加を呼びかけてあり、教員と共に質問に応答するという方式だ。僕の所属講座での説明には、10人程度の志願者の参加。東京からの参加者、道内各地の参加者、学内他学部や本学部の参加者、研究生としての留学生あるいは高校教員、学校法人経営者などの社会人の方も含まれる。率直な、質疑に2時間ほどがあっという間に流れた。受験される方々の奮闘を期待したい。9月の修士の第一次試験、2月の博士後期課程の入試、そして同時期に確実に予想される修士の二次試験が、例年のように続くのだ。
29日火曜日は、前期最後の講義が2つ。それぞれに、講義後、課題レポートなどを指示して終了。まだまだ業務は続くが、ややほっとした気分になることは確かだ。学生のレポート提出後は、夏期中に採点、評価記入の業務が待ち受けることになるのは例年通り。
7月いっぱいまで、あるいは8月始めまで授業を行うのは、この1-2年の傾向だ。教務上の15週確保政策によるものだ。僕の目には、かえって学生、教員共にゆとりがなくなっているように見受けられるし実感上もそうだ。かつての夏休み前の大学のゆとりやのんびりした雰囲気は、今や過去の夢物語になってしまったのだろうか。
引っ越し業務の残りがあって、結局帰宅は8時近くになった。昨日母親大会とその後の旅を終えて帰宅したつれあいがシローの散歩から戻ったところだ。彼女は、母親大会での学びも発言も、楽しみも(常滑の焼き物ツアーも、郡上の盆踊りにも出かけた)、老親見舞いも、墓参りもしっかりやってきて充実した表情だ。僕の疲れ切った表情とは雲泥の差だ。
昨年9月、まだ夏期休業中に、北京師範大学に招聘講義に出かけた。劉宝存先生の配慮を頂いたものだった。同大学での院生への講義と教員の方々との交流、さらに中国人民大学、中国中央教育科学研究所で講義を行い、http://219.234.174.136/snxx/gjjl/snxx_20070929153551_3503.html
清華大学に 史 静寰(清華大学 高等教育研究センター副所長・教授)先生を訪ねた。あわせて、H大の北京事務所も訪ねた。
講義の合間のスケジュールのない日には、郊外の万里の長城、故宮などに出かけた。長城には、院生のS君が案内してくれた。山西省出身の礼儀正しい好青年だった。他の場所への案内には、鳴門教育大に留学し帰国したばかりの院生のOさんにずいぶんとお世話になった。市内のオリンピック競技関係の施設の建設が猛烈な勢いで進んでた。今年の、オリンピックは多くの国内問題を抱えながら、中国が世界にその存在を知らせる年。意義のあるものにしてほしい。
(中秋の行事には、劉先生家族、院生たちとの楽しいパーテイがあった。)
そうだ、サマーホリデイといえば、思い出した。英国の友人たちが、最近のそれぞれのメールに書いているが、7月はじめにすでに南仏や東欧、アフリカにサマーホリデイをとって出かけているという。彼らは、僕には、働きすぎないように、夏を楽しんでと一様に強調してくれる。9月には、そのうちの2人の日本での受け入れ、そして英国での10月の僕のサバテイカル研修での再会が楽しみだ。
僕は、8月に入ると、わずかの期間とはいえ、かき入れ時の原稿書きの時間と、ほんのひとときの休みがある。それを期待しなくてはネ。
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