今月初めに、ブログを始めてもう一月が過ぎようとしている。ひょんなきっかけで始めたので、ここに書くことの原則を、あまり厳格には考えてこなかった。「反省的実践家」(D.ショーン)という言葉もあり、省察の意義と効用を説く論議も多い。そのような高尚なレベルからすれば、僕のは省察なき、ちょっとしたはずみでのブログ開始だったので(軽はずみというらしい)スミマセンというしかない。それでも、どうやら自分で守っていることは次のようなことかなと思う。
①書いて良いこと、書いてはならないことの一応の心の線引きはしているつもりだ。日記には書けても、ここに書けないことは書かない。他者への攻撃や、関係者が不利益になることは書かない。これくらいが最低限のルール。あくまでも私的な日誌なので、自分を含めて、関係者の多少の匿名性は配慮している。
②仕事のoffとonという区分については、あまり意味がないので、ここでは自由に行き来している。心に希望をつなぐ。つながる気持ちを大事にしていく。そういう精神を豊かにしたいというのが、このブログの原則と言えば原則。
③HPと違って、実名の仕事上の業績やアーカイブを蓄積するということはしていない。強いて言えば、ブログの性格上、日記のややオープン表示的性格かな。
④このブログが、今後どう続き、話題を更新していくのか。まったく未知数だ。海外出張中のネット環境がどうなるのかも分からないので、時に中断もするのだろう。そのあたりは、実際に直面しないと分からないな。
⑤素朴な文体は、少しは変わるのか?ま、力んでみてもしようがない。だめなものはだめだ。発信する情報やメッセージに、いくらかおもしろみや興味が発生すれば上出来としよう。また、書き記す日常の日々の中に、非日常というべき世界がどれほどに顔を出すことになるのか。これまた僕には分からない。
⑥僕の体型のスリム化が、常に<希望>にとどまっているように、(連れ合いに言わせれば意志が弱いだけだという単純な結論になる)、心や体の余裕あるスローライフも<希望>にとどまっている。なんとも情けない状態だ。それを改善する記録化も、ひとつのひそかなねらい。ウンそうだ。記録するだけダイエットという本を確か買って読んだはずだ。
ブログ開始一ヶ月を経ようとしているので、少し振り返ってみました。(ああ、まるでかつての僕が小学生だった頃の作文にも劣る文だ)
突然ここで思い出した啄木の歌。7月が終われば、8月はあっという間。そして、秋が足早にやってくる。7月の終わりに、もう秋を思うのは、北国のせいか。札幌は、林檎の並木もあったところ。前の住所の、T区N岡は、そういう場所がいくつかあった。M区には、果樹園も多い。
石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ
(一握の砂)
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