9月が過ぎて10月だ。
一気に寒気が訪れて、時に暖房も厭わない候になろうとしている。大学も後期が始まり、学生の声が構内の中にあふれてきた。前期の成績評価発表で、事務の窓口の前は列をなす学生でうまっている。
昨夜は、義父が来札して食事を共にした。生きの良い海鮮料理と静かな雰囲気の両方をそなえる店を予約して、連れ合いと三人でゆっくりとした楽しい時間を過ごした。昨年義母の逝去もあって、時にこういう形で、義父の話の聞き役になることはせめてもの娘の相方のつとめだろう。義父をホテルに送った後、ほろ酔い顔に、少し寒いくらいの気持ちの良い風があたる。連れ合いと共に、地下鉄に乗らずに一駅半を歩いて帰った。
今日は、大学に行くと九州の大学の知人の方の手紙が多くの書類とともにあった。だが、宛先は自分だが、連れ合いに渡してほしいとの添え書きがある。一日色々な仕事をこなして時間が過ぎたが、ずっと気になる手紙だった。開封せずに帰宅して連れ合いに渡すと、表情が曇った。
僕たちの共通の学年で、連れ合いの親しい友人(僕にも若き日の活動での時空間を共にした多くの記憶が残っている)だったMTさんの悲報だった。ご主人の手紙には、難病にかかり、8年の闘病の末の万策尽きての逝去とあった。この9月12日のことである。痛みを伴う病と聞いていた。この数年前まで、連れ合いは電話を良くしていた。昨年は、ご主人が僕の部局への集中講義に来られ、たまたま連れ合いが荷物を僕の研究室に取りにきて、偶然廊下でご主人と出会い(連れ合いの大学研究室の先輩筋にあたる)話をする機会があった。そのときも、病状が良くないと聞いていた。7月には、娘さんの結婚式に出ることができたことがせめてもの救いだったとも書かれていた。まだ56歳。何とも言葉が出ない。
偶然とはいえ、悲報が続く。
悲しい知らせを受けて、若き日のことどもが思い出された。そして、長い日々を共に過ごされたMTさんのパートナーたるご主人の悲しみはいかばかりかと想像された。謹んで、ご冥福をお祈りしたい。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。