月半ば、週半ばだ。
日本の北国でもそうだが、当地でも、11月というのは微妙な月だ。秋なのか、冬なのか。まあ秋から冬への移行の月であるには違いないのだが。あまり天候も良いとはいえず、寒風が吹き、小雨や、曇天が続く。せめて気分は明るく行かなくては。週後半の日誌。
11月13日(木)
朝のBBCニュースで、経済不況のことをいくつか報道している。欧州の強国、ドイツも不況に入ったが、英国もそれに追随することになるであろうこと。ユーロとの関係でもポンドの為替レートが下がり(次年度予測では15%ダウン)、年金生活者が困窮し始めている。例えば、スペインで老後を過ごすということで多くの人が退職金などをあてて家を購入したり借りたりしてその後、年金を頼りに暮らしてきた。確かに地中海の陽光と砂浜に近い南国のパラダイスだったのだが、年金の価値が目減りしきて、ここに来て暮らしが成り立たず、生活をたたんで帰国する人が続出し始めている。あるいは、BTの人員整理があり、全国で約1000人が職を失うという。貧困者の犯罪とくに子どもの虐待や子殺しが目立ち、困窮者や若者をねらった詐欺事件が続発している。ロンドンオリンピックの開催に陰が差し始めている。等々。
ニュースの信憑性は疑ってかからなければならないが、一応の事実を受け止める必要があろう。洗濯ものが乾くのを待って、出かける準備をしたので、やや遅くなる。郵便局で、Kさんの推薦書を送り、歩いて大学に行く。途中、Rose Courtという3-5才の保育園や学校、教会のいくつかをあらためて見つける。
歩きだと時に渋滞の車を抜くこともある。環境問題の意識が高くなっているのか、節約か、自転車の通学生も前よりもはるかに増えている。タイヤの細いサドルの高い自転車を足の長い彼らがこいでいくのはなかなかに見ていてもスマートだ。ただし、事故対策か、蛍光色のストライプの入った派手なジャンパーや後ろが大きく赤く点滅するランプをつけたりして徹底的なのも良い。
この日は、何をしたのだろう。エリソン教授に質問事項を詳しく書いて送ったこととミリアムに昼の話の感想をやや長く書いて送ったこと、キース、コリンに質問事項を書いたこと、カロライン、ジョー・ミスキン氏との会合のメールを送ったこと、細君へのメール返信、TN大のシンポへの出席依頼への日程上無理なことの返信、HG大学教務への連絡、H大学教務への連絡、SG大の照会事項でのやりとり、1月のこどけん総会出席でのSさんとの応答、こうした日本との応答の必要のあったいくつかに返答したこと、これまでに集めた資料の整理を行ったこと、そんなことで時間が過ぎてしまった。
昼の話では、ミリアムは、昨日までケンブリッジ大学での会議にケント大学のジャニスと一緒に出ていて、今朝早朝にマデイングホールからタクシーで駅に行き、その後ピーターバラ経由でリーズまで来たのだが、すごく疲れた。デイックが、話していた大学改革はまったくひどいものだった。このあたりは、詳しくは調べないとはっきりしないのだが、学位を何らかもつものには、それ以上経費補助をしない、学位を持たないものには高額の指導学費を請求するということで、ダブルパンチで、大学院生や若手研究者は、非常に困った立場に立たされる。要するに、年齢の若い、お金持ちの院生を対象とした、外部資金豊富な自然系の領域重視で、貧困な成人学生などをかかえる生涯学習、継続教育分野は、遅かれ早かれ、このままでは、つぶされてしまう。労働党政権下でこんなことが行われるとは何だろうということだった。これでは、トーリー党(保守党)の方がましな政策をもっているとも。リーズ大学でも、レビューの結果から、このままでは、一定人数の合理化が余儀なくされる。ミリアムは頭が痛いという。
ジェレミーから月末の29日土曜日に、地元で、シェフィールドウエンズデイクラブの試合があるので行こうという誘いがメールであった。寒いので、何か防寒対策をしてこいとのこと。うれしい提案だ。彼が車で迎えに来て、試合後、彼の家で夕食、その後また宿舎まで送ってくれるという。その親切さに頭が下がる。週末町へ行って、何か簡便な防寒着を探さなくては。
夕食は、ポークステーキと野菜・海老スープ、それにビールとワインを少々。やはり知らないうちの疲労とアルコールで眠くなる。軽い読み物を枕元において、この日は無理をしないことにした。
11月14日(金)
朝、冷蔵庫に入っていたミルクがヨーグルト状になっていることを発見。大きなサイズのものだったので、飲みきれず、1週間近く経てはいたが、濃度が濃いのか、日本では見られない現象だ。イメージとしては、こうしてヨーグルト状からやがてチーズやバターができるのかと変に感心した。もっとも、これを飲む勇気は起きず(旅先で、変に腹痛をおこすとまずい)廃棄処分。
今日も歩いて大学に出て、またもや多くのメール処理。たとえば、科研費調査の関連で、H大のSさんに現状を詳しく報告したメールを送る。ここでは書かないが、それなりに整理できて良かった。あるいは、12月の僕のセミナー報告に関連して、シェフィールド大学の東アジア研究センター日本研究セクションのピーター・マタンル(Dr.Peter Matanleさん、人の名前は、会ってて確認しないと、どう発音するかは難しい)さんとこの間メールのやり取りがあり、日本の大学に彼と共通の知人・友人がいることを確認。互いになんと世界は狭いのかと驚く。僕の研究関心、領域と近いところに興味があるようで、彼と12月8日にリーズで会うことになった。2月には、日本(新潟と北海道)に来る計画があるらしくて、大いに歓迎することを伝えた。
午後は、12月の報告に関連してブラウン政権以降の教育政策を調べているうちに、外は暗くなった。今日はここまでだ。ミリアムから、近くリーズにくるH大の研究者との会合についてこの間やりとりをしていたが、日程が確定、場所は後日との連絡。良い週末をとあった。
さて今週末はどうしようか。楽しい悩みだ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。