11月20日 木 10度 風が強い。
これで1ヶ月が過ぎた。ずいぶんと時間が経過したような錯覚に陥る。今週末は、風が強く冷え込むようだ。
今日は、昨日のLLIの歓迎デイナーでのアルコール抜きもあり、大学までやはり歩くことにした。研究室に着くとちょうど良いくらいの汗をかく。衣類の調節には少し慣れてきたかなという感じだ。
色々な作業を午前にした。メール応答には、削除したり当面静観するしかないものも多いが、学内案件、学会、社会運動、友人等、返信すべきものも多い。それらは、細かな作業が多い。また、返信するゆとりはないが、社会教育学会の国際交流委員会のユネスコブラジル会議に向けた国内・国際レベルの準備プロセスのことなど、受信して理解する範囲がひろがる類は眼を通す。そこでの、いくつかの定義の変更などは、現代の動向を反映して興味深い。
午後、LLIのセミナーに出てみる。タイトルは、"Strains and Complexities in Professional Development "([専門職能力開発の特徴と複雑性])内容的には、<専門職の専門性はいかに形成されるか、どのようなプロセスで獲得されるか、その変化の特質は何か>といったところである。 講師は3人。代表は、Dr Linda Evans(リーズ大学教育学部),他に Mr.Richard Heslop(同,院生かつ西ヨークシャー警察勤務)、 Ms. Susan Kiminster(リーズ大学医学教育ユニット)が報告した。参加者は20数人。
専門職の能力開発は、先進国共通のアジェンダだろう。日本などでは、知識基盤社会論の隆盛があり、米国型の専門職大学院の要請が高まっているが、資格社会の社会的基盤は米国ほどではなく、その養成、採用、現職能力開発・継続教育をめぐる実践と理論状況はまだその緒についたばかりだ。僕の指導する博士後期院生にも、看護士あるいは歯科衛生士教育に従事する大学教員、学校教師の専門的力量向上に関心をもつ高校教員、大学職員の専門職問題に関心をもちかつそれに従事する職員などの院生諸氏がいて、彼らは、その学生教育あるいは卒後教育、あるいは現職の能力開発などを研究対象としている。
この日のセミナーを主催するLLIからは、ミリアムとヘザー・ホジキンスンが出席し、ヘザーがまず、リンダたちの研究プロジェクトの趣旨を解題した。ここでの専門職能力開発(Professional Development)とは、大学院での専門職養成・トレイニングではなく、現に職についている人々を対象にして、その能力開発についての方法論、理論仮説、事例研究を行おうとするものである。セミナーとしては、専門職とは何か、その能力開発とは何をするのか、あるいはどのようにしてその効果や変化を確認するのかを、まず問題としていること。さらに個人レベルとチームワークでのレベルの差異性、またその専門職能力開発について分野ごとの差異性を踏まえた研究レベル、法規レベル(学位、職業資格などをあげ)などをあげ、この研究の背後には、複雑な要因が絡んでいることを指摘する。
その上で、プロジェクトリーダーのDr.リンダ・エバンズは、今進めている研究の視点から、過程的(procvessual)かつ実体論的(ontological)な理論モデルを提案している。そして、その分析視点は、個人の専門職的力能開発のミクロレベルに焦点をあてているとする。
個別報告は、
まず、スー(Sue)から始まった。彼女は、元々はデンマーク人だが、リーズ大学医学教育ユニットで研究している。報告は、医師の力量開発について、とくに<学生段階>-<若手基礎レベルの医師>-<さらにより専門的なレベル>への「移行」(transition)はどのようにしてなされるのか、それは他の職業分野と同じなのか、医師固有の特徴があるのか。その「移行」の特徴を、学習(Learning)との関係で、明らかにしようとするものであった。事例研究(若手医師10人)と文献研究、さらにインタビュー調査(2人の専門医、大学教授、サイコセラピストなど)などで分析した報告である。「移行」の特徴理解は難しい。例えば、移行はどのようにして生じるのか、単に経験時間の相関なのか、その観察と記述はいかにするのか、養成されている側は理解できるのか、またその移行の質は、若手医師(FD:fundation doctor)と医学部学生とどう違うのか。またその力量は何によって証明されるのか。医療技術なのか、固有の専門知識の質と量なのか、チームワークを組む場合の人間関係構築力なのか、現場での経験的状況的知識なのか、あるいは患者のマネージメントなのか、こういう疑問を立てながらそれを検証しようとするのである。スーはこれに対して、マトリックスをいくつか作成して、個人レベル、チームワーク、雇用者、法規を縦の欄、FDとPE(Professional Doctor= 専門医)横の欄に指定して、相互の関係性を研究で発見した内容として示した。ここでは、逐一報告の詳しい補足は避ける。結論的には、例えば、スーはいくつかの事例を挙げて分析結果を説明した。医師Cの場合、たとえ、最良の病院に配属されたとしても、医師C(若手医師)は、単独では医療判断ができず、看護士、ベテランの相談できる医師、チームワークを組むメンバーなどと相談しないと決定ができない。また、そいう現場に即した学習を積み重ねていく中でしか、「適切な判断力」(専門的力量)は形成されない。患者との関係は、独自なインタビューだけでは難しく、個人情報もあるので、病院との関係でパスワードを持たないとデータ取得は難しいとしながら、そこには「現場に即した学び」(situated learning)が重要であるとした。医師の専門職力量形成と「移行」には、個人の達成力量(performance)だけではなく、医師としての活動、医療文化、医療実践技術などと共に理解されるべきで、技術や知識だけを切り離してなされるものではない。そのいみで、能力開発には、固有の「状況的学習」の役割があることを強調した。
次に、リチャードは、警察官(police officer)の専門的力量形成についての修士論文を書いていてその中間報告であることを断った上で、興味深い報告をした。彼はWest Yorkshire Police Managerであるが、同時にリーズ大学のLLIにて研究指導を受けており、そのために、初年度は年間4週間、二年目は2週間分の時間を警察から保証された。その背景には、2005年に、警官養成(police officer training)の新たな国家プログラムが示され、警察官が長期間の集中した任務を遂行できるように専門的教育と訓練を受け、警察文化に貢献できるようにすることをあげていること、があり、それが後押しになっているとした。ただし、いくつかの困難と障壁があることもリチャードは指摘した。たとえば、社会にはハイアラーキーな職業意識があり、警察官は、たとえ地域警察、隣人警察を名乗ろうとも、ある種の偏見にさらされ、専門的職業としては下位に見られてきたこと、警察文化には固有のものがあり、これもまた専門職的力量向上を阻む要因にもなってきた。たとえば、初任者の警官にバンジージャンプをさせて、恐怖を克服しようとするプログラムがあるが、それで恐怖が克服できるわけではない。また、普通の警察官は、学歴や資格を背景にもたず、大学で学位や力量をあげようとするものはごく少数である。こうした中で、警察の外に出て大学で学び、このような研究をするのは、警察の中では少数者に位置づくことになる。しかし、彼は、それは気にしていないという。リチャードの問題関心としては、1、専門職能力開発とは何か、2、警察官のアイデンデイテイとは何か、3、それらはどのように形成されるのかあるいは生じるのかであるとした。研究方法としては、量的調査、事例研究、の組み合わせで、調査の全過程はまだ終えていないという。今の段階では、1、警察官になっていく(becoming )ときの「学習」とは何か、2、警察官として予期せぬ経験することをどう評価するか、3、警察文化の「再生産」とは何か、4、警察官の誤った理解をどう克服するか、などである。大学で学び研究する過程で、ブルデユーのハビタスという言葉に出会い、メジローの学習論にふれ、状況的学習論などに接して視野が広がった。警察官の学習には、積極的側面と否定的側面があり、それをどう評価するか。
リチャードの報告に対して、参加者からの質問には、大学文化と警察文化との落差、理論と実践との落差をどう考えているのか、学位をとるつもりはあるのか、年間の研究保障時間では調査はできるのかなど、具体的な質問が出ていた。僕は、このように現職の警察官が個人として、大学で学び研究し、学問的な自由の中で考え、かつそれが職務と関係ない趣味の世界ではなく、自身の警察官としての専門的職業力量形成をクリテイカルに考えられる環境に、(それがたとえ少数であろうとも)驚いた。日本では、このような自由が警察にはあるのだろうか?現状の大学と警察との関係性では、このような自由なパートナーシップ形成は難しいだろうなとも考えた。警察大学校などでは、おそらくは批判の自由のない硬い学習があるだけのような気がする。(僕の偏見だろうか。)日英の警察文化というものの共通性が多分あるであろうが、また、しかし英国には、日本とは違う面もあると意識した。
最後に、リンダが総括的な報告をした。これは、前者の2名に比べて、理論的仮説的な面が多く、テクニカルタームの難解さや英国的文脈の複雑さがあり、そのすべてを理解できたわけではない。まず、この種の議論によくされる、言葉の定義づけの問題が出された。たとえば、professionality と professionalismの差異性があげられ、先行研究としてのErick Hoyleの指摘(1975)に言及してプロフェッショナリズムは、1970年代半ば以降の当時は国家資格と関係性が強かったが、その後拡張的定義と限定的定義が採用され、現在では専門職は多様な定義が存在する。ここでの報告は、そのような枠組み研究ではなく、個人レベルの専門職能力開発に限定する。専門職力量は、一般的には、実践力、態度、専門的知識の3つから構成されるが、それをよりミクロな個人のレベルで検証したい。ここで、BBCのテレビプログラムの一部(問いかけ部分)が映され、レストラン経営とブテイック経営とを共同で同じ場所で成功裏に進めるには何が必要かというテーマが出される。参加者にも問いは返される。幾人かがこれに答える。そこで、リンダは(みずからの)エバンズのモデルの2つ(過程的と実体論的)を提示する。しかし、実際には経営者は、ひとつのモデルで進めるしかないので、その統合モデルが提示される。それは、要素的には、基礎的知識、次の段階の認識、モチベーション、進んだ事例の学習と適用、評価の <認識・モチベーション・実践・学習・評価>サイクルの中で示され、最後にBBCのテレビプログラムの2週後の回答部分(この仮説が正しいとして、実践に移す場面で終わるもの)が映されて、その後討議を提起したものであった。
参加者からは、報告の三者に対していくつか質問が出たがここでは触れない。僕は、議論にはついてはいけたが、積極的に討議に参加するには、日本の文脈も違い、その質問も報告者からは的外れになるかも知れず、またせっかくの企画者の意図をそいではまずいので質問は控えた。ヘザーには(日英の専門職基盤の差異と同質性、経営・管理学、チーム人材組織論などと教育学との関係、伝統的専門職種の能力開発とショップマネージャーなどとはどのような共通の理論枠組みをつくるのかなど、しかし学べたことも多かったと)いくつか質問してみて、それほど外れていない、むしろそのとおりという反応を受けたが、これはこれで良かったと思う。
帰宅時に、LLIのデイナーに出ていたドイツからの若手研究員に会って(彼女もセミナーに出ていた)互いの感想を述べて、警察官のあのような研究は新鮮だったこと、専門は違うが学ぶことも多いというような、大体同じような感想を持っていたことを確認した。
夕食は、今日の僕のクッキングは、生鮭のバタームニエルに、ゆでたジャガイモ、にんじん、カリフラワーを添えたもの、それに白ワイン。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。