昨日のことを書いておこう。夕刻には僕の歓迎会もあった。
11月19日 水
朝少し部屋をきれいにして掃除をする。午後に、来年1月に、僕が帰国した後で、次にこの部屋の借り手希望者が下見に来るというからだ。この日、在宅でなくても良いので、部屋を見せて良いかと宿舎コーデイネーターのエドが先週に尋ねていたので一応Yesと答えておいたからである。研究重点化、国際化の波をリーズ大学も受けているので、客員教授・研究員用の宿舎はいつも満室で、順番待ちのようだ。
この日は、2月の札幌での日英シンポの日程案の第一次案を英語版でも作成し、来日予定のミリアムとニックに送金銀行口座振込み依頼のことも含め送信。また次ぎ次と来る日本の色々な案件の処理、月曜のニック・エリソン教授のインタビューのまとめ、WEAのチューター・オーガナイザーのジョー・ミスキンさんに27日にシェフィールドでお会いする約束を確定したので、その案件も処理した。結構忙しい日だった。まずは、この前文の後に、17日のニック・エリソン教授へのインタビュー記録を載せておこう。
夕刻になって、ミリアムとLLI(Lifelong Learning Institute)のデイナーへ行く。マーク・ネイルさんという若手の研究者のphD学位取得祝いと僕の歓迎とを兼ねたもので、市内中心部Fairuzという地中海風レバノン料理店である。かれこれ10人くらいが参集する。事前に、色々な都合で行けないという連絡がいくつもメールで入っていた。LLIの状況は、前号に書いたように厳しい局面であり、皆複雑な心境にもあるのだ。
Hさんのアイルランドへ帰ってからの「日本人会」参加者宛メールに「・・・リーズ大で、怒りとかなしみがこみ上げる話を何人かから聞き、かなり気分がめいっていたのですが・・」とあるような気分がスタッフの間にもあるのだろう。
日本のH大の同僚や細君からは、札幌の雪情報。Mさんをはじめ数人は、11月29日から北アイルランド調査のようだ。カレンダーを見るが、かの地へ行ってみたい気はするが、今の予定状況では、日程調整は、多分難しいだろうなと思う。
<ニック・エリソン教授との二回目の話
2008.11.17 15:00-16:30 エリソン教授の部屋で。
1 ニューレイバーの社会政策の評価
シュア・スタートプログラム(Sure Start Program):
確かにアイデアは非常に野心的で良かった。ただし、時限付のプログラムであって、4-5年の実施後は自治体やNGOに任されたので、自治体財政では、潤沢なプログラム提供はできず。規模縮小、廃止、などがあり、今はもうない。今は、Children Centreに転換している。もうひとつの問題は、この事業評価の問題だ。あまりにも、短期間に評価を求めて、それは性急過ぎて現場は評価に困った。なぜならば、例えば、5歳以下の子どもへの政策評価などは、長期間にわたる追跡調査などをしなければ分からない。事業の長期的なねらいに対して、国の短期的経済的投資効率による評価では、間尺に合わない。これもまた事業が停止した理由だ。
コネクションズ(Connexions):これもまた今は機能しているとはいえない。これについては、エリソン教授はあまり多くの情報を持っていないという。
ニューデイールポリシイ(New Deal Policy):
これは、今も継続されている。しかし、これはある意味で皮肉なことだが、この最近の米国の金融危機の深刻な影響による経済不況下で、もっともその効果が試されることになる。これは、深いところで、ワークフェア政策と連結している。すなわち、教育・訓練による就業促進というねらいである。しかし、結果的に親の保護や愛情を受けられず、あるいは虐待などでうまく育たなかった子どもや若者たち、あるいは障害をもつ子どもたちが若者になっていくときに、そういう人々はこの政策から排除されていく。これは、社会的公正という観点からも問題とされるだけでなく、若者の犯罪防止という対策事業においてもうまく機能していないことになる。しかも社会民主主義的な実験でもあるので、ニューレイバーの真価が問われることになる。なお、政策の意図と現場との落差もあるので、モニタリングは今後も必要だ。
2 社会的排除に抗するあるいは解決に向かう政策はあったのか。
社会排除政策ユニット(social exclusion unit):
これは2005年で廃止になった。皮肉なことに、たまたま経済が10年間良かったので、中間層はこの種の事業に税金を使うことを好まなかった。これは、後で言う、福祉国家モデルとの関係でも英国のひとつの問題だ。北欧のように、高い税金を出すことを中間層や支配層は好まない。
Widening participation
これはトリッキイな政策だ。確かに、高等教育を目指す学生は増えたが、一定上の質・水準の大学は圧倒的に中産層以上の階層の子弟が行く。前回にも言ったが、学位や学歴のインフレの問題、働くことの意義を真に教えていないので、ただ単に犯罪を防ぐための囲い場として教育が利用されている面もある。
福祉国家の動向
欧州諸国と英国を比較した場合、著書にも触れたが、リベラル(ネオリベも含む自由化)、社会民主主義、大陸型の3種類を措定した場合、英国は明らかにサッチャー時代以来リベラル型になっている。ただし、米国との比較では、まだ戦後レジームというか、コモンウエルスレジームが社会の深部に残存していて、福祉は国家が責任を持つべきものという考えは、そんなに簡単には変わらない。その意味で「変化」のスピードは遅い。また、これも皮肉だが、サッチャー時代に小さな国家、個人責任、DIY(Do it Your Self)、低税金文化が埋め込まれて、容易に北欧のような高福祉高負担のモデルに国民は同意しない。ブラウンは、この点でジレンマに立たされている。
とはいえ、大陸型の仏独も多かれ少なかれ、米国型政策の影響を受け、北欧でもデンマークなどは、従来の福祉政策と新たなネオリベ政策との混合を示す政策を導入している。オーストラリアは、この点で、英国型と米国型のミックスモデルとなってきている。米国と違うのは、労使間の交渉力だ。ただし、組合の規制力は、英国よりも北欧、大陸のいずれもがはるかに強い。団体、社会的行動の規制力は、かつてと比べればはるかに後退してきている。
個人主義の問題は、どの国も深刻な問題となってきている。
年金政策:
これは、いずれの国も直面する大きな問題となっている。詳しくは、今日は時間がない。日本の場合はどうか。
社会的企業やNGO活動での地域再生:
英国は、この点では国家枠組み(中央、地方政府)で考える枠組みが強い。主潮流は、この流れだ。したがって、NGOなどの社会的企業というのは、スコットランドや北アイルランドでは多少動きがあるようだが、イングランドでは、あまり目立ったものはない。地域再生事業は、福祉サイドからのものもあるが、産業サイドからのものが多い。その場合、低所得、低福祉階層地域の基盤整備、インフラ整備をしたことによる地域再生後、中産層や支配層が入り込み、貧困層は周辺に追い出されていくことになって、問題が多い。>
次は、厳しい局面での楽しいひと時の(昨日の夕食会の)スナップ・ショットである。
夕食会では、レバノン料理を堪能した。アジアと西欧がミックスしたような不思議な感覚を味わった。しかし、僕の舌には適合した味だった。料理だけでなく、トルコビールも、チュニジアワインも、トルココーヒーも初めてであったが、これまた期待以上だった。ジェレミーやデビッド、キース、ミリアム、ヘザーとも色々な話が出た。ドイツの女性は、日本のことを良く知らないようで、いろいろと尋ねる。日本人がドイツのことをよく知っているので驚いていた。フィルとは、何回もこれまでに年を変えて会っているがいつも挨拶程度だったので、初めてと言っていいくらい長い時間、日英の大学の研究文化の変容、日本と英国の同質性と違い、研究方法の進め方など、長い話をした。それらは、また後日に。
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