1月1日 薄曇り、日中3度
2009年の幕開け。地味なスタートの年になった。
年末に帰国して、ジェットラグも残り、夜は眠られず昼に眠いという典型的な時差ぼけ状態が続いてしまった。日本の暮らしのリズムに慣れるのが最短の回復術。犬の散歩につきあい、買い物や家の細々とした整理をしていると、少しずつ体内時計が修復されていく。
年賀状の文案を考え、実際に印刷発送をしたのは大晦日になってしまった。多分、関係の皆さまの元に着くのは3が日には無理かなと思いながら、郵便局に投函に出かけた。
細君は、今年は簡便にとしつつ30日からおせち料理つくりにかかっている。
大掃除も充分な余裕なく、必要最低限の整理整頓のみになった。散髪も、年明けだ。
大晦日は、食事後眠くなり、紅白も、ちらり視界に入った程度で寝てしまった。
深夜目覚めて、風呂に入る前にテレビを消そうとすると田原総一郎司会の討議番組をやっていた。参加メンバーには、常連メンバーや政治家とは別に、雨宮処凜、湯浅誠、河添誠氏たちが出ていて、政党議員や評論家とともに貧困、派遣労働などが議論されている。時代の焦点が、雇用と労働者の人権問題に絞られてきている。不況の中で、企業が安易に、派遣労働者の首切りや雇用調整で切り抜けようとしていることをどう考えるのか。次期政権をめざす最大野党議員が、企業の自由な経営のためには雇用調整は仕方なく、企業の社会的責任はあまり問えず、政府の責任にもっぱらかかっていると言っているのにはたまげた。企業の社会的責任を問えない?どういう理解の持ち主だろう?こういう理解への国民的反発こそが根底にあることを理解していないのだ。
しかし、国民の中には、無力感も漂っている。先日の朝日新聞には、見田宗介の批評文があったが、彼のいう「虚構の時代」から、「仮想の時代」への転換の象徴に、秋葉原事件があるのだろう。人をモノ扱いにする企業論理の中で、切り捨てられていく若者たちがいる。その中の持って行きようのない憤りと見通しのなさに押し込められている若者の起こす事件、そのいたましい象徴として秋葉原事件があるのだろう。そういえば、昨日、CD購入のついでに寄った近くの書店には「ロスジェネ」2号はまだ入荷していなかった。秋葉原事件を起こした加藤某の携帯発信記録が全部載っているとのことを、先達の方の(12月18日付け)ブログで拝見したので求めたかったのだ。http://blog.livedoor.jp/masao55ota1/archives/2008-12.html
雑誌や本は、北海道での入荷はいつも1-2週間は遅れるのだ。これは仕方がない。
テレビの深夜討論番組は、つきあう体力も気力もなく、入浴後すぐに、寝入った。
目覚めての元旦の朝のNHKのラジオ第2放送は、このところ、不況と産業、雇用などの連続プログラムを流している。こういうあまり明るくないトピックをかかげ、国民に何とか切り抜けて行こうと訴える年明けは、僕の近年の記憶では、阪神大震災、オウム真理教問題のただ中で日経新聞が、日本沈没の危機を煽った1995-6年以来だと思う。朝日新聞の元旦の1面の見出しも、ハリウッド映画の翳りでであり、裏面では英国のフットボールクラブの外国資本買収とスポーツビジネス化による負債の増大記事だった。そういえば、帰国日(12月27日)のガーデイアン(オブザーバー)の記事も、異様なクリスマス後のボクシングデーの全国的セールの記録的人出と対照的な2009年の景気見通しの悪さ、人々の購買自主規制の動きを報じていた。
大きな転換期の予兆のような世相だ。
さて、元旦の朝。
犬の散歩に行くと、この地は数日来の雪がぬかるんで歩きにくいが、人出と車が少なく静かな年明けの朝だ。鴨鴨川にはいたるところに、文字通り鴨が密集している。羽ばたいたり、鳴き声を出したり、年明けの静けさの中に存在感を主張している。
バス停のSave the Children Japan(SCJ)のNPO広告スポンサーはあのシャネルだ。日本の企業は、子どもや、労働者の人権を救うことに、果たしてどれほどに身を入れているのだろう。テレビ討論番組のM党議員のように、それは政府の責任であるとでも言うのだろうか?
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