1月4日(日) 曇り、小雪、最高2度
英国から帰国して1週間が過ぎた。個人的には、これということなく、例年通りの歳末と正月明けだった。頂いた年賀状の文面には、色々な方の状況と時代が映し出されていて興味深かった。昨日三日は、友人のMAご夫妻と拙宅で新年会というか夕食懇談の時間をもった。やはり「平和」な正月と言うべきであろう。
しかし、社会は単純に「平和」ではない。日々厳しさを増す経済不況は日比谷に、企業の派遣労働者枠の削減や事業縮小などでの首切りで宿をもてない人々の「年越し派遣村」を生み出させた。支援の人々の要請で、恐らくは初めてのことであろうが厚生労働省の講堂の開放や対応しての全国的支援の動きをつくりだしている。
世界的には、1月20日に就任が予定されているバラク・オバマ大統領による米国の「変化」がいかなるものを生み出すかに関心が寄せられている。その多くは、米国のイラク・アフガン派兵の撤退の帰趨、京都議定書など環境問題への米国の変化、深刻な米国経済政策への舵取り、米国の抱える国内的貧富格差や人種的差別や人権問題への是正に寄せられている。 無論過剰な期待はできないが、その幾分かはブッシュ時代の行き過ぎたネオリベ・ネオコン政策の修正になるであろう。しかし、米国カジノ資本主義の本体たる金融資本や多国籍企業、巨大な産軍学コンプレックスに手をつけられるかどうかは不明であり、恐らくはそのようには展開しないこともほぼ予測できることである。
年末以来、世界の人々に憂慮と苦悩を与えているのは、イスラエルのパレスチナ・ガザ地域への連日の空爆とついには昨日からの地上軍侵攻である。4百数十名の人々の命がすでに奪われている。非道でむごい攻撃である。当然ながら国連サイド(国連人道問題調整事務所被占領パレスチナ地区オフィス)からも、イスラエルの暴挙・軍事行動の中止を求めるキャンペーンがなされていることを友人からのメールで知った。
また、ガザに4年ほどいて、2003年5月から、NPO法人「地球のステージ
(本部・山形)」の現地駐在員として、パレスチナ・ガザ地区最南端の町
ラファで、国境線沿いや(元)入植地の周辺に住んでいる青少年を対象に
した心理社会活動を続けている寺畑由美さんのブログが現況を知らせている。http://frontline.civiblog.org/
高遠菜穂子さんのブログ(イラク・ホープ・ダイアリー)にも彼女の憂慮が伝えられている。http://iraqhope.exblog.jp/
京大の岡真理さん(現代イスラム・アラブ研究)のブログ(薔薇、または陽だまりの猫)にもガザの状況が詳しく報告されている。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/40dce0567d85c3c649821753b4676c57
日本からの発信では、世界平和アピール七人委員会が「イスラエルによるガザへの攻撃の中止を求める緊急アピール」を1月4日付けで発表した。http://worldpeace7.jp/
イスラエルの軍事行動に、政権末期のブッシュ大統領が支持を与えていることを報道が知らせている。ハマスのロケット攻撃がその引き金になっているというイスラエル側の言い分通りの発言である。日本の政府の発言は、まったく説得力を持たない喧嘩両成敗のようなことを言い、英国のミリバンド外相は、イスラエルの自制を求め、両者の仲介を行おうとし、フランスのサルコジ大統領は、もうすこし強く類似の発言を行っている。また、ハマスの軍事行動には、アラブ世界の反応は一様ではない。
日本のように中近東(この地理学的表現はあくまで英国など西欧からの視点だが)地域から遠い場所にあっては、イスラエルという国の動きは不可解なままだ。イスラエルの建国の是非は、ここでは一応横におくとしても、第二次大戦であれほどのホロコーストの被害を受けたユダヤの人々が何故に、おなじようなことをパレスチナの民に行うのかという素朴な疑問は日本の(世界の)人々の共通の感慨であろう。
そして、米英などの国々の二面政策などで振り回されてきたアラブ世界や、ムスリムの世界は、その宗教的結束性は別にして、政治的思惑では一枚岩ではなく、イスラエルに接するパレスチナの人々はその狭間での犠牲を一方的に強いられてきたといえる。
なんとかして、このような人道に反し、何の罪もない子どもや老人を含む市民が犠牲になっていく軍事行動(爆撃と砲火)を辞めさせられないのか。日本の穏やかな正月にあって、世界の動きに眼を閉じるのではなく、せめて無力感だけには囚われないで、ささやかな行動を起こしていきたいものだ。
昨日来、中国でベストセラーになった『神なるオオカミ』(上下)の翻訳本を読んでいる。中国の留学生から拝受したものだ。まだ途中読みだが、内モンゴルの草原の民たるモンゴル族の人々の生活に潜む考えと文化大革命で下放された知識青年の葛藤や考えの差異を日本側から読むというおもしろさがあるし、時に違和感も残る作品である。また、オオカミを頂点とした生態系の摂理を尊重するモンゴルの民とそれらを非科学的としてオオカミの撲滅をはかる漢族の決定的な思想の差異は、丁度アラブ世界の文化や生活を無視する米英などの行動様式とも類似している面も僕には発想されてしまい、その意味でも面白い。下巻はこれからだ。
明日から仕事始め、こうした気ままな読書はまたしばらくお預けだ。
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