日常への回帰の日々。
5日からの卒論発表も終わり、T君の発表なども何とか無事に過ぎた。
7日の松が明ける象徴の七草粥も終わると、例年のように、ようやく通常の日々が始まってきた。研究も通常ペースに戻っていく。第二週の週末の10日ー11日は、大阪での科研費研究の今年度の総括研究会であった。前日大雪の予報があったが、10日の新千歳空港では、どうにか飛行機の遅れもなく、ほっとした。この日は、関空が着陸地。空港からリムジンバスで梅田に着き、会場は阪急インターナショナルホテルがあるビルの14階。関西学院大学のサテライトキャンパスである。私学のサテライトキャンパスは豪華である。
研究会初日は、二人のゲストスピーカーのお話であった。一つは、アメリカの政策研究の現段階とそのアプローチの手法や現実的影響力、とりわけNPOベースの主要な研究機関やシンクタンクの現実的効用性と質的優秀性、日本との差異性などについて、関西学院大学の上野真城子氏から貴重な報告を受けた。氏は、故宗像誠也氏を御尊父にもたれ、建築・公共住宅政策研究から米国でのシンクタンク研究員として、政策科学の道に進まれ、現在は日米を往復される研究者である。御尊父の宗像教育行政学や教育政策定義に関わっての氏の見解もお話され、米国の政策研究に関しての興味深い多様なデイスカッションがあったがここでは省略する。第二報告は、日本科学者会議の野村康秀氏の科学技術政策と大学との関係構造の実態と歴史的展開に関する実証的データを駆使したお話であった。これまた多くの質疑が出たが省略する。
二日目は、中之島にある大阪市中央公会堂という歴史的建造物の会議室で、科研費研究のメンバーの調査報告を受けた。ベトナム、タイ、ニュージーランドの高等教育政策とグローバライザーとの関係性や各国の固有の状況が報告された。それぞれに興味深く質疑がなされた。また、それ以外に、中国、アメリカの調査経過概要や計画状況が報告され、今後の共同研究の概略が討議され、散会した。両日を通じてそれぞれ16-7名のメンバーの参加で 、闊達な討議であった。
復路の便が少し遅い設定であったので 、古本街を散策して、時間をつぶして関空に戻った。
左上は、大阪南部の石油化学工場群(コンビナート)。製造産業やレジャー施設、交通機関など、臨海性故か、地理的配置が古典的規則的で面白い。関空を離れて行くにつれて漁業の船舶群、ヨットハーバーなどにつづき、各種の砂利やコンクリート材料の集荷積み卸し施設、木材集積、石油化学工場、鉄鋼、製鉄、倉庫群、フェリー発着施設、そして住宅、都市部へ連なっていく。
帰路の便では、藤沢周平の作品、「義民が駆ける」を読みながら、権力内部の抗争は、天保期のそれと、現代とでは、無論様相は異なる面も多いが、しかし、時代が変わっても、本質はそれほど大きくは変容していないことを、あらためて確認するような思いに駆られた。人倫や智性は、どのように質的な発展を遂げていくものなのか。
ガザでの空爆に、イスラエルが白リン爆弾や米国開発の新爆弾(DIME高密度不活性金属弾)を使用している疑いが濃厚であり、地上攻撃に予備役兵も動員しているという。ガザ地区での死者は900人を越え、負傷者は4000人を越えているという。世界各地で抗議のデモが激しい。週末、大阪出張中に札幌でも抗議デモが組織されていたようだ。個人でできることは、イスラエル大使館への電話やファックス、メールくらいであろうか。黙ってはいられない気持ちになる。
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