これまでも、そして今も、さらに今後も、多くの学びに参加し関わってきたし関わって行くであろう。この春のいくつかの企画(僕が関わるもの、あるいは一参加者として学ぶものなど)を紹介しておこう。このページはその1である。
先週末は、この春の全国青年問題研究集会(3月6-8日)に先駆けて各地で持たれる道府県単位の青年問題研究集会のひとつである北海道青年問題研究集会に研究者・助言者の立場で参加した。地域青年団は、今でも、青年集団の中では最大の規模を持ち、地域に根を張った組織である。都市化、個人主義化、消費的青年文化、さらにはグローバリゼーションの進行の中で一時期、存続の危機どころか解体消滅が危惧されたこともあった。しかし、失われた20年というべきか、新自由主義が跋扈した時代が過ぎようとしている今、地域再生の担い手づくり、若者の居場所・連帯の場として、ふたたびその存在意義の重要性がが見直されはじめようとしている。
ここで、日青協の組織や活動、地域青年団の歴史的沿革やそれにまつわる議論を展開するつもりはない。僕も『地域青年運動50年史』の一つの章を執筆した。興味ある方はそれを参照してほしい。http://www.dan.or.jp/danpress/book/storehouse/50.html
言いたいことは以下のようなことだ。
富める者のみがさらに富を増やし、貧者はますます貧困の滑り台を滑落する世界が良き社会であるはずがない。中央から離れれば離れるほど、地域がズタズタに引き裂かれ、人々のつながりが分断され続けることが、幸福な社会であるはずがない。地域の経済が疲弊し、社会システムの機能が末端に行き届かず、排除され、不利益を被る人々が無視される社会が理想であるはずもない。地場産業や、農業漁業が立ちゆかなくなる社会が豊かな社会とはとても言えない。若者のみならず働く人々の人権が無視され、モノ扱いされ、派遣切りなどと、トカゲの尻尾を切るかのごとくに人間の存在が軽々しく扱われ、経済の「調整弁」にされる社会が、まかり通って良いはずがない。
こういうごく当たり前でまっとうな議論が、「自分の言葉」で話され、行動が自由に起こされていく社会を再生していくこと。それこそがデモクラシー社会の素朴な原義であろう。
自分の意見や考えが大事にされ受け入れられていくためには、他者の意見をじっくり聞き、それと照らし合わせて、何が良くて何が悪いかが、確かめられていくこと。お互いに納得がいくように充分なゆとりと対話があること。いまのところ、お互いに納得がいかなくても、自分の主張や利益だけをごり押しして、従わない者を暴力や力で押さえつけたりしないこと。効率や「能力」のみが最優先され、普通であることや、遊びや文化やスポーツが軽視されないこと。こういう市民社会の基本を、ごく普通の青年が時間をかけて、交流し、理解していくこと。互いの人間関係を深め、地域の連帯とネットワークを紡いでいく担い手にみずからもなろうと考える学び。そういう集いが青年問題研究集会だ。これらをつなぐ全国組織は日青協だ。http://www.dan.or.jp/index.html
各地に県単位、あるいは郡市町村、あるいは単位(校区)団がある。北海道は、道青協がまとめ役だ。http://www.age.cc/~doseikyo/
このほかに、青年サークルや各種の青年集団が各地に存在する。
開拓時代の息吹が団の歌に生きて残されている。青年問題研究集会は、各地でその出発点が違うが、北海道は比較的遅くて、2008年度が46回とすれば、1962年からのようだ。
遠方からの参加者がまだ間に合っていないが、開始後の参加者の姿。仕事を終えてから皆、時間をかけて札幌にやってきた。
今年の講演講師は、前日青協会長(香川県出身)の岡下進一さんだ。対話型の分かりやすい話をこの日はされていた。
各参加団の事例発表の場面の一つ。下記は、今回の各地事例一覧。
初日の公式プログラム終了後の、交流懇親会、札幌の街に出ての交流会もあった。僕は、近場での交流会に参加してから、帰宅し、翌日また参加した。体力のある若者たちは、徹夜組もいくらかあったようだ。さて、最後に僕は、助言者を代表して、全体のまとめ的感想を述べたが、それは省略しておこう。今回は、2日間の日程内で、速報が6号も発行された。担当のMさんの労力大だ。昨秋改装された青年会館も居心地が良くなった。ユースホステルを兼ねているので、利用してほしいところだ。
http://www.nippon-seinenkan.or.jp/KAIKAN/Hokkaidou/index.html
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。