今日から5月である。4月はあっけなく過ぎ去った。僕にしては、珍しく、道内に留まった1ヶ月であった。
3月からの研究室の戻りの引っ越しとその整理作業に刺激されて、4月に入って、家の書斎の整理もこの間大いに行った。ただし、開けずにいる(置くスペースがない)段ボール箱も、家の車庫兼倉庫に50箱くらいが眠ったままになってしまった。整理は、仕事の前提だが、肝心な、集中した研究的時間がこの間確保できていないのは情けないものである。言い聞かせるように、あまりあせっても致し方あるまいと心につぶやくのではあるが・・・
ところで、例年のこととはいえ、北海道では、4月も暖房が欠かせない。先週雪が降った前後の寒気で風邪も引いた。つい気を緩めるとこの有様だ。気持ちも落ち込み、授業など教育仕事は行っても、肝心の研究的な仕事が出来ずにいたときに、書棚から選んで、澤地久枝さんの本をいくつか再読した。人間が生きたことの意味について、具体的な事例を通して語るときの彼女の文章は心に静かに浸透してくる。なぜだろうと思ったときに、彼女の人生を語った文章に触れて何か分かったというか氷解するものがあった。(NHKテキスト「知るを楽しむ 人生の生き方」:澤地久枝「声なき声を聞く」2008)また、彼女が九条の会の呼びかけ人になっている意味も了解された。精神的に落ち込むときや、身体の具合に自信をもてないとき、書くことがうまく進まないときがあっても、それもまぎれもなく自分の姿だ。どんなことがあろうと、めげずに、誠実に自分を生きれば良いのだ。
僕もささやかな九条の会関連の活動をし、先週は、このところやや休止状態だったので、今年の計画を話し合う会合を職場でもった。初志は貫くべしである。
考えてみれば、九条の会の呼びかけ人は、この間、小田実、加藤周一の両氏を喪った。個性や仕事の仕方も違うが、秀れた知性と批評精神の横溢した生き方で共通するものがあった。続くものが学ぶべきものを多く有した両氏であった。呼びかけ人では、残された三木睦子さんも高齢だ。梅原猛氏は、あまり活動には参加されていないようだが、脱落されることもない。同じく高齢ではあるが、鶴見俊輔氏はお元気だし、奥平康弘氏、大江健三郎氏、井上ひさし氏は、精力的でお元気だ。澤地久枝さんもこの中で重要な役割を担っておられる。世の中がきな臭くなったときにこそ、冷静な知性とヒューマンな感性、対話と相互理解が必要なのだ。
さて、体調の維持にはやはり適度な心のリフレッシュと、運動が必要だ。先週は、夕刻時間を見つけて、年明け後初めての温水プールでの水中ウオークと泳ぎをしてきた。体が重いと感じたが良い疲労感が残って気持ちよかった。少ないとは言え、このところ、週に1-2度は、犬の散歩も引き受けている。もう少し暖かくなってきたら、職場に自転車で行こう。そうこう考え行動していると、鬱屈とした気分はやや和らいではきた。4月末から5月の寒さは、この地特有だが、さすがに季節の逆戻りは一時的なものだ。時に寒さは戻るが、それが長続きするものでもない。そう思っていると、昨日はいきなり22度まで気温が上昇した。今日も17度まで上がった。この気温の急変に、桜も驚いたようだ。近くのN公園の桜並木が一気に開花してきた。
今朝は、犬のシローの散歩の後、久しぶりにメーデーに参加した。メーデーは、1886年5月1日に、8時間労働時間を求めてストライキに参加した35万(38万人という説も)のアメリかの労働者(シカゴ、ニューヨーク、ボストンなど)の行動が起源である。日本は、1920年の東京のメーデーが第一回の年のようである。しかし、多様な理由があげられようが、近年参加者が減ってきていたようだ。ところがだ、このところの経済不況や、労働者受難の状況もあり、昨年あたりから、再び盛り返していく機運も生じているようだ。ただし、歌われている労働歌は、僕らの若き日に歌っていたものと変わらない。このあたりは、時代に対応する瞬発力がまだ整っていないのかも知れない。そんなあれこれのことを考えながら、デモ行進した。
こういう日は、午後、家に戻って自宅研修作業をしたが、心なしか、晴れ晴れとしたものであった。
ご無沙汰でした。
花の写真に心が和みます。
いつも本当にいいアングルで撮られて
いますね。
これからも楽しみにしています。
投稿情報: mameko | 2009年5 月 2日 (土) 17:06