ライラックの花とつつじが共存している。
このところ、連日「新型インフル」のニュースが続く。ついこの前までは、鳥インフル、その前はSARSで危機が語られたが、今回はブタインフルエンザ A/H1N1(豚由来型新型インフル)である。
WHOという国連関連の国際機関が連日登場する。プレス発表等でリーダーシップを発揮し、スポットライトを浴びているのは、マーガレット・チャン事務局長(元香港衛生局幹部、SARSで手腕を発揮して抜擢された)とケイジ・フクダ事務局次長補代理(日本人だが、幼少期渡米で現在は米国籍)である。
そして鳥インフルのときも使われたが、危機の段階表示で使われる言葉の一つがパンデミック(pandemic)という単語だ。
パンデミックとは、限られた期間にある感染症が世界的に大流行することを指す。(ジーニアス英和大辞典でも、世界的流行の、転じて「世界的流行病」とある)
パンデミックを含む、WHOのインフルエンザ危機の6段階表示は、新聞等で知られるようになった。そして、今や実に多量の情報が流れている。
The current WHO phase of pandemic alert is 5.
http://www.who.int/csr/disease/avian_influenza/phase/en/index.html
なお、厚生労働省、国立感染症研究所などが、今回の新型インフルでは必要な情報を提供している。各都道府県のガイドラインもそろってきてはいる。 http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/index.html |
検索してみると、過去に発生したインフルエンザのパンデミックは、1918年のスペインインフルエンザ、1957年のアジアインフルエンザ、1968年の香港インフルエンザ、1977年のソ連インフルエンザなどがあり、たとえばスペインインフルエンザでは世界で約4000万人、日本では約39万人の死者を出した。
今回の豚由来の新型インフルのワクチンはまだ未開発であり関係機関はその意味で必死にその開発を急いでいる。当面は、既存の治療薬をあててしのいでいるようだが、その効果もまだ手探りのようだ。鳥インフルの場合、致死率が高かったが、今回は、今のところ重篤の患者は、メキシコや米国以外では、生じておらず初期段階の隔離ないし自宅養生で感染を防ぎ、医療手当、看護、休養などで快方に向かう場合が多いようだ。素人なので、分からないが高校生など10代を中心に20代あたりに感染者・発熱者が多く、中高年や乳幼児にあまり事例がないのは、なぜなのか。免疫のことなど、色々な解説が飛び交っているが、まだ決定的な説得力がない。また、マスクは効果があるのないのか、欧米などでは効果がないとかしないとかが支配的で、日本では品不足で在庫切れなどのニュースが届いている。これまたまちまちの見解で、良く分からない。咳などで飛沫を飛ばさないのは重要だが、それ以外の感染もあり、結局、外出を控える、帰宅後のうがい、手洗い、清潔を保つなどの初歩的な自衛対応が一番重要なようだ。後は発症したら、医療関係に連絡するしかないようだ。
新型インフルについては、過度の危機感の扇動も楽観論の脳天気も、いずれも間違いということだろう。ただし、現実の発症についての対応はまちまちである。僕の身近にも影響が出始めている。この6月前後、ブラジルで開かれる予定であったユネスコの国際成人教育会議は、新型インフルのこともあり、延期になり、関係者に大きな混乱を引き起こした。他方、カナダで開かれた国際環境会議は、予定通り開催され、マスクをつけている人はほとんどいなかったという。ゼミの学生や、教員の中には、神戸やソウルに出かける用件があった後、帰宅後、自宅で待機の勧告が大学から出され、1週間前後禁足状態だったが、その後感染者増大の中で、その指示は解除されている。関西の大学に進学した連れ合いの長女は、この1週間休校措置の下にいる。
このような状態の下で、最近読んだ辺見庸『しのびよる破局-生体の悲鳴が聞こえるか』(2009)でパンデミックに触れているので興味深く読んだ。この本は、NHKのETV特集で反響を呼んだインタビューを大幅に再構成して編まれたものだ。辺見は、元新聞特派員であり、作家として、彼独特の鋭い観察思考が魅力的だ。辺見は、今起きていることは、(この場合、この本では、鳥インフルのときだが)、エピデミック(epidemic)という地域限定的な事態ではなく、グローバル化と同時性の故に、まさしくパンデミック=「感染爆発」が起きているのだとする。それが新型インフルエンザに限らず、経済金融危機、人間の価値観、心の問題もそうだという。(僕なりに加えれば、地球温暖化など環境問題もそうだ)
そして、敷衍して、辺見は、パンデミックよりもさらに深刻なパンデモニアム(pnademonium)という言葉を紹介している。それが大混乱、無秩序、修羅場を意味するものであり、ミルトンの叙事詩『失楽園』で命名された地獄の首都の名であるという。またこの言葉が最近使われた例として、2001年9.11のあの倒壊現場でのある米国人の感想を紹介している。
(ここで、僕の意見を述べておけば、たしかに、あのニューヨークWTCビル惨事は、米国人にとっては「グラウンドゼロ(ground zero)」とも言うべき衝撃であり悲劇であったのも無理はない。それまで、本土の攻撃や爆撃などなかった国だった。9.11以後、テロリスト殲滅、テロ国家撲滅に近い政策が、「世論」の支持のもとに、ブッシュ政権で加速したのは周知のことだ。しかし、あの事態を上回る犠牲者・死者を世界中に軍隊を派遣して生み出しているのは、米国自身だ。中東諸国は、世界最大のテロリスト国家は、米国だと主張する。テロリズムは、罪悪であり、人間の命と生活の基盤破壊以外の何も生み出さないと僕も思う。そして、米国のテロリスト掃討に名を借りた傍若無人の軍事力行使については、中東諸国の主張は正しいと思う。このことは、イスラエルのパレスチナ攻撃についても同様だ。しかし、結局の所、武力の応酬は、死者を増大させ憎悪をまきちらすだけだと僕は思う。)
本来あるべき、自然界、生物界と人間世界の活動とバランスを崩し、生体の悲鳴を各地に生み出しているのは資本主義末期の所業がつくりだす断末魔の叫びのようなものだ。「感染症と価値観の崩壊をいっしょにするようなことは、これまでの人間社会には概念としてなかった」、資本主義とは、「病むべく導き健やかにと命じる」という、辺見庸の言葉は重い。
なお、報道されない報道の一つとして、ブッシュ政権時のラムズフェルド前国防長官とタミフル治療薬企業との利権関係性が指摘されている。戦争と死の商人、石油・原子力ビジネス、貧困ビジネス、災害・感染症ビジネス等々に、暗躍するのは、新自由主義政策の旗を振った権力の最高部にいる連中だ。ブッシュ政権は、その巣窟のようなものだったと思う。
この点で、今朝の新聞を注意深く眺めていたら、「07年から鳥インフルエンザウイルス検体の提供を拒んでいる」インドネシアのスパリ保健相が、興味深い発言をしている。
「なぜ検体を提供しないのか」という記者の質問に対して
「自発的に提供しても我々の知らないところでWHOから製薬会社や研究所に渡り、ある日突然、我々は高価なワクチンを買わされる。先進国の製薬会社は大もうけをする。この仕組みは不公平だ」(朝日新聞、09年5月23日)
今回のメキシコでの流行前に、< 3月22日、アメリカの生物化学兵器の研究拠点・フォート・デトリックから「豚インフルエンザ」のウィルス・サンプルが盗み出され、行方不明になった後、メキシコで流行が始まった>という情報は、気になるところだ。ラムズフェルドと上記のウイルス・サンプルの行方不明については、下記のurlが興味深い。
http://blogs.yahoo.co.jp/maruimarui21/59667393.html
さて、少し視点を変えよう。
絶望の虚妄なるは希望の虚妄なると同じであるとの魯迅の言ではないが、危機に対して絶望しても、単純な希望を語っても、無意味である。
その意味で、最近読んだ田中美智子さんの『まだ生きている』という本は、先達者からポンと肩をたたかれ励まされたような感があった。田中さんの文章は、辺見庸氏の『しのびよる破局』とは色合いが違い、明るくシャープで、ユーモアがあり、しかもしみじみさせる人生観がある。愛知にいた頃は、日本福祉大学の教員をされ、その後国会議員をされたが、ある友人の会費制結婚式の仲人をされたりして、身近に感じた方だった。今度の本についても、出版をすすめるにあたって尽力いただいたと紹介されている西田一広さんという名前があった。大学時代の懐かしい方だ。当時の学生運動や、僕が一時期所属していた「劇団新生」という学生演劇サークルでの場面を思い出してこれまた懐かしい気持ちにもなった。
しかし、田中さんも、辺見氏も、ご両人とも、大病をされた。辺見氏は、現在もそれに対する身体と心の「自主トレ」を自覚されており、田中さんは、かつて『さよなら さよなら さよなら』という本を書き、この世に別れを告げる寸前までガンが進行したことのある方だ。それでも、「74歳からのピアノ」「84歳からのブログ」に示されるバイタリテイのある方だ。NK細胞の活性化が、ガンの進行を防いでいるのだと達観した日々を生きられている。いずれも、絶望とも、空疎な希望とも異なる、生きることの根本を示唆する点で両著とも好著であった。
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