5月2-4日の北の最果て離島、利尻・礼文の旅(その1のつづき)の記録である。
天候次第で、旅は良くも悪くもなる。幸い、今回は天気に恵まれ、ラッキーであった。季節は両島観光には、少し早い旅だが、その分観光客も少なく、船も空いていて、かつ波の揺れも思ったよりも少なく、船酔いすることもなかった。利尻島は(「りしり」の語源はアイヌ語の「リィ・シリ」で「高い山の島」という意味。)火山活動から生まれた島。溶岩が海岸線まで流れ出してできた地形が特徴。その象徴は1721メートルの利尻山。その別名、利尻富士の全容を色々な角度から見ることができた。パンフレットや映像で見るものと実物は迫力が違う。実際に足を運んでの体験も良いものだ。幾人かのグループが登山準備姿で、フェリーに乗っていた。利尻富士には、登山家を魅了するような姿があるようだ。
そして、浮島とはよく表現したものだ。たしかに、海上からは、利尻島はまるで浮島のようだ。人々が住んでいる海岸線が薄く見えない。その上に、利尻山(別名利尻富士)が浮き上がって眺望されるのである。
夕食後、細君と一緒に、夜に一軒だけやっていたスナックをフロントで教えていただき、下手なカラオケも歌った。後半、常連客の方やママ(名刺の裏には利尻富士町商工部婦人部長とあった)から島の生活や今の人々の人生模様をお聞きした。やさしい方々だった。
翌日は、利尻の主要なポイント、ポイントから、自然の情景と利尻山を眺めることになった。
下は同じく、沓形岬公園からの利尻富士。
利尻を離れて礼文に移動した。
片道40分ほどの船旅。礼文島は、アイヌ語の「レブンシリ」=沖ノ島という意味の語源からきているらしい。隆起活動でできた島である。花の浮島と観光パンフにある。本州では2000メートル級、北海道本道でも1600メートル級でしか見られず、利尻でも、利尻山の相当上に上らないと見ることのできない高山植物が海抜ゼロメートルから見ることができると説明がある。夜のスライドショーの「ハナガイドクラブ」の若いガイドさんからは、その理由について、確か記憶の限りでは、三つの条件があるという。一つは高緯度で寒いこと。二つ目は、礼文岳でも490メートルと低く、島全体を霧がおおってしまうこと、三つ目は、その結果、冷湿度が保てていることにあるようだ。
礼文では、ようやく咲き始めの花々に触れた。これからがシーズン。全体で固有種300,外来種も入れて500に及ぶ草花が次々と咲き誇る。利尻・礼文両島とも国立公園である。北方の最北地故か、トドやアザラシの繁殖あるいは寄留地もあり、軍事的には自衛隊のレーダーサイトが、稚内とともに両島にもにしっかりと目に付く形で存在している。元々は、アイヌの(天塩アイヌの人々で稚内アイヌと対立していたという)人々の地であるが、後年、主に日本海側の本州からの開拓漁民が住み着いて人口が構成されているようだ。暮らしの厳しさと人情、素朴さがその特徴のようだ。無論、暮らせばまた別の姿もあるのだろう。しかし、自然が厳しいが故の美しさに惹かれるのか、利尻には自然や山に惹かれた写真家や登山家が外から住み着き、礼文には草花に惹かれ、時に人生を変えて活動する「はなガイド」で暮らす人々がいる。http://www5f.biglobe.ne.jp/~rebun-hanaguideclub/index.html
全島に2つしか信号がないというので、車が混むことはまずない。まずは、国立公園内の指定地域、久種湖に向かった。
礼文にある自衛隊レーダーサイトが見える。
途中の礼文島、ウニ剝き体験センター裏手からの利尻富士の遠景。
次はスカイ(澄海)岬へ移動する。
寒くて早々に休憩所で、あったかなカニ汁を食する。
次に、スコトン岬に移動する。不確かだが、トドのいる岬という意味だとか誰かが教えてくれた。スコトン岬からは、トド島が見える。日本最北限(端ではない)の島だ。スコトン岬の下には民家があると聞きのぞくと、民宿スコトン岬。地元の漁師さんの経営になるらしい。釣り好きにはたまらないロケーションだろう。
この日は、スコトン岬を離れ、香深にあるホテルに戻って行程終了。温泉と素敵な食事が待っていた。
翌朝、稚内に向けての帰りの旅だ。
天気予報に風が強いとあったので、船酔いの一抹の不安があった。たしかに、礼文から稚内へのフェリーは少し揺れた。後方の方が揺れが少ないというので、そこに席をとり、ひたすら時間が過ぎるのを待っての約2時間の船旅だった。偶然、近くのご一行席が、礼文島からの大家族のような一家だった。叔父叔母や従兄弟の5人、祖父、母親、その子二人と親族一同乗船されていたようだ。その中で、孫の二人の活発なおてんばぶりを飽きず見ていたのも良かったかも知れない。船酔いはなかった。
稚内駅そばの北市場で買い物をして、移動。宗谷高原牧場内を横切って、宗谷岬に出て、その後は猿払で食事。そしてあとはひたすら札幌に向けての移動だ。
日本最北端のモニュメント前での記念撮影は定番のようだ。
宗谷海岸にもアザラシやトドが来るが減っているようだ。かもめが翼を休め、ひなたぼっこをしている。
宗谷岬も観光にはまだオフシーズン。車は一定数いるが、まだ満車ではない。
上は、稚内と宗谷岬のイラスト地図表示。近くの牧場は、クマザサをすべて根から取り去り、土を入れ替え、牧草を育てた大工事の結果の姿だ。 human made natureを地で行っている。
下は、もう珍しくもないが、この宗谷岬公園も指定管理者での管理だ。
この日は、近くの猿払では、戦時中強制労働で飛行場を造営の苦役労働の過程で死を強いられた朝鮮の方々の慰霊式が行われていたと、帰札後に知った。その横を通ってきたのだ。現実に引き戻されるニュースだった。
<余談>
利尻で見かけた花の名が分からない。図鑑(下)によれば、見た感じがコシカキク(?)らしいのだが、咲く時期がどうも合わない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。