シャクナゲの花がひっそりと咲いている。
先週後半は、授業や演習その他で暮れた。また、8月に韓国で行う日中韓の国際シンポについての打ち合わせやりとりがあった。
金曜は、締め切り仕事を午前、午後と行いややタフな時間を過ごした。夕刻からは、一つは「北の図書館五人の会」の会合があった。
http://homepage2.nifty.com/kitanotosyokan/ (北の図書館5人の会のHP)
主宰のISさんの呼びかけで、この日は、学校図書館分野の重鎮のWさん、小樽文学館に関わってこられたMさん、それに僕の4人である。久しぶりに直接会って、近況や今後の展望を話し合う場が持たれたのである。僕は、その後の予定もあって、中座したが、それぞれの方の図書館にかける熱い思いがひしひしと伝わり、また人脈の広い方々であることをあらためて思った。
大学に戻り、今度は、博士後期課程の院生の論文検討会。この日は、TさんとI君の博論構成とその内容検討である。二人とも、今年中に、博論提出の気構えである。対象としている直接的な分野は異なり、研究方法や、使う概念、検証手続きも異なるが、それぞれに扱っているテーマは、高等継続教育に結びついていくということになる。一つは、老年看護学分野における実習指導における、プログラム編成とその実証的効果の検証ということになろうし、もう一つは、北海道の私学の一つであるR学園大学の酪農教育での大学拡張実践をめぐる理念とその実際の歴史を二人の鍵的人物の思想と実践に降りたって検証しようとするものである。最初の報告では、看護学における「自立」援助概念と高齢者看護の実際の場面での葛藤、人間の老いをどうとらえるか、看護とは何か、などの基本問題が根本にあり、後半の報告では、酪農を担う地域の農業者主体の支援や育成に関わってのこの間の農業構造の根本的な変容、酪農経営における農業者と国際的環境や企業との関係が前提にある。また、大学本体の教育と大学成人教育分野との連携と葛藤、あるいはその分離の問題など、いくつも深めていく内容があきらかとなった。今後の発展はご両人の努力は無論、それぞれの固有の研究蓄積や学際領域の仕事に学ぶ力にかかっている。終了し、研究室で残務を整理していると、結局帰宅は11時過ぎになった。
翌日土曜日は、日帰りの東京での会合参加であった。いつも思うが、手弁当の往復は、北海道から東京に出かけるのは、時間も経費もややきついなと感じる。この日は、前日遅くまでの日程もあって、時間確認を怠ってしまった。7月3日にでかける四国での教育政策学会の時間と混同して、朝早くに準備し、空港に出向いたのである。あ-あ(嘆息だ)思いこみは良くない。良くあるんだな。これが!
空港でチケットチェックインのときに気づいたが、この日は東京で、午後三時からの会合であった。急ぐ必要はなく11時半のフライトにしたのだった。なぜか9時フライトと思いこんでいたので、8時15分に空港に着いてしまったのだ。しようがない。3時間の待ち時間だ。この時間も使いよう。持ってきた本(天野郁夫、『大学の誕生』(上、下)中公新書)を読み続けて時間を過ごした。
着いた東京は、やはりこの時期、暑くて湿度も高い。マイ不快指数は、この10年の北海道暮らしのせいか、相当に高くなってしまった。会合は、この夏に、長野県下伊那阿智村で開かれる社会教育全国集会の分科会世話人会である。4月に行われた、阿智村での世話人会に日程都合上参加できなかったので、今日は出ようと思ったのである。会合場所は、教科研と社全協(社会教育推進全国協議会)が共同使用している神楽坂近くのビルの二階事務所である。
http://homepage3.nifty.com/kyoukaken/ (教科研のHP)
http://japse.txt-nifty.com/ (社全協のHP)
東西線の神楽坂を降りて、神社近くをすぎて、印刷所が並ぶ地域の手前にビルはある。考えて見ると、この場所には、埼玉時代は良く通ったが、北海道に来てからは初めてであった。もう10年も過ぎたのだ。この日は、案外少人数で、首都圏からの参加者中心で、遠方は松本からと北海道からの僕の二人だけだった。僕は、「大学と地域連携」という分科会の代表世話人である。各分科会の進捗状況をお聞きして、内容を伺うことで、現状を体と頭で実感し、自分のなかのインセンテイブを高めるには良かったのかも知れない。なお、次年度50回大会の企画内容討議もあったので、その原案については僕なりの意見は述べた。多少クリテイカルな物言いだったかも知れない。50周年をどう振り返り、いかに積極的に未来を展望するのか。それにふさわしい内容を願ってのことである。終了後、社全協常任委員は夕刻から会議があるようで、その前の夕食に少しおつきあいした。Nさん、Uさん、Oさんと短い話をした。皆さん、それぞれとは、長年のおつきあいだ。僕はその後は帰宅の途についた。空港では、一本便を早めてもらい、助かった。
札幌に戻る車窓の夜景は、疲労のせいもあるが、いつもやや心寂しく写る。
地下鉄に乗り継ぎ、最寄り駅を降りると夜風が心地よい。自宅近くのマンションの鉢植えの花々の香りが夜の闇に広がっている。この地の夏を感じた。
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